JR西社長起訴と処罰の希望 - 岡田克敏

岡田 克敏

 神戸地検は山崎正夫JR西日本社長を7月8日、業務上過失致死傷罪で在宅起訴しました。朝日の9日朝刊には、「明石のトラウマ」を抱える神戸地検は、今回の捜査で被害者全員にどんな処罰を求めているかを尋ねる手紙を送り、面談を希望する人には担当検事らが直接応じてきた、と記されています。

 「明石のトラウマ」とは01年7月花火大会で混雑する歩道橋上で11人が死亡した事故で明石署長らを不起訴としたことに対する負い目という意味のようです。この負い目のために神戸地検は被害者全員に「処罰の希望」を尋ね、「難易度の高い捜査」に対し4年間も頑張ってきたということが読み取れます。


 検察が被害者に「処罰の希望」を尋ねたそうですが、それが捜査に影響を与えなかったと言えるでしょうか。マスコミや世論に対する検察の過剰な迎合は医療事故における医師の逮捕に結びつき、医療崩壊の一因となりました。強すぎる迎合姿勢は法の恣意的な運用に結びつく危険があり、司法への信頼性に影響を与えます。「被害者とともに泣く検察」という言葉は感情的な迎合姿勢を象徴したものと私には思われます。

 被害者の「処罰の希望」が妥当なものとなるためには、事故原因の明確な解明と理解が前提となります。事故が予想困難な原因による不可抗力、またはそれに近いものであれば処罰を要求する気持ちは小さくなります。逆に必要な注意義務を怠っていたとなれば処罰要求は大きくなるでしょう。

 JR側の過失がどんなものであったかはこれから争われることで、それが決まらない段階で処罰要求を尋ねることには問題があると思います。仮に検察側の主張に影響された認識の上での処罰要求ならば、これは意味のあるものとは言えないでしょう。

 もうひとつ気になる点があります。

 今後の裁判では事故の予見可能性が焦点になるとされています。96年にカーブを半径600mから304mに付け替えた、函館線のカーブでの脱線事故が例になったはず、など危険性を予見できたのに新型ATSを設置しなかったというのが検察側主張の要点とされています。

 一方、事故の直接の原因はスピード超過のままカーブに進入したこととされています。70km/hのところを116km/hですから1.66倍です。転覆の時に働いた遠心力は速度の2乗に比例しますから2.75倍となります。

 私達は車を運転していてカーブにさしかかるとき、このカーブは半径何mであるから時速何kmで進めば安全だ、などとは考えません。目前のカーブの曲率と速度との関係を直感的に判断して安全な速度に落とします。1.66倍というような大幅な超過には恐らく恐怖を感じるでしょう。この場合の体感速度は2乗の2.75倍の方に近いように思います。速度規制に加え、このような仕組みがあるので数千万台の車が転覆やはみ出しをせずに通行できているのだと思います。

 鉄道と同様、高度の安全を求められる公共交通機関であるバスでも同じで、大幅な速度超過で転覆することはないという前提で走っています。つまり運転者への信頼性は現在の交通体系の基本的な条件です。

 運転士のエラーに対する予見可能性は現在の交通体系に於ける運転者への信頼性に関係します。つまり速度超過による転覆事故が時折あるという認識では予見可能性はあったとなりますが、信頼性が十分でまず起こらないという認識であれば予見可能性はないと言えるでしょう。

 結局、予見可能性は事故確率とそれの許容限度の問題と言えるでしょう。しかし絶対的な基準があるわけでなく、航空機の事故率などを参考にして求めるしかないと思われます。裁判では確率を含めた客観性の高い議論を期待したいところです。

 もし判決が予見可能であったと認めれば、国や事業者はバスなど他の交通機関にも速度超過による転覆の可能性を見込んだ対策を迫られる可能性があります。速度超過による転覆事故に於いて、列車とバスを区別する合理的な理由はないと思われるからです。バスならたまには転覆してもよいというようなことはあり得ないでしょう。カーブの曲率に応じた速度制御信号を送信する機器を道路側に設置し、バス側に受信機と警報装置や制御装置を取り付ける方法は技術的には可能と思われます。

