死亡した告発医師の礼賛報道で却って露見する中国政府の隠蔽体質

高橋 克己

一向に収まる気配のない新型肺炎は、9日正午前の報道によれば28の国と地域に広がっており、世界の感染者は37,500人を超えたという。中国以外の地域での死者の数は不詳だが、幸いまだ一桁台であろうとのことだ。

武漢の新設病院の搬送受け入れの様子(新華社動画より)

中国では、9日朝の中国日報英語版によれば、感染37,198人、死者811人とのこと(いずれも前日までの累計)。このうち武漢市のある湖北省の感染は27,100人で死者は780人。従い、湖北省以外の感染は10,098人で死者は31人ということになる。

まさに現地が「武漢肺炎(Wuhan Pneumonia)」と呼ぶに相応しい状況だが、公式にはまだ2019nCoVで、SARSやMERSといった名はない。MERSの由来するMiddle East(中東)などの、特定の地名などを呼称にすることが好ましくないとの配慮のようだ。

中国のここ6日間の数字では、感染の増加が漸減傾向の一方、死者は隔日で10名余りずつ増えている。突出して死亡率の高い湖南省武漢市に設けられた、だだっ広い建物に仕切りもなく置かれた多数のベッドの画像を見るにつけ「入ったら最後、生きて出られない収容所」を髣髴する。

中国での武漢肺炎の状況(環球時報と中国日報から筆者作成)単位:人

摘要

感染者

死者

全土 増加 湖北省 増加 他地域 増加 全土 増加 湖北省 増加 他地域 増加
2月4日 20,438 3,233 13,522 2,345 6,916 888 425 64 414 64 11 0
2月5日 24,324 3,886 16,678 3,156 7,646 730 490 65 479 65 11 0
2月6日 28,018 3,694 19,665 2,987 8,353 707 563 73 549 70 14 3
2月7日 31,161 3,143 22,112 2,447 9,049 696 636 73 618 69 18 4
2月8日 34,546 3,385 24,953 2,841 9,593 544 722 86 699 81 23 5
2月9日 37,198 2,652 27,100 2,147 10,098 505 811 89 780 81 31 8

さて、中国時報と環球時報はここ数日、6日に死亡した李(Li Wenliang)医師のことを立て続けに報じた。どの記事も彼を”whistleblower”(内部告発者)として礼賛し、彼を拘束した武漢市当局を非難する論調で、中央政府による武漢市と湖北省への責任転嫁ぶりが目に余る。

亡くなった李医師(新華社サイトより)

武漢市や湖北省の対応は問題だ。が、地方の末端までを統制する中国共産党中央政府が、この事態に口を拭い、責任の多くを地方に押し付けて済むと思ったら、それは飛んでもない思い違いだ。一部に「中国が対応の不備認める」とする報道があるが、新華社を読む限りそういう事実はない。

そこで本稿はこの問題での習体制の隠蔽体質と責任転嫁ぶりを改めて振り返ってみる。

先ず李医師が何をなしたかについては、反中紙として知られる「大紀元」に詳しいので、その過去記事から紹介する。1月31日の大紀元「<新型肺炎>“デマ”流布で公安が処分した8人は全員医師だった」は概ね次の要旨を報じた。

中国メディア「北青深一度」は1月27日、医師8人の内の1人に取材した(記事は情報統制で後に削除)。この医師は12月30日午後5時半頃、SNSの医療関係者内のチャットグループに、「華南海鮮市場でSARS感染者7人が確認された」と病原体検査結果の写真と共に投稿した。

彼はコロナウイルスの可能性があるとした上で、他に漏らさないように念を押したが意に反し流出、他の医師も各々の医療関係者チャットグループに「一家3人がSARSに感染した」などと投稿し、1月1日にはほぼ全ての医療関係者のグループにこの情報が流れたという。

1月1日に国営中央テレビ(CCTV)は、武漢市公安当局が「デマ」を流した8人を法に従って処罰したと発表したと報じ、その後この肺炎の発生について言及する医師はいなくなった。そして取材を受けたこの医師もこのコロナウイルスに感染した。

