南米3カ国訪問中のローマ法王フランシスコは11日、パラグアイの首都アスンシオンの市民集会で、「社会の発展には多様性が不可欠だ」という趣旨の話をしたという。同集会には同性愛者グループが招かれていた。
フランシスコ法王の「多様性」は同性愛者を支持する意味で使用されたのではないという。だから、法王の発言を取って、カトリック教会が同性愛者を承認したとは受け取れない。しかし、フランシスコ法王は同性愛者が招かれていることを知ったうえで、「社会の多様性」という言葉を意識的に選んだことは間違いないだろう。
いうまでもなく、カトリック教会は、「家庭は男性と女性のカップルが営む基盤」と受け取り、神は同性愛者のカップルを祝福された家庭とは見なしていない。すなわち、同性愛者を差別することには反対だが、積極的に支持しないという立場だ。その際、魔法の言葉、「寛容」という言葉が飛び出してくるわけだ。そして今回の法王の発言を聞けば、「寛容」を支える思想的バックボーンとして「多様性」という概念が使用されていることが分かる。
「多様性」は、自然科学的概念と社会・人文学的概念の2つに大きく分けて考えられる。後者の場合、通常、「社会の多様性」、「地域の多様性」といった表現のほか、「価値観の多様性」といった言葉も出てくる。「社会、文化の発展に不可欠な要因」と発言したフランシスコ法王の「多様性」はもちろん後者の概念として使用されたわけだ。
「多様性」という言葉は「寛容」とよく似た魔力を持っている。「寛容」であることに反対する人は少ないだろう。「自分は非寛容だ」と言って自慢する人などいない。多くの人は他者に対して「寛容」でありたいと願っている。だから、同性愛者問題では「寛容」という言葉が必ず関係者の口から飛び出し、同性愛者でない人々も同性愛者の支持グループに入って応援する。同性愛者問題は「寛容」を実証する最良の機会となるからだ。「多様性」も同様だ。多様性に反対するといった状況は考えにくい。すなわち、同性愛を支持する人々は、「寛容」と「多様性」という2つの魔法の言葉を駆使し、支援グループを拡大し、反対者の口を閉ざさせてきたわけだ。
ところで、ここでテーマとしている法王の「多様性」は果たして無限なのか。それとも一定の段階に到達した時、「多様性」もその終わりを迎えるのだろうか。法王は「社会の発展には不可欠だ」というだけで、その「多様性」に制限が伴うのか否かについては何も言及していない。
ドイツで今、近親婚が話題となっている。同国の政府倫理委員会が8日、「兄妹婚や姉弟婚の合法化を支持する」と表明したというニュースが流れてきた。これも「多様性」の表れだろうか。同性婚が市民権を獲得してきたばかりだ。そして今、「近親婚」が話題に上がってきたのだ。近親婚は遺伝学的に好ましくはないといわれてきたが、社会・文化的多様性の概念からは反対しにくいのは同性婚と同じだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。