マクドナルドが同社史上最も歴史に残る事件を起こしたのは1992年のコーヒーやけど事件ではないかと思います。これはアメリカ、ニューメキシコ州で79歳のおばあさんの運転する車がドライブスルーでコーヒーを購入し、おばあさんが受け取ったコーヒーを足の間に挟み、ふたを開け、砂糖とミルクを入れようとした際にこぼしてやけどをした、という事件です。
事件そのものはどこにでもありそうなさほど驚くものでもないのですが、話が盛り上がったのはその後の訴訟であります。陪審員裁判ではいわゆる懲罰的賠償をマクドナルド側に下し、マクドナルドの二日間分のコーヒーの売り上げの270万ドル(約3億円)プラス本来の賠償額16万ドル(1800万円)の支払いを言い渡したのです。この「3億円」が瞬く間に世界に流れ、コーヒーこぼして億の金を貰ったおばあさんとして時の人になってしまいました。陪審員の懲罰的金額は常に度を超すため、最終的には和解で非公開ながら数千万円程度で収まったはずです。それでも数千万円レベルでしょうが。
それから5年ほどたった時、私が管理責任を負っていたシアトルの日本食レストランで似たような事件が発生しました。若いアメリカ人が注文した定食に味噌汁がついていて、そのお椀には蓋がついていました。ところがその蓋がうまく取れず、蓋だけ持ち上げたところ、蓋が外れ、味噌汁がズボンにかかり、腿にやけどを負ってしまったのです。このアメリカ人は宿泊していたホテルのバスタブに浸かり、腿を冷やしていたところホテルが呼んだ救急隊員(しかも、不運にも女性隊員)がやってきて「辱め」を受けてしまいました。その後、やけどだけでなく、屈辱を受けた損失を賠償しろ、と迫ってきました。当然、私の頭にあったのはマクドナルド事件でありますが、この経営していたレストランがマクドナルドの様に有名ではなかったことも幸いし、大事に至らずに金銭的補償も行わずに終わりました。
さて、最近のマクドナルド。弱り目に祟り目、とはこういうことを言うのでしょう。なんでこんな風になったのか、私なりに考えたのですが、ターゲットにされた気がします。長年ファーストフードのリーダーでプライスイニシアティブももっていました。当然、リーダーならそれにつく他のファーストフード業者も引っ張らなくてはいけません。ところが原田泳幸氏の時代の後期に迷走が始まりました。それに不満だったアメリカ側がトップすげ替えでサラ・カサノバ氏を指名、アメリカ本社の手足として、日本マクドナルドから利益を吸い上げる役を仰せつかったのです。例えは悪いですが、GHQのダグラス・マッカーサーのようなものでしょう(同じことは日産のドンにも言えますが)。
しかし、原田体制の後期に既にファーストフード業界におけるマックの求心力は落ちていました。例えばそれが記憶に新しい牛どんの価格戦争であります。牛どん3社の間で今だ、価格政策がバラバラなのは業界リーダー不在でファーストフード業界の地盤沈下が始まり、マックの責任が問われたとも言えるのです。
では、マクドナルドはどうすればこの試練から脱却できるか、ですが、私ならこうします。トップを挿げ替え、日本人に戻し、顧客に向けた盤石の対策をとることでしょう。それから5割とも言われるアメリカマクドナルドの株式所有率を大幅に下げ、経営の自由度をもっと出す、これが一番手っ取り早いはずです。
カサノバさんは同社ではエリートだとは思いますが、日本の特殊な市場性と日本マクドナルドが1970年代から作り出したその存在感はアメリカのマックと全く違う位置づけであり、アメリカ本社には理解できないと思います。要はマックもB級グルメとしてラーメン、どんぶりものと並ぶ日本の大衆に深く浸透した土壌を作り出していたという事です。
更にアメリカのマクドナルドも間違いを犯してしまったところがあります。藤田田氏の時代は日本マクドナルドだけは世界中のマックと違い、独自のメニューを提供できるなどかなり経営の自由度がある契約形態だったはずです。そこで日本にしかないメニューがどんどん生み出されました。これがマクドナルドの日本土着化の最大の功績でありました。ただ、この契約形態はその後、変ったと認識しています。これがアメリカ側による日本側への強烈な縛りとなり、日本側の飲食業界の日々刻々変わる市場について行けなくなったと見ています(ちなみに今、アメリカのマックはサンドウィッチのカスタマイズと進出先国のメニューの自由度を高める経営指針を打ち出してきたところです)。
カサノバさんが今退けば日本駐在期間の功績はゼロでありますが、これ以上、同社のイメージと価値を遺棄するのはアメリカ本社にとってもっと損だと思います。残念ながらこの手の問題は抜本対策を取らない限り永遠に続くことになるのが世の常であります。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月9日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。