少し前から、日本語のキャッチコピーは、少々長めの方が読み手にアピールするのではないかと思うようになった。「〇〇地区でただ1つだけの傘を修理する店」という年季の入った看板が拙宅の近所にある。
その看板を見るたびに、「いまどき傘を修理に出す人がいるのだろうか?」「○○地域で1つだけというのは本当だろうか?」などとと考える。
父や祖父から受け継いだ高級傘であれば修理を頼む人もいるだろうし、看板の年季のはいり具合を見ると、少なくとも開店当初は○○地域で唯一の修理店だったのだろう。自転車でその店の近くを通るたびに、目に飛び込んでくる看板のおかげで店の様子もしっかり頭に残ってしまった。
周囲にもたくさんの店があるのに、傘の店の隣や向かいに何の店があったか、全く記憶にない。
「人間は自分が見たいもの(見ようとしているもの)しか目に入らない」と以前の記事で書いた。「点と線」と表現されるように、スタート地点と目的地までの線の上に存在するものの多くを私たちは無視してしまいがちだ。
ところが、「線の上」でありながらも、先のような看板があると自然に目に飛び込んできて頭の中にしっかりと記憶される。
「吾輩も食した〇○である」という文字が箸袋に印刷された飲食店がある。創業明治〇〇年なのだが、「かの文豪が近所に住んでいた時に通った店だな~」と思いを馳せ、とても印象に残る。
文豪の名前を敢えて入れていないところもセンスがいい。
「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」というリッツカールトンの有名なフレーズも「やや長め」の表現だ。
思うに、このような表現は読む人に「ストーリー」を想起させ、ストーリーとして頭の中に残るのではないだろうか?先の例だと、「文豪が〇を食べている風景」だし、リッツカールトンならホテルマンたちの優雅な接客応対の様子が目に浮かぶ。
「創業室町時代」という店も、「種子島への鉄砲伝来以前から続く伝統の味」と併記すれば、読んだ人は勝手にストーリーを考えてその店のことを記憶に残すことだろう。「織田信長は食したのだろうか?」などと…。
CMのコピーは放送時間の関係もあるので「短文」が多い。
「スカッとさわやかコカ・コーラ」や「チョコレートは、明治」などは大昔からあるし、それなりに成功したキャッチコピーだろう。
しかし、「ストーリー」を想起させるにはいささか短すぎる。
私なりには、まだ「インド人もびっくり」の方がストーリー性を感じる。
「初めて日本に来たインド人が驚愕したほど美味しいカレー」であれば、もっといいと思う。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年5月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。