憲法改正への強いこだわりを持ち、国民の反発があろうとも「安全保障関連法」を成立させた安倍総理。その信念の背景には、安倍総理の祖父である元総理「岸信介」氏への想いがありました。番組が安倍総理と岸元総理の発言内容を比較しながら探った「共通の想い」、そして「安倍政治がつき進む今後」についてレポートします。
自民党結党60年記念式典から知る共通点
「責任ある行動を取っていくことこそ、自由民主党の責務である」
自民党結党60年記念式典でこう語ったのは、第97代内閣総理大臣安倍晋三氏。
実は、60年前の1955年自由民主党結党大会で、安倍総理の祖父、岸信介自民党元総理が次のように語っていました。
「本当の自主独立の日本を作り上げる」
この言葉からは、孫である安倍総理に通じる信念がうかがえます。
また、岸元総理は、終戦後、永久戦犯容疑者として巣鴨プリズンに3年あまり収監されていましたが、そのときに書きつづった『断想録』には次にように書かれています。
「此の戦は、敢く迄 吾等の生存の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、日本としては誠に止むを得なかったものである」
一方、安倍総理は戦後70年談話の中で次のように語っており、岸元総理の言葉が安倍総理の政治信条に影響しているのがわかります。
「異変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
安倍総理は、注目されていた「侵略」という言葉は使用したものの、「日本が侵略をした」とは明確にしておらず、この部分でも岸元総理の想いと重なっています。
「安全保障関連法」に共通する両氏の想い
安倍総理は、集団的自衛権の一部行使容認にこだわり、国民の反発を顧みず「安全保障関連法」を成立させましたが、ここにも岸元総理の想いが重なります。
1960年、激しい反対運動の中、米軍が日本を守る義務がなかった「日米安保条約」を改定し義務を負わせたのが、岸元総理。米軍が一方的に占領を続けていた状況から、日米関係を対等に近づけたと解釈できます。
そして今年、「安全保障関連法」が成立。「軍事面においてアメリカに守ってもらうだけの関係」から、「条件(日本の存立が危ぶまれる事態など)を満たすことで日本もアメリカを守ることができる関係」になったと解釈すれば、さらに日米が対等な関係に近づき、岸元総理の想いが安倍総理に受け継がれた、といえるでしょう。
どうなる?今後の安倍政治
先日行われた「今こそ憲法改正を! 1万人大会」で、安倍総理は「憲法改正に向けてともに着実に歩を進めていこう」「占領軍の影響下でその原案が作成されたものであることも事実であります」と述べましたが、ここにも祖父岸元総理の姿が重なります。
37年前の1978年 議員引退表明会見の中で、岸元総理も同様の発言をしています。
「この憲法はいうまでもなく占領下において日本に押し付けられた憲法でありその原文は英語で書いてあり、それを翻訳したものである」
ここでいう押し付けられた憲法とは、日本政府が作った日本国憲法の草案に納得しなかった連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、GHQ内に1週間で作らせた独自の草案のこと。安倍総理と祖父である岸元総理との共通点には、この「押し付け憲法を作り直す」という強い意思があるのです。
さらに、両氏には、「批判を受けてもいつかは評価される」という確信もあります。
果たして、安倍政治はこれからどうなっていくのでしょうか?
「身体を張り命をかけて政治を行う、このことは岸元総理と安倍総理に非常に共通する点であり、それはひとことでいえば、“志”という言葉だろう」という清原淳平氏(自主憲法制定国民会議会長)の言葉からは、大きな期待が感じられますが、一方で、学生を中心としたSEALDsによる反対運動などの事態、さらに同じ自民党内である小泉進次郎議員の「国民の理解なくして、政策は遂行できない」と指摘する声からは危機感も感じられます。
祖父から受け継いだ“志”がどこまで突き進んでいくのか、国民の今後の評価が注目されます。
選挙ドットコム編集部
編集部より:この記事は、選挙ドットコム 2015年12月15日の記事『「突き進む安倍総理の想い」祖父・岸信介の面影から紐解く! ~ドキュメント「安倍政治ってなんだ?」を視聴して~』を転載させていただきました(見出しはアゴラ編集部で改稿)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は選挙ドットコムをご覧ください。