 9日の日経は「結果の重大性から、誰かを起訴しなければならないという結論ありきの捜査ではなかったか」という松宮孝明氏のコメントを載せています(逆に起訴を評価する土本武司氏の意見も同時に掲載)。また「米国などでは航空・鉄道事故で経営者個人の刑事責任を問わないのが原則。高度な技術が複雑に絡み合っているケースが多い上、訴追される可能性があると当事者らが真相を明かさず、原因究明や再発防止の妨げになるとの考えからだ」と記しています。

 責任追求は民事だけにして、被害者の報復感情より再発防止を優先するというのもひとつの見識だと思います。

参考拙文厳罰化傾向とマスコミ報道

コメント

  1. Piichan より:

    検察は国民の代表として公訴権を行使するのが仕事だからこそ、「国民が納得する捜査」を常にこころがけるべきだとおもいます。

    今回の起訴は国民が本当に納得するものとはおもえません。

  2. bobbob1978 より:

    この件に関してはシステムエラーよりもヒューマンエラーの面が大きいと思います。日勤教育などに問題があり運転手に過度な心的ストレスたかかっていたのは確かですが、それでもこのような大事故を予見出来るものではありません。ヒューマンエラーの面が大きくシステム面で予見出来る不備がない以上、社長の刑事罰を問うのは相当苦しい解釈だと思います。
    私は電車の操縦に関しては全くの無知なのですが、この件のように運転手が自己コントロールを失った際などに、後部にいる車掌がブレーキを掛けたりすることは可能なのでしょうか?もし不可能なのであれば、今後は緊急の事態に備えて予備の操縦システムを組み込むなどの対策が必要になってくると思います。

  3. satahiro1 より:

    日本の裁判で無罪になるのは、わずか0.01%だと言います。
    http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/38d4a7aab7eb22e556d128473c233b71

    警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判にかけられればなんらかの罪がある、と私たちは感じてしまいます。

    >マスコミや世論に対する検察の過剰な迎合は医療事故における医師の逮捕に結びつき、医療崩壊の一因となりました。強すぎる迎合姿勢は法の恣意的な運用に結びつく危険があり、司法への信頼性に影響を与えます。

    108人もの犠牲者が出たこの事故では、4年と言う時間をかけて刑事事件として立件され、関係者が起訴されました。
    これは、「正義」が希求され被害者・遺族の心が慰撫される一歩、となるのでしょうか?
     

  4. satahiro1 より:

     
    確かにこれだけ大きな事故が起き、それを引き起こした加害者側が処罰されないならば、「正義」が実現されていない、と考える人もいることでしょう。
    神戸地検は山崎正夫JR西日本社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴したことで「正義」が実現される、と考えるかもしれません。

    しかし、被害者の報復感情に重きを置き過ぎる検察は、”処罰感情・報復感情”と言う祭壇に生贄の羊(スケープゴート)をほふる祭司のようです。

    確かに社会において正義を実現し、社会不安を防止する役割が検察に与えられているかもしれませんが、世論・被害者感情におもねる法の運用は、その資格を揺るがすことになるのではないかと危惧します。
     

  5. hogeihantai より:

    地検の明石に於ける不作為、JR西に於ける作為を防ぐ対策が新しい裁判員制度だと思います。

  6. courante1 より:

    冷静なご意見をいただき、ありがとうございます。たいへん参考になりました。

    もうひとつ気になることは被害者感情重視の傾向のために、法の運用が変わってきているという事実です。事後法の禁止という考え方がありますが、運用の大きい変化は、実質的にそれに相当する可能性があると思います。つまり後出しじゃんけんです。

  7. hogeihantai より:

    公共の大量輸送交通機関、例えば旅客機、電車等の事故ではその捜査は再発防止に重点を置くべきで関係者は免責されるべきだ。免責することによって関係者から正確な証言を得ることができ、惨事の再発を防ぐ対策を打つことができる。

