国民投票法が改正され、選挙権年齢が18歳に引き下げられた。
自分が18歳の頃を考えると、学校生活や自分の進路で手いっぱいで、「政治」について考える余地などほとんどなかった。生徒会選挙ですら「なんとなく」で投票していたくらいだ。
この改正の目的は選挙年齢を引き下げれば若者が政治に関心を持つだろう……ということなのだろう。「政策が人数の多い老年層に偏る……」ともいうが、年齢を2歳引き下げた程度では高齢化の影響を相殺できるわけではない。が、メディアも軒並み賛成だ。
新聞各紙の社説は次のとおり。
読売「若者の政治参加を促進したい」
産経「若者が国を考える契機に」
朝日「政治が変わらなければ」
毎日「若者こそ政治に参加を」
各紙ともほぼ同じトーンで、法改正を歓迎。読売が政治教育の重要性を指摘した部分と、朝日が文末で安倍政権へ〈「数の力」が政治の基本原理であるかのような国会が続いている〉と攻撃を加えているところ以外はさほど代わり映えのない社説になった。
今朝の「モーニングバード」(テレビ朝日)では、18歳の東大生とギャルに話を聞いていた。ギャルは「今の若者は何もしたくない。歩くのもダルイ、とか(笑)。でも投票には行きます。年金、超気になる」と答え、期待通りのギャルを演じてみせていて感心した。
朝日新聞ではさっそく「18歳になるあなたへ」という若者へエールを送る記事を政治部の記者が書いていた。民主主義をテーマに取材してきたという。この文章がすごい。
私は既に若者ではないので、18歳当時の気持ちになって考えてみるしかないが、このそこはかとない「イヤーな感じ」は何だろうか。制服姿の女子高生が投票するのを嬉しそうに眺めているオッサンがいたら、通報ものだろう。
また、「『安保など難しいことが分からなくたっていい。話し合おう』と言いながら、若者が集団的自衛権は必要だと言い出したら『右傾化』と批判するんだろうな」と冷めた目で見てしまう。若者が「一歩」踏み出した結果、「集団的自衛権」「改憲」に賛成するとは露ほども思っていないようだ。
若者は純粋で、平和を愛し、汚い大人のしがらみにとらわれず、しかし愛を信じ、青臭い理想論でも必死で追い求め、この閉塞感のたちこめた政治を変えてくれるはずだ――。恐らくこの記者はそう思っている。だがこれは若者の過度な美化であり、過度な期待と言わざるを得ない。自分が18歳の頃を考えてみてほしい(……この記者は恐らく相当純粋だったのだろう)。
確かに子供や若者の一言がものごとの真髄を突くこともある。それはそれで事態を動かすこともあろうが、ほとんどの場合はまぐれや直感であって、少なくとも朝日新聞やお仲間が大好きな「知性」「教養」「知識」から導き出された言葉とはまったく別モノだ。
にもかかわらず、若者=ピュアと位置付けて美化し、そのピュアを無条件によいと信じる自分も「ピュアである」かの如く擬態する。若者に媚びているようにも見えてしまう。一方でひとたび期待を裏切った途端、「右傾化」「ネトウヨ」「社会のひずみ」と非難を浴びせる。このような傾向を山本七平のいう純粋信仰に倣って「ピュア信仰」と呼びたい。
選挙権を18歳に引き下げるのはいいとしても、若者の本音は必ずしも「(上の世代が思うような)ピュア」ではないかもしれない。
「あんたらみたいな老人にやる金、ないから。貯金はあるんだろ? こっちは経済事情が苦しいわ、給料は昔みたいに上がらないわで、結婚も出産もできやしない。『老人は死ねというのか』というけど、『金がない家の子供は生まれてくるな』ってことか? それで女は働きに出たうえに少子化をどうにかしろって、ムリゲーだろ」
上の世代にこういう刃が突きつけられる場面も出てくるだろう。限られた予算の奪い合い。先の記者の言う「一票をかけた真剣勝負」とはそういうものだ。きれい事だけでは済まされない。
政治に目を向け始めたばかりの若者に「未来を考えて」「老人のことも見捨てないで」「日本の政治を変えて!」というのは背負わせ過ぎだ。「大人」なら、若い人に期待しつつ、下の世代や日本の将来を考えた政策提言、投票行為を行うのが筋だと、老人と若者の間の30代として思う。
梶井彩子