日本の法律上の信託は、英米法のトラストを継受したものだが、継受に際して、信託はトラストと微妙に異なるものになったのである。
信託にしろ、その本家のトラストにしろ、そこには委託者、受託者、受益者の三者があるが、信託の本質からすれば、受益者の利益の保護が信託の目的なのだから、主役は受益者であって、専らに受益者の利益のために働く受託者の義務こそが信託の中核になければならないのである。
実際、英米法のトラストは、受益者の利益の保護と、その保護に実効性を与えるための受託者の義務、即ちフィデューシャリー・デューティーを中核に構成されている。そこでは、委託者はトラストが成立した瞬間に消去されているようなものである。この点、委託者と受託者との間の契約関係を中核にしている日本の信託とは大きく異なる。日本の信託の場合、肝心要の受益者が主役であるとする構成に弱みがあるのである。
ところで、日本国憲法の前文には、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と書かれている。ここにいう信託は信じて託するという日常語だが、実は、日本の法律上の信託よりも信託らしい。
国民は委託者として政治権力の成立を信託するが、ひとたび成立した政治権力のもとでは、一方で、国政の利益を受ける受益者となるものの、他方では、国民としての義務を負う存在となり、国民の委託者としての地位は消滅し、国民の受益者としての権利と、国民の受託者としての義務だけが残るわけである。
つまり、日常語としての信託では、委託者の信託行為は起源の問題にすぎず、後に残るのは受益者と受託者だけなのである。法律用語としての信託もまた、同様に解すべきではないのか。そのほうが本家本元のトラストに近いのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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