新聞は一面トップに読んで欲しいと思う記事を書く。特に読ませたいと思う記事の見出しは何倍もの大きさの字を使う。昔、この特大の字の大きさが記事本文の字の何倍であるかを調べた人がいて、最も大きい倍率の字を使うのはスポーツ新聞で、次は朝日、そして日経の順であったと記憶している。大きい字を使うほどセンセーショナルで、扇動的な傾向を帯び、小さいほど冷静な傾向があることは推定できる。例えばルモンド紙の倍率は小さかったと思う。
一面トップの記事は新聞社が読ませたい記事であることは間違いないが、同時にそれが読む必要のある記事、重要な記事であるとは限らない。左派新聞は政権の失策を大きく掲載するが、読者はそのことが実際以上に重要なことと思ってしまう。その結果、支持率が大きく影響を受ける。一面トップという形式が新聞社に恣意的な報道をさせる要因になっている。また記事を押し付ける姿勢には読者を見下している態度が感じられる。世論をリードしてくれと頼んだ覚えはない。
これに対してYahoo!やgoo、MSN、exciteなどのポータルサイトは一面トップという形式を取らず、同じ大きさでの羅列である。新しい記事が上に出て古い記事は下から消えていく、というのがたいていのスタイルである。これだとサイトの運営者が恣意的に操作できる可能性はあまりない。これを読め、と押し付けないのである。判断は読者に委ねられる。読者を大人扱いしているとも思える。
一方、極端な集中報道が国民の意識をどれほど変えることができるか、という観点から興味深い例がある。韓国では五輪を機に南北融和の動きがあり、メディアはそれを囃し立てた。そして韓国の公営放送・MBCが4月30日に放送した世論調査では、77%の国民が金正恩委員長は信頼できると答えたそうである。兄や叔父を殺し、数百人を無慈悲に粛清した人物が短期間の礼賛報道によって簡単に変わる、という好例である。世論というものの信頼性がどの程度のものか、考えさせられる。
テレビも似たようなものであるが、こちらは執拗に繰り返される分、影響は大きくて、もっと始末が悪い。日大アメフトの反則映像を何度見せられたことか。無職の身で、食事中に報道番組を見ることが多いこともあるが、後ろからのタックル場面をひとつの番組だけで数回見せられる。朝昼晩とみると15回程度になるだろう。それが何日か続いている。実にしつこいが、これは報道番組が時間を埋めるのにいかに苦労しているかということを示しているのようである。このしつこさが事件や事故の重要性を必要以上に大きくしているのではないだろうか。背景にあるのは報道番組の時間の長さである。
毎日、長い報道番組を埋めるため、しつこく取り上げる必要がある上に、政治的な恣意性が加わるとどうなるか、影響は大きく、深刻である。2009年、閣僚の事務所経費問題は政権が倒れなければならないほどの大きな問題ではないが、この熱に浮かれされたような大報道が自民政権を潰し、民主党政権を生み出したと言ってもよい。新聞とテレビの報道番組が政治を動かすという、実に不健全な仕組みである。政治を左右するメディアが賢ければいいが、現状はその反対である。