    捜査も警察の管轄とせず米国のNTSB国家運輸安全委員会の様な専門的な技術集団に任せるべきだ。警察には調査能力はない。20年前の日航機事故でも警察が調査したが事故原因を解明したのは米国の調査団だった。

    米国では飛行機と同様、電車事故でも免責されるかどうかはしらないが、日本では電車輸送の安全は米国よりはるかに重要だ。高速リニアカーも近く着工される。未体験の事故が発生したときの再発防止には免責することが大切だ。

  8. satahiro1 より:

     
    例えば、東京地検特捜部は西松建設事件に関して、小沢一郎前民主党代表の公設秘書が関わる事件で”一敗地”にまみれてます。

    例えば、大阪地検特捜部は、厚生労働省局長が関係する事件を立件しようとしています。
    (その後関係したとされる野党幹部について今後どんな展開が見られるのでしょうか?)
    大阪地検は”正義の味方”を一生懸命に演じようとしています。

    大阪地検は元次席検事であった三井環”氏”が鳥越俊太郎氏の番組に出演する”ちょうどその日に”、検事としてあるまじき行為を行ったとして逮捕しました。

    他のマフィアが活動する国では三井”氏”は確実にケサレテいた、と想像出来るくらいの、組織に反逆した者の末路を見る思いです。

    さて彼らは、ホントウに”処罰感情・報復感情”と言う祭壇に生贄の羊(スケープゴート)をほふる祭司(正義の味方)なのでしょうか?
     

  9. disequilibrium より:

    起訴の是非はともかくとしても、(政局に絡むような問題でもないし、大勢が死亡した事件なので、裁判の場で責任をはっきりさせればよいと思う。)

    なぜ、この人物一人だけが起訴されたのかが一番おかしな点だと思います。

    当時社長だった人物が起訴されることなく、後から社長になった人物が一人だけ起訴されるというのは、
    まるで、この人物が起訴されるためだけに社長になったようなもので、
    これではまさにただのスケープゴートでしかないですよね。

    もし個人を起訴する必要があるなら、当時の社長を筆頭として、事故以前の責任者を含む、関係する責任者全員を起訴して、”誰がスケープゴートになるのか”ではなく、”誰が悪かったのか”をはっきりさせるための裁判をするべきだと思います。

  10. hogeihantai より:

    4年経っても地裁の判決さえ出ていない。日本の裁判制度はこれでいいのでしょうか。時間をかければかけるほど、関係者の記憶は薄れ、死亡する人も出てくる。オウムの事件等は20年かかるのでは。アメリカではJustice delayed, justice deniedといわれる。判決が余りに遅れると正義は否定されたに等しいということだ。

    裁判所に行った人は気づいた人がいるだろう。裁判官の部屋にはこれこれの時間は自習時間という札が出ている。普通のサラリーマンは勉強は仕事が終わってからやっている。勤務中に勉強するなと言いたい。勤務中は全て裁判をやれば裁判にかかる時間も半分で済むはずだ。

  11. satahiro1 より:

     
    今しがた、クローズアップ現代を見ていると、患者の細胞組織からたたみ1畳分の”人工皮膚”を組織培養する技術を持つVBの社長が出演していた。

    彼は”タイムイズマネー”と言い、「VBには時間が全てです。一刻も速く市場に参入しなければならない(そうしなければ患者にタイムリーに技術が供給できない。ましてや、先行者利益に浴することができない)。しかし、新薬審査機関は新しい物には”時間をかけて慎重に”審査するのです…」と述べた。
    彼は3年の予定のところ9年、審査にかかり、毎年12億円の赤字を被った、と言う。
    その顔には、無念さが滲み出ていた。

    米国で新薬審査に関わった京大教授はこう言う。
    「VBは新薬が内包する副作用について過小評価する。このことをよく考えて、慎重に判断すべきだ」

    hogeihantai
    >>アメリカではJustice delayed, justice deniedといわれる。判決が余りに遅れると正義は否定されたに等しいということだ。

    私たちにとって、”慎重・安心・安全”を唱える検察・裁判所・新薬審査機関は一体何なのだろうか???