12日に症状が現れ14日に隔離された。24日に集中治療室に移され、医師の両親も感染したという。他の7人の医師も治療に従事しており、これら報道を受けて、彼らが尊敬に値する人物だ、と8人の医師の処分の見直しを求める声がネットなどで高まった。

そのためか、中国最高人民法院は28日、SNSの文章で法的処罰を受ける必要はない、と異例の判断を下したという。この医師が李氏だったという訳だ。国営中央テレビが新型コロナウイルスによる肺炎の発生を初めて報道したのは1月9日、とその大紀元の記事にはある。

同記事によれば、10日には国家医療専門家チームが、感染はコントロール可能な状態で医療関係者の感染は起きていないと発言した。が、翌11日に武漢市で初の死者が出た。また同記事は、武漢市の医師と中国疾病予防センターの専門家が1月29日に発表した研究結果も報じている。

それは、12月から1月22日までの425人の新型肺炎感染患者のデータを、彼らが分析した医療雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の発表だ。同誌によれば、人から人への感染が12月中旬には既に発生し、1111日までに7人の医療従事者が感染していたとされる。

が、武漢市当局は1317日までに新規感染者はいないとし、さらに1117日には湖北省で両会(議会)が開催された。また19日には「万家宴」という大宴会を開かれ、これへの参加によって“濃密接触”が生じたとの報道もある。

左様に酷い武漢市と湖北省による情報隠蔽ぶりだが、これが武漢市と湖北省による全く独自の判断だったなら、中央政府による批判にも一理あろう。が、武漢市と湖北省のトップが1月26日に開いた記者会見で、自らの無能さのみならず中央政府の隠蔽体質をも暴露してしまった。

26日の記者会見は、この省と市が開いた初の会見だったが、22~23日にWHOの緊急委員会が開かれたことがきっかけであったろう。事態の中身は1月29日のNewsweekの遠藤誉氏の記事に詳しいので、その一部を要約引用させていただくと次のようだ。

記者会見する武漢市の周先旺市長(湖北省人民省サイトより)

演壇には、中国共産党湖北省委員会秘書長、湖北省省長、そして武漢市市長が並んだ。市長がマスクの数を間違えた画像などがニュースで流れたが、重要なのは会見後に起きたこと。帰り際、CCTVにマイクを向けられた市長がこういったというのだ。

武漢がすぐに情報を発信できなかったのは、上層部が私に発表する権限を与えてくれなかったからだよ。もっとも、武漢市封鎖の決定は、この私が下したんだけどね。

つまり、「1月3〜17日までに新規感染者はいない」とし、「11〜17日には湖北省で両会を開催」したのは、上層部からこの肺炎の状況についての情報発信を止められていたからだ、と暴露してしまったのだ。この市長は「新型肺炎が始まってから、もう500万人が武漢を離れてるさ」ともいったとされる。

遠藤氏は「武漢の人口は18年末統計で1,108.1万人だが、武漢に戸籍を置いている人口は883.73万人で、残りは流動人口なので、まさにこの500万人に近い」と詳細な数字を挙げ、また「万家宴」を開いたのは「武漢市長その人ではないか」と難じている。

農民工など出稼ぎ労働者の春節の帰郷や春節前の「万家宴」は中国伝統だ。箝口を命じられた武漢市長が出稼ぎの帰郷や「万家宴」を止められなかったのは、習近平の中央政府が春節での海外旅行を禁止できなかったのと変わりがない。どちらも全体主義国幹部の保身のための隠蔽体質に根がある。

そこで冒頭の李医師の礼賛報道に戻れば、記事は彼が共産党員だったなどとさり気なく書く。が、共産党独裁政府の御用紙二紙が報じるネットでの李医師礼賛の声の裏には、当局に削除された何千何万倍もの中央政府批判の声があるに違いない。

ルトワックは『中国4.0』(文春新書)で、「党と政治と軍のトップ」であり、「美しい妻」と「健康な身体」を持つ習近平が唯一手にしていないものは、「彼に真実を伝えてくれる人材だ」と喝破した。が、武漢の状況を知らなかったとしても、それは独裁者習近平の不徳の致すところであり、他に転嫁のしようもない責任だ。