福田財務次官が、「おっぱい触っていい?」等のパワーワードで女性記者にセクハラを行なったという週刊誌報道を受け、辞任しました。
この報道の起点は、セクハラを受けた1人の女性記者でした。
報道によると、彼女は所属するテレビ朝日の上司にセクハラについて相談したが、結果的に黙殺。
そこで「財務次官という社会的に責任の重い立場にある人物による不適切な行為が表に出なければ、セクハラ行為が黙認され続けてしまうのではないか」という強い思いから、週刊新潮に録音していたセクハラ発言を持ち込んだ、という構図でした。
セクハラを握り潰したテレ朝は、ネット上で言うところの「フルボッコ」状態で、激しく批判されています。
◆テレビ朝日のひとり負けで終焉、財務省事務次官の女性記者セクハラ問題(市況かぶ全力2階建)
テレ朝、被害女性から報告を受けて報道を主張されたが上司が二次被害を理由に握りつぶしたと。結果として女性記者は、週刊誌報道を選択。テレ朝は、ニュースソースを他社に渡したことを問題視。
ダメだな、この会社は。
— 中田大悟 Daigo Nakata (@dig_nkt_v2) 2018年4月18日
テレ朝報道局長「女性記者が新潮に持ち込んだことは問題」。
はぁ?あなた方が記者の必死の訴えに耳を貸さなかったからでしょ?ガマンしろと言い続けたからでしょ?被害者に責任転嫁するのやめてください!— 牟田和恵 (@peureka) 2018年4月18日
では、この件において、テレ朝だけをボコれば良いのでしょうか?
テレ朝だけではない、マスコミの「共犯関係」
僕にはマスコミ勤務の女性記者の友人が何人かいます。
「車で横に座ってて、胸に手を入れられた」ということを教えてもらったこともあります。
また、同様のセクハラエピソードは、枚挙にいとまがないようです。
マスメディアがこれまで、自社の女性社員を守ることなく、むしろその女性性を活用して、男社会の官庁や政治村から情報を入手していたことは、明白です。
つまりは企業が加害者の片棒をかつぐ「共犯関係」が形成され、セクハラを自然と生み出す構造を形作っていたのです。
今メディアがすべきこと
よって、テレ朝叩きで溜飲を下げていては、この事件をセクハラを生み出す構造そのものの改革へと繋げることはできません。
変化を生み出すために必要なこと。
それは、テレ朝も含めた全てのマスメディアが、これまで放置してきたセクハラ問題に関する調査を本気で行うことです。
自社の社員にアンケートやヒアリングを行って、いつ、どこで、誰から、どんなセクハラを受けたのか。当時の上司はどういう対応を取ったのか。そうしたことを明らかにしていくことです。
そのデータを活用し、きちんと社員を守れるような体制を本気になって創っていくことが、次のステップでしょう。
「女性はもう使わない」ではない
注意しないといけないのは、「じゃあ女性は使わないでおこう」なんていう、底の浅い弥縫策で終わってはいけない、ということです。
なぜなら、セクハラは男性相手でもあり得るからです。男性から男性の、女性から男性の、両方あります。
またさらに、男性と男性で、セクシャルな要素がなかったとしても、立場の違いを利用したパワハラの可能性はおおいにあるからです。
結局、「社員の人権を守る仕組みをつくる」という意味では、女性も男性も違いがないのです。
社会を変える契機に
そしてマスメディアの体質改善を促していくと共に、その延長線上には日本全体の文化を変えていかないといけません。
なぜなら、記者の取材相手の権力関係の差異から生み出されるセクハラ構造は、そのまま
「営業パーソンとクライアント」
「就職活動をする学生と人事」
「駆け出しの女優と映画プロデューサー」
などに当てはまるためです。
つまり、日本の至るところにセクハラを生み出す構造は潜んでいるわけです。
よって、我々は他人事としてではなく、自分の身の回りにもミニ福田次官がいて、彼らが今日も被害者を生み出している、と考えなくてはならないのだと思います。
いや、身の回りにも、ではないかもしれません。
ひょっとして、僕が、あなたがミニ福田次官になっていたことだってあるのかもしれません。
この事件を一過性のスキャンダルや倒閣運動で終わらせることなく、セクハラ天国日本の構造改革に繋げていくことに、我々は努力していかねばならないのだと思います。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2018年4月20日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。