東京電力刑事裁判の判決
東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された同社元会長ら旧経営陣3被告人に対する判決公判が9月19日東京地裁で開かれ、永渕健一裁判長は、「津波の予見可能性があったと認定することはできない」と判示して、全員に無罪(求刑禁固5年)を言渡した。
本件刑事裁判の最大の争点
本件刑事裁判の最大の争点は、巨大津波を旧経営陣3被告人が予見できたかどうかである。
政府の地震本部は平成14年「マグニチュード8.2前後の津波地震が福島県沖を含む日本海溝沿いのどこでも発生し得る」との地震予測「長期評価」を公表した。これに基づき、東電子会社は平成20年に最大15.7メートルの津波試算を示していた。
これを根拠に、検察官役の指定弁護士は、「3被告人は津波試算に接しており、津波の襲来を予見できた」と主張した。これに対して、弁護側は、「津波試算のもととなった長期評価は信頼性がなく、予見可能性は認められない」と主張した。
判決は、「長期評価は津波地震がどこでも発生し得るとしているが、具体的な根拠が示されず、信頼性には疑いが残る。被告人らは長期評価に基づく津波の数値解析で津波の高さが15.7メートルになることなどは認識していたが、長期評価の信頼性は認識していなかった。したがって、直ちに防潮堤工事などに着手し、完了まで原発運転を停止するなどの結果回避義務を課すにふさわしい予見可能性があったとは認められない」と判示して、被告人らの本件における刑事責任は問えないとした。
本件刑事裁判に関係する重要判例の立場
本件業務上過失致死傷事件に関係する重要判例によれば、「過失の要件は、結果の発生を予見することの可能性とその義務及び結果の発生を未然に防止することの可能性とその義務である」(最決昭42・5・25刑集21・4・584=佐渡弥彦神社事件)。
即ち、過失犯の成立には、予見可能性と結果回避可能性が必要とされる。
そして、「予見可能性とは、内容の特定しない一般的・抽象的な危惧感ないし不安感を抱く程度では足りず、特定の構成要件的結果及びその結果の発生に至る因果関係の基本的部分の予見可能性を必要とする。」(札幌高判昭51・3・18高刑29・1・78)とされる。
即ち、一般的抽象的危険性の認識では足りず、具体的現実的危険性の認識が必要とされるのである。その理由は、前者の認識だけで十分だとすれば、刑事罰の範囲が広がり過ぎるからである。
関係重要判例に照らせば、本件無罪判決は妥当な判断
本件判決による、「長期評価の信頼性には疑問があり、被告人らは数値解析による津波の高さ15・7メートルなどは認識していたが、長期評価の信頼性を認識していなかったから、直ちに防潮堤工事や原発運転停止などの結果回避義務を課するに値する予見可能性があったとは言えない」との事実認定を前提とすれば、被告人らは津波発生の一般的抽象的危険性を認識していたに過ぎず、具体的現実的危険性までは認識していなかったと言える。
そうすると、上記関係重要判例に照らせば、本件無罪判決は妥当な判断であると言えよう。
「反原発運動」に利用された東京電力刑事裁判
「想定外」とされた巨大津波による本件原発事故の被害は誠に甚大であった。しかし、現行の刑法「過失犯」の法体系では、旧経営陣ら個人の刑事責任を問うことは困難である。
検察官役の指定弁護士は、そのことを承知の上だったはずだ。何れにせよ、この裁判は強烈な「反原発運動」のイデオロギーが根底に存在する。いわば本件刑事裁判は「反原発運動」に利用されたと言えよう。
しかし、資源の乏しい日本における「エネルギー安全保障」の観点、そして、日本の「国家安全保障」の観点、即ち、原発再稼働による世界最高水準の原子力技術に裏打ちされた「潜在的核保有能力」の維持確保の必要性の観点も無視すべきではないであろう(8月23日「アゴラ」掲載拙稿「日本の安全保障:反原発・脱原発の流れは極めて危険」参照)。
加藤 成一(かとう せいいち)元弁護士(弁護士資格保有者)
神戸大学法学部卒業。司法試験及び国家公務員採用上級甲種法律職試験合格。最高裁判所司法研修所司法修習生終了。元日本弁護士連合会代議員。弁護士実務経験30年。ライフワークは外交安全保障研究。