前々回のブログ「中国バブル崩壊の不気味な地鳴り」で、中国経済崩壊の危険が迫っていることを取り上げた。そう書いた本人が、前言を翻すことを書くようだが、中国経済危機説はこれまで様々な識者によって、何回も取り上げられてきた。いまも続いている。
代表の1つは米国の弁護士兼ジャーナリストのゴードン・チャン氏が書いた「やがて中国の崩壊がはじまる」。日本で翻訳書が草思社から出版されたのは実に2001年だ。
チャン氏の見通しでは2005年ごろから中国経済の崩壊が本格化するはずだった。理由は今、取り上げられていることと大同小異。多大な国有企業を温存したまま、未曾有の公共投資で膨れ上がった土建経済が行き着くところまで行き着けば、不良債権の山となり、バブルは崩壊する。日本や欧米の外資の直接投資に頼った輸出増加も賃金上昇や環境汚染、官僚の腐敗にイヤケした外資の国外脱出に伴い、失速する。官僚の腐敗と環境汚染で国民の不満も爆発する……といったところだ。
他の中国経済崩壊本も同工異曲だろう。
だが、チャン氏の出版後15年近くもたつのに、中国経済は一向に崩壊しない。それどころか、その後も年率10%前後の高成長率で拡大の一途をたどった。土建経済の膨張であり、実態の経済成長率は中国政府の発表よりもずっと小さい、という反論はある。
だが、中国政府の発表が話半分だとしても5%成長である。それが15年も続けば、大きな経済拡大である。
実際、鉄鋼生産量や原油輸入量、自動車や電子製品の生産・販売量は世界で群を抜いている。その生産、販売には日本企業が深く関わっていて、中国経済の拡大とともに業績を上げている。統計の水増しはあまりないと考えて間違いないだろう。
本当に中国経済は崩壊に瀕しているのか? そんな疑問が投げかけられても不思議はない。この点について、数年前から経済のみならず中国そのものの破綻を唱え、それに関する書籍を何回も出版している宮崎正弘氏はどう答えるか(最新の著書は2月5日発行の「中国大破綻」=PHP研究所)。
前置きは長くなったが、これからが本論である。実は中国の政治・経済状況に詳しい宮崎氏は、名物ブログ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の本日号(16日号)で、次のように読者の質問を掲載し、回答しているからだ。
読者の声1)「中国経済の崩壊」が予測されて久しいのですが、まだ崩壊しない。そればかりか、上海株式は上昇しています。これらの事象をみていますと、宮崎さんの予測とは逆のことが起きていますね。(HI生、名古屋)
これに対し、宮崎氏は次のようにコメントしている。
世界第二位のGDPを誇る中国は巨大ゆえに、一夜で潰えることはありません。しかし不動産バブルは瓦解しており、デベロッパーの倒産が連鎖しています。銀行は不良債権を糊塗するために、壮大なごまかしをやって(いる)。……金融当局は預金準備率を引き下げ、理由のない緊急貸し出しを数回もおこない、さらに大手企業の債権デフォルトを予防するために、「謎の投資家」がつぎつぎと登場したり、あらゆる手段を講じて防戦中です。
中国経済は危殆に瀕しているにもかかわらず、まだ持っているのは外国企業からの直接投資が続いているからです。そして米国のFATCA発効により、世界のタクスヘブンに逃げていた巨額不正資金の一部が「外国籍」を装って中国に環流しているため、上海株式があがっているのです。
破裂は秒読みですが、これを回避するために次に国務院が打ち出すのが……都市化プロジェクトです。ゴーストタウンをまた増やすだけのことですが、経済成長維持のトリックをしばらく中国は続けざるを得ないのです。
つまり中国経済は事実上破綻しているが、壮大なトリックで外国投資がつづき、未曾有のごまかしをやっているのが実態です。
宮崎氏の事実認識と分析は間違ってはいないと思う。だが、「何年も前から破綻説を唱えているが、実際は崩壊していませんね」という指摘は痛いだろう。「あなたはオオカミ少年ではないですか?」と言われているに等しいからだ。
「世界第二位のGDPを誇る中国は巨大ゆえに、一夜で潰えることはありません」という回答に、苦吟の表情が垣間見えると言えば失礼か。
過去の著書で示した宮崎氏の予想通りなら、今頃は大破綻に陥っているはずなのだ。
だが、見込み違いを攻め立てるのは本意ではない。むしろ私は、独自の国際情報や鋭い観察、分析を豊富に提供してくれる宮崎氏のブログを愛読している。
中国は経済も巨大だが、政治、外交、軍事にも優れ、自らの延命を図る権謀術数に長けている。倒れそうで倒れない懐の深さと足腰の強さがあるのだ。
だから「中国経済の崩壊」が予測されながら、なかなかそうならない。しかし、中国の統治システムも経済構造も根本のところでは変わっていない。民主主義も言論・結社の自由も認められていない。
中国の興亡の歴史を顧みれば、そうした国家が今後も長期的に延命することは考えにくい。「歴史を鑑として」とは、日本よりも中国(シナ)に向けられるべき言葉なのだ。
ぐるっと回って元に戻るようだが、以上見たように、やはり「中国バブル崩壊の不気味な地鳴り」は存在する。その音は高まりこそすれ、弱まることはない、と考えて間違いあるまい。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年2月16日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。