日々理解しがたい現象が観測される韓国情勢だが、文在寅大統領の反日活動については、これまでより一段踏み込んだ「北朝鮮主導の朝鮮半島統一を真剣に追及する動き」だと考えるべきではないか。
「GSOMIA放棄は自傷行為」という捉え方には、否定はしないが今少し慎重に見極める必要があると考える。本稿では日本人にとっては理解の域を超えた韓国特有の考え方を検証したい。
韓国特有思考:韓国は日本にならば何をしても許される
安倍総理の人形を痛めつけ、“NO”のOの字を日の丸にして日本を全否定し、日本製品を打ち壊し発狂する。韓国人の行動に関する刺激的な写真や動画が日々晒される。
日本人からするといかにも哀れに見え、時には強く憤慨したりもするが、「なぜそんな野蛮なことをするのか?」までは理解できない。しかし、彼らにとっては極めて論理的なの行動である。韓国では「感情の赴くところに従って行動する」ことは決して非難されることではなく、「反日行為=愛国行為」なのである。
ただし、その思考と行動の根拠自体は韓国特有の妄想なので、残念ながら「発狂している」ようにしか見えない。ではその根拠となる妄想的定理とはいかなるものか。
前提となる定理 ① 加害者・被害者の関係性は永遠
2013年3月1日の朴槿恵大統領(当時)の「千年恨」表明はまさにこれである。確かに、この感覚自体は実は日本人も持っている。しかし適切な謝罪や償いがなされると、日本人は感情の整理を行い、本音は別としても建前としては永遠に加害者を非難し続けることはない。
更に「世代交代が進んでも加害国と被害国は永遠に固定化された関係性」という韓国人の「恨」の思想は日本人には理解できない。例えば、蒙古襲来は今や歴史的事象であり日本人の多くには「対馬島民を虐殺して許せない」という感情は余りない。しかし朝鮮の人々の中には「朝鮮出兵で日本(秀吉)に蹂躙されたから許せない」という感情はあるらしい。
前提となる定理 ② 被害者と加害者は、道徳的な観点から絶対的な上下関係を形成する
一度被害が認定されると、「無敵の被害者」という地位に上りつめる。晴れて「被害者様という両班(貴族的身分)」に昇格だ。
一方、ひとたび謝罪して加害責任を認めると、「最弱の加害者」という地位に転落する。「加害者という奴婢(賤民的身分)」の誕生だ。特に人道的な罪、つまり道徳的な罪は永遠に身分の上下関係を固定する。
前提となる定理 ③ 被害者は加害者に対してどんな加害も許される
これは、日本人には「そう感じることはあるが(=感情)法治国家では許されない(=理性)」考え方である。裁判制度の元では私的報復は不適切であり、罪の大きさに応じて罰にも適切な許容範囲がある。
しかし、韓国では「感情の赴くところに従って行動する」ことは時に法を超える正義となるのでこの定理は支持される。
定理に基づく論理展開
これら3つの韓国独特の「定理」に、次の虚妄の前提条件が与えられると恐ろしい論理展開(演繹)が始まる。
【前提条件】戦時日本人は朝鮮民族に対し侵略や強制連行など非人道的な悪行を行った
演繹1:前提条件より、日本は朝鮮民族に非人道的な悪行を行った。
演繹2:その結果、邪悪な加害者日本のせいで、韓国は被害者になった。
演繹3:定理①加害・被害の永遠性より、日本は永遠の加害者で韓国(朝鮮)は永遠の被害者となった。
演繹4:そのため定理②被害者と加害者の上下関係も考慮すると、韓国は「被害者様という両班的(貴族的)身分」となり、日本は「加害者という奴婢(賤民)」となった。
演繹5: 定理③被害者の永久無限加害権により、被害者である韓国は加害者である日本に対しては、無慈悲に、永久無限に何をしても良いのである。
【結論】韓国は日本にならば何をしても許される
「日本にならば何をしても許される」に由来する現象
盗んだ仏像を返さない。慰安婦財団を勝手に解散する。日韓基本条約も合意も守らない。火器管制レーダーを照射する。国旗を燃やす。うそをつく。反日ヘイトデモをする。GSOMIAを破棄する。
何をしても許される。だって日本だから。これからも何をしてもよい。日本相手なら。
この、「日本にならば、何をしても許される」という無敵の鞭は、最近一層激しく打ち鳴らされている。この「両刃の剣」は実は自分たちをも傷つけているのだが、彼らは気が付いていない。
(次回につづく)
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。