首里城全焼の出火原因をめぐり、地元紙の報道姿勢が玉城県政に忖度するようなことがなければいいが、と今朝の記事で書いたばかりだが、どうやら杞憂が現実になってしまうかもしれない。
琉球新報は2日朝、「首里城焼失 国が防火設備撤去 安全管理の見通しの甘さ浮き彫り」と題した記事を掲載し、午前9時すぎに電子版でも配信した。リードの文章にもあるように、今年2月に管理が県に移管される前の段階で、「正殿の外に設置されていた「放水銃」と呼ばれる消火設備5基のうち1基を、2013年12月までに国が撤去していたことが1日、分かった」などと、国に責任があったと指摘している。
琉球新報は図面を掲げて、残った4基の放水銃について「火災による熱で近づけなかったため、使用できなかった」(記事より)などとして、もし国側が撤去した1基があればなんとかなったかのように言わんばかりだ。
ここでよくよく考えて欲しい。消防隊が近づくのも容易でなかった、あれだけの火災である。仮にその撤去された1基があったところで、初期消火ができたかと言えば現実は難しいだろう。撤去された消火器が、御殿が焼失した有料エリアの外側に近いところにあったのであればいざ知らず、昨日のNHKの報道によれば、正殿北側で最初に出火を発見した警備員のコメントは警察の調べに対し、こう述べている(太字は筆者)。
「通路内にある正殿に入る階段を数段上がったところで、息ができなくなるほど煙が充満しているのを確認した」
正殿に発見段階でかなり煙が充満しているのだから、この警備員の証言が事実だとすれば、放水銃1器があっても初期消火を遂げることができたのかどうか。筆者は防災の専門家ではないが、常識的にみて疑問だ。
琉球新報の記事は、首里城公園を管理する沖縄美ら島財団の記者会見と広報担当者(県側)、内閣府の沖縄総合事務局(国側)らの取材に基づいているようだが、財団および県の担当者を含めた県側のバイアス、もしくはそもそもの記者たちが日頃の報道から感じさせる「国が悪者、県が正義」というバイアスで書き立てているのではないか。
しかも記事がセコく見えるのは、リードの文章で放水銃の撤去が判明したと書いておいて、
今回の火災は、スプリンクラーなどの消火設備の不足が大規模な延焼につながったと専門家らは指摘しており、安全管理の見通しの甘さが改めて浮き彫りになった。
などと付け足している。結局、論点がスプリンクラーなどの設置不足になりつつあることは記者も認識しているのだ。
それでも、放水銃の撤去が事実であったとしても、見出しで「国が防火設備撤去」を強調するということはどういうことか。不備があるのであれば、国から管理が移管されたこの8か月間、県は何をやっていたというのだろうか。
新聞業界の常識からすれば、これだけの大事件の記事の紙面構成や見出し付けは、上層部の意向を抜きに進めることは考えにくい。けさの記事でも懸念したように、玉城県政に忖度して、県側の管理責任に対する追及を甘くし、県民感情の矛先を国に向けるという「角度」を付けようとしているのではないか。
問題解決よりも目先の揚げ足取り、足の引っ張り合いに終始する。(県政としては与党側だが)こういう万年野党体質のジャーナリズムが県民世論を歪んだ形で煽りたて、国と沖縄の分断を作り出しているのだ。首里城火災をめぐる現地発の報道にはこれからも注意が必要だ。国政と県政の対立を背景に、首里城火災という誰もが悲しむ事態ですら、メディアによる不毛な情報戦が起きようとしている。
新田 哲史 アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」