震災という大惨事を経たこの混沌と、不安と、自信喪失が蔓延する世情の中、政治家の役目は長期的な復興に向けた政策ビジョンを提示することにほかならない。
特に今回、福島第一原発における災害と放射能汚染対策という問題は、今後10年~20年単位で長期にわたる処置と対策が必要とされる。また今後の我国における原子力政策は、国家の成長戦略と、国民の理解の狭間で、避けて通れぬ大きな選択を強いている。
この局面において政治家に課された職務はそれぞれが信ずるところの政策ビジョンを、主権者たる国民に訴え、説得することだ。
震災直前までの原子力政策をそのまま踏襲することはさすがに不可能だろう。しかし現行の原子力発電システムを修正し、安全性を向上させ、次世代エネルギー開発にも注力する現実的な政策スタンスと、現行の原子力発電システムの全廃を目的とし、次世代エネルギー開発に全力をあげるという積極的な政策スタンスという二者の間で、国民は選択を強いられる。
原子力政策に限らず、復興の財源確保という大問題に関しても、国民の面前で政治家はその説明責任を果たさなければならず、国民に選択肢を示さなければならない。
にもかかわらず、報道を見るかぎり目下政治家連中が血道を上げているのは政策議論を脇においた「大連立」構想だというのだから、あきれる。
「力を合わせて」などと言えば聞こえはいいが、本当に力を合わせているのは現場の人間だ。戦略を練る立場の人々が軽々しく口にすべき言葉ではない。
「大連立」というものの正体は、「オレたちの間で話がついていればなんでもできる」という政治家・官僚という人種の内輪の「思い上がり」であり、説明責任を出来るだけ回避したいという「ナマケモノ」の根性であり、「失敗」の結果責任の所在をウヤムヤにしようという「卑怯者」の論理だ。
日本という国は、アジアの中で民主主義が戦後60年間、まがりなりにも機能してきた貴重な存在だ。この国情不安定な時期に、日本の民主主義を守るということは、政治家の大事な役目だ。その為には自らの職務を正しく理解し、それを全うし、自らの地位を賭して国民に選択肢を提示することが、今彼らに課せられた責務なのだということが分からないのだろうか。
「政治活動を自粛」などという本末転倒のスカタンな発言は「政局」を「政治活動」とカンチガイしていた政治屋の言葉だ。
また「大連立」というポーズの裏で、今回の災害でその不条理を暴かれた原子力政策に関する産官学複合体の悪弊への糾弾を避けようという気配が見え隠れすると思うのは私の気のせいだろうか。
所詮、政治家、官僚などというものは「国」という組織の歯車に過ぎない。「自分たちが団結してこの難局に」などという美辞麗句に自己陶酔している「思い上がり」はこの際お呼びでない。
国民は団結している。あなたたちが馴れ合う必要は全く無い。
(矢澤豊:英国法廷弁護士、Foundation Advisers Limited代表)





