1.彼女と私の考え方は“天と地”、“月と鼈”
自民党の杉田水脈衆院議員による『「LGBT」支援の度が過ぎる』と題する論文については、それが掲載された『新潮45』8月号が発売された直後にブログで論評し、「異常」や「病気」として差別されてきた人々が「普通」に市民生活を享受できるようにしていく作業は政治の責任、と批判を書きました。
杉田議員と私は、みんなの党、日本維新の会と似たような経歴だし、報道特注と日本の病巣という同じ文化人放送局の姉妹番組に出演していることもあって、同じ価値観だと思われがちですが、本件についても、科研費批判についても、既に書いたように彼女と私の考え方は、天と地、月と鼈くらい異なります。
2.石破、野田、小泉氏らの政局利用は“最低”
したがって、私は私の見解をいささかも変える予定はありませんが、一方で、その後の杉田発言に対する筋誓いの批判、安倍政権の評価や自民党総裁選といった政局に利用しようとする動きには違和感を禁じえません。特に、石破茂氏や野田聖子氏の陣営、更にはNHK、朝日新聞などの報道は看過できません。
石破氏は連日にわたって杉田批判を繰り返すとともに防災省の設置を提案するなど災害まで政局に利用しているし、野田氏もLGBT対策が自民党総裁選のテーマになると煽る。小泉進次郎氏に至っては、マスコミの批判的な論調を見極めた上で「ありえない」「悲しい」と格好をつける、最低だと思います。
3.マスコミによる人格攻撃は“度が過ぎる”
マスコミの酷い報道ぶりは、八幡和郎氏の「NHK、朝日、文春が揃って杉田水脈の“人権蹂躙”」が指摘する通り、その人格攻撃は“度が過ぎ”ます。マスコミは、与党議員の発言は切り取ってでも批判を繰り返しますが、文科省汚職への関与が疑われる野党議員は完全にスルー、触れることさえありません。
こうした「与党の疑惑は捏造、野党の疑惑はスルー」というマスコミの偏向ぶりは看過できませんが、同じ構図が国会にも蔓延っています。いわゆる「何でもありの野党、ひたすら我慢の与党」。報道と政治は“鶏と卵”ですが、当にこれが、私がマスコミ批判から国会改革に戦線を拡大してきた理由なのです。
4.国会議員は現実の政治課題に注力すべき
今回の「生産性」騒動も、マスコミの煽りに振り回されてはなりません。雨宮処凛氏が『「生産性」より「無条件の生存の肯定」』の中で、生存そのものが無条件に肯定されるべき、と書いたのは、「建前」としては正しいですが、だからといって、生活保護制度の拡大を“無条件”に肯定するのは間違いです。
今回の騒動から学ぶべき教訓は、杉田氏の「生産性」も雨宮氏の「生存の肯定」も、それら抽象的な概念を振り回しても、生まれるのは社会の深刻な亀裂だけ、ということでした。私は、「生産性競争」と「生存の肯定」とのバランスをどう設計するか、そうした現実の政治課題に注力して参りたいと存じます。
編集部より:この記事は、衆議院議員・足立康史氏の公式ブログ 2018年8月6日の記事を転載させていただきました(タイトル改稿)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は足立氏のブログをご覧ください。