学業専念が進まない語られざる理由

高部 大問

カレンダー問題ではない

大学生の本分である学業を侵食する犯人として、企業による採用活動が槍玉にあげられることがある。採用活動の主体は経団連ルールを守る企業(大学3年生の3/1広報解禁、4年生の6/1選考解禁)と守らない企業(経団連非加盟企業含む)に分かれるが、批判の矛先は主に後者に向けられたもので、ルールを無視した水面下での採用活動により大学生が全く学業に専念できずけしからんというわけだ。

経団連は、採用活動の日程を「学生が本分である学業に専念する十分な時間を確保」できるよう設定するとし(『採用選考に関する指針』)、度々日程が見直されている。

しかし、大学で日々学生の進路相談と企業の採用相談を受けながら感じることとして、いくらカレンダーをいじくりまわしても、たとえ全ての企業がカレンダーを遵守したとしても、学業専念は非現実的で画餅に帰すことを申し上げておきたい。

求人情報を見るだけで大学卒業?

一般的には、経団連加盟企業による隠れた採用活動や非加盟企業による早期採用の存在が学業侵食の理由だと指摘されるが、実はそれだけではない。企業を知るインフラ・ツールである求人情報サイトに掲載される企業数はいまや約3万社にのぼる。仮に1社4.5分ずつ閲覧すれば計2250時間となる。大学の講義は1科目当たり1.5時間を15コマ実施するため計22.5時間であるから、全ての求人情報に目を通せば大学の講義を100科目(200単位)受講する時間に等しい。4年制大学の卒業所要単位は124単位であるから、求人情報の閲覧だけで大学を卒業できてしまうほどの時間的負荷なのである。

実際の求人情報は、先輩社員の声や社員の一日や人事のブログなど年々充実が図られており、読み込むには4.5分では到底困難である(1社1社きちんとこだわりがあり読み応えがある)。1社20分とすれば計10,000時間を要する。もしも「1万時間理論」のマルコム・グラッドウェル氏がこのことを知れば「プロになれる」と指摘するだろう。

選ぶ側の軸

もちろん、現実問題として、全掲載企業の情報を閲覧する大学生など皆無ではある。では、学生達はどうするかと言えば、何らかの軸をもって約3万社ある企業の中から自分に相応しそうな企業を判断するのが一般的である。「賃金」や「福利厚生」などの制度面を軸とする場合もあれば、「社風」や「やりがい」といった目に見えない要素を軸に据える場合もある。

しかし、何れの場合でも、企業を仕分けするための判断軸は就職活動開始までに装着しておく必要がある。でなければ、膨大な時間を情報収集に費やすこととなる。

では、その軸は在学中のいつどうやって備わるのだろうか。学部や専攻を問わず、学業に専念していれば自然と身につくのだろうか。

選ばれる側の資質

また、仮に選ぶ側としての軸が備わったとしても、今度は選ばれる側としての資質が問われる。どれだけ企業を品定めする明確な物差しが出来上がったとしても、企業から選ばれる人となり、内定を頂戴できなければ意味はないからだ。

では、選ばれる側の資質は何かと言えば、性格・能力・態度・コンピテンシーといった様々な要素が様々なニックネームでクローズアップされている。たとえば、「主体性」「チャレンジ精神」「コミュニケーション能力」といった具合に。

しかし、そのどれもが、実は座学よりも学外活動(サークル、アルバイトなど)によってより伸びることが確認されている(『大学生に求められる就業基礎力に関する考察』天川勝志)。なるほど、チャレンジ精神を例にとれば、教室の中での勉強よりも外でスポーツをする方が身につきそうなことは容易に想像できる。

とはいえ「3年で3割」

そう、結局のところ、大学生は在学中のどこかのタイミングで学業よりも就職活動に専念せざるを得ない。仮に水面下での採用活動などなくとも、現状の新卒採用はそもそも学業に支障を来す可能性を加味した慣行なのである。 アルバイトにサークルにインターンシップ。余力があれば留学やボランティア。そして、就職活動本番では企業へのエントリーにはじまり履歴書・ESの作成や筆記試験・面接試験といったタスクもパラレルで進めなくてはならない。全入時代の大学生は、現行の就職活動に正面から立ち向かう場合、学内外でのタスクがてんこ盛りなのである。

