「玉城デニーの沖縄アイデンティティは中国に無警戒」という投稿のなかで、彼の言う沖縄人(ウチナンチュウ)のアイデンティティは、もっぱらヤマトンチュウ(本土の人間)にのみ向けられたものであり、中国に無警戒すぎると書いた。
さらに、「中国は移民、難民、それから、日本に帰化した華人などいろんなかたちで入り込んできて、沖縄の意思決定に影響を及ぼすような数になったり、さらに、多数派になったりしたら、ウチナンチュウは本土に移るしかなくなりかねない」とも書いた。この点についてもう少し詳しく書きたい。
沖縄の人々のもちろん、それ以前に、採集生活をする人たちがいて、奈良時代ごろには朝廷のゆるやかな支配が及んでいたようだが、わずかの人口だった。現在の住民の大半の先祖は、平安時代あたりから主として南九州から農業技術とともに移住してきたと言われている。
昔は、米が沖縄経由で本土に伝わったのではないかという説もあったが、逆で九州から沖縄に伝わったのである。言語も中国語にはまったく似ておらず、日本語と同系統の言葉だし、ふるくから仮名も使われていた。
そして、鎌倉時代から室町時代にクニらしきものができて、やがて、三国時代を経て統一王朝がでた。本土とは盛んに交流はあったようだが、本土は南北朝とか戦国時代の混乱期だったので、正式の外交関係は成立しなかった。それに対して、明が勘合貿易を非常に有利な条件でもちかけたのでそれを受け、それなりの数の官僚や技術者が台湾の対岸にある福建省からやってきた。
なんで福建省かというと、当時の中国の役人は、東シナ海を横切るような航海は危険なので避けたので、北京との行き来も福建省経由だったのである。
戦国時代が終わり、島津氏が琉球王国を支配下に置くことになったが、明や清との勘合貿易は継続していた。それが、島津氏にも利益だったからだ。
こういう歴史だから、沖縄の人々は日本人と中国人の中間などでなく、日本の原住民である縄文人の血が濃厚なのである。そういう意味では、沖縄をゲルマン系住民が多いアルザスが仏独の中間地帯であるのと同じように日中の中間地帯と捉えるのは間違いだ。
もちろん、沖縄は明や清との貿易で利益を上げた。明や清は短い時期を除いて海禁政策をとって、海外渡航や移住を禁じたので、沖縄の住民のうち中国にルーツを持つ人の割合はそれほどのものでない。また、島津支配下の琉球では中国からの移民などできなかった。
琉球に上陸したペリー提督も、「琉球の言語、衣装、習慣、美徳、悪徳いずれも日本と同じ」、「日本人の多くが居住し雑婚し普通に生活をしているのに対して中国人は外国人として扱われておりここは日本の領土だ」、「清とは年一隻の船しか行き来しないが、日本とは年数百隻の船だ」としている。
もし、明や清が海禁政策をとらなかったら、あるいは、江戸時代に島津氏の監視がなかったら、おそらく、沖縄は台湾のように福建省などからの移民が多数派になっていたと思う。
しかし、習近平の中国は「一帯一路」とか「太平洋は中米二大にとって十分に広い」といってみたりして、太平洋への進出を狙っているのは、南シナ海での埋め立てや軍事基地化でも明らかである。また、中国からの移民圧力も強いし、それを中国政府は後押ししている。
そういうなかで、よほど、気をつけていないと、中国は軍事拠点として沖縄を狙うだろうし、移民などを送り込んで来る危険性が高いのである。
そして、その結果は、たとえば、外国人地方参政権など認めたら、沖縄を内側から日本から切り離そうとするだろうし、さらには、いずれ、沖縄住民の多数派になってしまう可能性も強い。沖縄の人口は中国人の千分の一でしかないのだ。
しかも、華人は移民して世代が変わってもなかなか華人意識を棄てないので現地社会で頭痛の種になっているのは周知の通りだ。実は沖縄でも戦前はそうだった。戦争でチャイナタウンとしての久米地区がなくなったりしたので、意識が薄れただけである。
そのように華人が多数派にでもなったら、沖縄のアイデンティティどころでなくなるだろうし、中国化した沖縄が嫌ならウチナンチュウは本土に引っ越すしかなくなるのではないか。そういう危険を沖縄の人々はもっと意識すべきだと思う。
習近平はある邦人に、「福建省にいたころ沖縄の人と良く会いましたが、二枚の名刺を持っている人が多かったのが印象的でした。一枚は中国名でした」といったらしいが、軽口とはいえ不気味である。