東京のメディアでは全くと言っていいほど話題になっていないが、沖縄県の玉城デニー知事が、県の業務を委託した業者側と契約の前日に会食していたことが、9月30日の県議会で野党・自民党の追及を機に発覚し、ちょっとした政局になる可能性も出ている。
沖縄の自民党は2014年の知事選で敗れてから野党の立場に甘んじ、国政選も連敗続き。昨年の翁長前知事の死去で県政奪還のチャンスだった知事選も蓋を開ければ完敗し、最大の争点だった普天間基地の辺野古への移設も、玉城知事の公約ではじめた県民投票で7割が反対するなど、やられっぱなしの展開だった。
玉城知事は「あくまで私的な懇親会に参加したという認識で、いつが契約日か知らされておらず、手続きなどは担当部局に任せていて一切関知してない」と問題なしの構えを見せたが(出典:NHKニュース)、沖縄タイムスによれば、沖縄自民の幹部は「知事の辞職も視野だ」と息巻く展開に。ひさびさの反転攻勢のチャンスに活気付いているようだが、果たして目論見どおりにいくのだろうか。
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折しもこの半月ほど自民党沖縄県連前会長の國場幸之助衆議院議員の著書『「沖縄保守」宣言』を読んでいたところで、感じるところがいくつかあったのだ。
政治家の本は、選挙を見越した地元での政治活動の名刺がわりのツールに作られることが多く、ポジショントークや政策実績の「逸話」を凝縮したようなものだ。著者とは面識もないので読む前は「沖縄政治の参考資料になれば」というくらいで、実は、ほとんど期待していなかった。
しかし、1995年の米兵少女暴行事件を機に、日米関係を揺るがしはじめた沖縄の平成を振り返るところをはじめ、沖縄戦後政治史の入門とも言える部分はわかりやすい。
大田昌秀、稲嶺恵一、仲井眞弘多、翁長雄志ら歴代の知事の人物像、あるいは自民党の政治家たち、特に野中広務氏、橋本龍太郎氏ら経世会(竹下派)がどのような思いで基地問題に苦心してきたのか、文献だけでなく、著者が直接本人たちから聞き出した話などは、インサイダー本ならではだろう。
本書副題の「壁の向こうに友をつくれ」は、主義主張の違う人とも友達になれという大田氏から著者への助言が由来。大田県政では、橋本首相と連携して、途中まで辺野古移設に協力して問題が前進した時期もあった。
また、野中氏が1962年に返還前の沖縄に初めて訪れた際に、タクシーの運転手が突然車を止めたので理由を尋ねると妹が沖縄戦で日本軍に殺害された場所だったという鮮烈な出来事が氏の沖縄問題の原体験になったという逸話も惹きつける。
著者は、保革を問わず、先輩政治家たちからそうした「薫陶」を受けてきたことを振り返りながら、沖縄問題に取り組む中央の政治家には「ちむぐくる」が必要だという。これは人の痛みを我がこととして受け止める、という沖縄の方言。当事者と微妙に距離感のある「寄り添う」とも異なり、一体となる意味合いがあり、野中氏や橋本氏らには沖縄の人たちとの「『ちむぐくる』があった」と強調する。
また、著者自身は宏池会(岸田派)所属だからか、中島岳志氏との対談に引きずられ過ぎたからからか、「保守の本質は寛容性」「保守とはリベラル」といった価値観が本書でやたらに強調されるきらいが本書にある。
とはいえ、全体的に裏読みをすれば、安倍政権の沖縄政策に「ちむぐくる」が足りないという思いが行間から滲み出ている。それだけ「ちむぐくる」を強調せねばならないのは、いまの沖縄と本土の心理的な距離が拡大しきっていることに苦悩しているからであろう。
著者自身も日韓関係との共通要素として挙げるように沖縄のことは「論理や法律、政策の問題ではなく感情の問題」が根強い。翁長県政が本土からの差別にもう我慢ならないと県民を扇動し、中央政界との対立構造を深め、日韓関係を彷彿とさせるほどこじれてしまった現状からすれば、著者が理想とするように、自民党政権が「ちむぐくる」を取り戻すという精神論だけで沖縄県政を取り戻せるかと言えば、果たして微妙なところだ。
その点、著者が台湾元総統の李登輝氏から「苦しい思いをした世代は世の中を変えることができない。世の中を変えるのはその子どもたちの世代だ」と聞かされたことを敷衍すれば、県民感情が冷静になるまで、それこそ沖縄の保守勢力も含めた世代交代が進むくらいに、時間を要するのではないか。もちろん、その間に取り返しが付かないことになるリスクとのにらみ合いではあるのだが。
新田 哲史 アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」