そして、そうしたマルチタスクをテキパキと器用にこなすことのできる学生達ばかりが、内定という名の社会的承認を手にする。若者言葉で言えば、フッ軽(フットワークの軽い)でない学生にとっては誠にハードなゲームである。それで入社後に定着・活躍すれば効果覿面と言えるのだろうが、実態は周知のとおり、「3年で3割」の大卒者が昭和62年から一貫して安定的に辞めているのである(『新規学卒者の在職期間別離職率の推移』厚生労働省)。

カレンダーは絵画ではない

仮に10人中7人が定着すれば御の字という制度設計なのであれば話は別だが、学業専念という聞こえの良いスローガンを掲げるだけでは、前述の経団連の指針にある「社会に貢献できる人材」はいつまで経ってもほんの一握りしか輩出されない。そろそろ、絵画のようにカレンダーばかり眺めず、社会と人材を見つめるべき時に来ているのではないだろうか。

ただ、「より良いルールづくりに期待したい」などと無責任且つ他力本願な常套句で本稿を締めくくるわけにはいかない。大学の一事務職員だとしても、学生や子どもに対峙する大人として、できることは多分にあるだろう。

「絶対に負けられない戦い」しかないのか

経団連のルールが世の全ての新卒採用団体に適用されるわけではない以上、各団体が我先にと早期に活動することは、採るか採られるかの「絶対に負けられない戦い」を制するうえでは合理的な戦い方にも見える。だとすれば、「絶対に負けられない戦い」自体に終止符を打ち、雇用の在り方そのものを刷新したり、就職活動か学業活動かという二項対立構造を改めることもオプションである。

実際に、奇抜な面接試験や通年採用といった採用方法ではなく、人の活かし方(雇い方)から根本的に見直すといった起用方法(雇用方法)を模索する企業は出始めている。また、就職活動対策のための講座ではなく、アクティブ・ラーニングやコーオプ教育など就職活動にも結果的に活きる大学カリキュラムも検討されつつある。発想は転換されることを待っているのだ。

共通の北極星に向けて

経団連の指針を言い換えれば、「世間では採用活動・就職活動の激戦が繰り広げられていますが、学生の皆さんは気にせず教室で切磋琢磨し学業に専念してくださいね」というオーダーである。それはまるで「試験はやるが準備はしないように」とダブルバインドを突き付けられているようなものである。

この難題をクリアするために学生はどう行動しているかと言えば、試験が苦手な学生は最初から敬遠するし、試験が得意な学生は過去問を参考にしながら傾向と対策を練る。それが受験を経験してきた大学生の流儀である。いくら「学業に専念してね」と優しい顔で諭されたとしても、勉強しない者は端から学業に専念せず、勉強したい学生も、周囲が実は就職活動しているのではと予想すれば自分もするしかなくなる。結果、誰も学業には専念しなくなる。

たとえ、キャンパスがどれほど綺麗で居心地が良くとも、仲間との時間が有意義でも、目の覚めるほどの講義がそこにあったとしても、就職活動に引きずり込まれるほどの引力が、社会と大学の間には立ちはだかる。まともに立ち向かえば、「学業に専念している場合ではない」というのが彼らの生存戦略なのである。

採用活動が存在する以上、学業専念は困難である。採用慣行を廃止するもひとつ、人の活かし方から見直すもひとつ、就職活動と学業活動という二項対立の発想を転換するもひとつ。様々なアプローチが考えらえるが、何れにしても、「社会に貢献できる人材」という共通の北極星に向けて、個人だけに責任を押し付けず、社会を前進させることに力を尽くしたいものである。

高部 大問(たかべ だいもん) 多摩大学 事務職員
大学職員として、学生との共同企画を通じたキャリア支援を展開。本業の傍ら、学校講演、患者の会、新聞寄稿、起業家支援などの活動を行う。