4.22専門家会議会見の検証:渋谷氏は西浦教授にどう反駁するか?

篠田 英朗

緊急事態宣言から2週間がたった4月22日、専門家会議が会見を開いた。今まで何度か専門家会議の会見を見たが、いちばん曖昧だったような印象を受けた。

これまでも強調してきた提言あるいは要請、たとえば保健所の強化、などがあらためて訴えられた。まあ、それはもちろん重要だ。ただ、2週間という節目で会見を開いたという点を考えると、いささか物足りなさは残った。冒頭から、緊急事態宣言の効果を評価するのはまだ早い、今日は評価めいたことは一切しない、という立場を全員が繰り返し述べ続けたため、2週間の節目で会見を開いたことの意味がなくなってしまったのだ。

それでも質疑応答の中で、質問者に強いられて、西浦教授は、「東京で感染者増の鈍化が始まっていることは確実」、という見解を披露した(下記動画の1時間11分45秒頃から)。

すでに私が繰り返し「検証」シリーズで見てきたように、安倍首相による4月7日緊急事態宣言においては、2週間目の地点における新規感染者増の「ピークアウト」がとりあえず直近の目標とされていた。

西浦モデル検証⑤「日本モデル」ピークアウトへの渋谷氏の反証が待たれる

この目標が達成された、という見解を、私と同様に、西浦教授は披露したのだ。ただし、その見解は、奇妙なことに、記者に質問されて強いられて答えたものにすぎず、なるべく強調したくないような雰囲気の中で、披露された。

もう少し様子を見ないと2週間目の評価も確定的に言えない、という一般論はあるだろう。だがそれよりも、国民意識の弛緩が訪れることを心配したので、あらかじめ評価を口にしないようにするという取り決めを関係者間で図っておいた、そんな雰囲気に見えた。

この点に関して、いくつかの懸念がある。

第一に、最高責任者である安倍首相が緊急事態宣言の際に明言した直近の目標が、完全に無視されていいのか、という問題である。もちろん2週間目に何が起こっているのかということ自体には、途中経過としての意味しかないというのはわかる。だが、だからといって、最高責任者の首相の発言を専門家会議が軽視しているのだとしたら、それは決して望ましい事態だとは思えない。国民が、いったい今何が起こっているのか把握できない不安に駆られる材料にもなる。

日曜昼で閑散とする渋谷センター街(HAMANO/flickr)

第二に、「人と人との接触の8割削減」スローガンの独り歩き傾向が顕著に見える。西浦モデルに沿うことが目的になりすぎて、手段の目的化が生じてきていないか、心配になる。8割削減は、感染者数を減らして医療崩壊を防ぐ、という目的に役立って初めて、意義を持つ。

たとえば何らかの任意の指標にもとづいて8割削減を達成したと言える状態を作っても、感染者数が減っていなければ、何の意味もない。それどころか血眼になって8割削減をした国民は、無駄に疲弊をしただけ、という結果に終わるので最悪である。

「まだ8割削減は達成されていない」、「鈍化が始まっていることは確実」、「まだ緊急事態宣言の効果は評価できない」、「コロナ流行とは向こう1年は付き合わないといけない」といった断片的に語られる発言が、どのように目的・手段関係で結ばれているのか、全く定かではない。

余計なことは考えず、それでどうなるのかということも問いかけたりせず、ただひたらすら盲目的に8割削減のことだけを考えて生きてほしい、と頼まれても、なかなかすっきりした気持ちになれない人が多いのではないだろうか。

第三に、上記の諸点と関係する点だが、専門家会議の関心に偏りがないか心配になる

例えばそれは一言でいうと、飛沫感染重点主義、の傾向である。今回の「人との接触を8割減らす10のポイント」を例にとろう。これは「人との接触8割削減を実践するためには」の細かな指針である。だが10もポイントがあると、なぜこれらの10なのか、なぜ12でもないのか、といったことが気になる。10もポイントがあるが、全て「人との接触を8割減らす」ためだけのポイントなので、真面目な人であればあるほど、その点だけに取り組んで、恐らく飛沫感染の可能性を下げるが、かえって接触感染への意識を薄めてしまう、といった現象も起こりかねないように感じる。

4月上旬にクラスターが発生した国立病院機構大分医療センター(大分市)における感染経路は、タブレット端末などを介して感染が広がる「接触感染」だったと推定されている。

手すり・ドアノブ消毒は徹底したのに…大分の院内感染、盲点になった感染経路(読売新聞)

こうした実例があるにもかかわらず、専門家たちは血眼になって「人との接触の8割減少」を崇高な目的とし、そのための指針は10出しても、接触感染対策については全くふれようともしない、という姿勢をとり続ける。なぜクラスター発生を起こした接触感染の実例は完全に無視して、まだクラスター発生の実例がない公園における人との接触を撲滅することに血眼になって取り組もうとするのか。論理的な理由がないように感じる。

私見では、「三密の回避」は、クラスター発生の防止という明確な戦略的意義があり、「超重点分野」であるがゆえにシンプルなメッセージの効果が期待された素晴らしいものだった。

これに対して、「10のポイント」は「人との接触8割削減」の詳細な解説でしかなく、長期の目的や全体的な体系が説明されないことをかえって明らかにする。社会科学者の私に言わせれば、本来測定不可能なものについて、ただ色々なことを詳細に言って情報量の多さで補おうとするのは、全体像を見失わせる危険をはらんだ行為である。

あるいは時系列的な経緯を誤認していないだろうか?3月下旬以降の感染者数の増加が従来のクラスター対応の効果を低下させた、という専門家層の認識がある。それと3月23日頃から小池都知事が強調して急速に人口に膾炙するようになり、4月以降の感染者数増加抑制に役立った、国民の行動変容メッセージとしての「三密の回避」の成功は、別の事柄である。「三密の回避」がクラスター班の発見から生まれていることを知っているがゆえに、専門家層が二つの別の事柄を混同していないか、気になる。

3月下旬以降、クラスター対応に限界が生まれたが、その一方で「三密の回避」メッセージは効果を高めた、現在でも依然として有効である、というのが、本当のところではないだろうか?クラスター対策班の発見の意義を活かすことではなく、クラスター対策班という人間集団のことだけに専門家層が気を取られているように見えるのは、懸念材料だ。

渋谷氏(King‘s College, Londonより)西浦氏(POLICY DOORより)

とはいえ、いずれにせよ、直近の注目点は、渋谷健司氏の動向である。渋谷健司「WHO事務局長上級顧問」(日本のメディア用肩書)あるいは「元WHO職員」(海外メディアではこちらの肩書になる)は、何週間も前から「日本は感染爆発の初期段階」「日本は手遅れ」「喫緊の感染爆発」と主張し続けている。10万人の感染者が、感染爆発を広げ続けている真実を、すでに学者生命を賭けて、繰り返し雑誌やテレビで報告し続けている。

「鈍化したことは確実」などという篠田と見間違うかのような西浦教授の発言を許しておけるはずはない。黙っていれば、「臨床経験の乏しい医師によるロジックのみを操った危ない話」などとも言われてしまいかねない。

WHO上級顧問・渋谷教授、政府クラスター班・西浦教授が発した数字のマジック(デイリー新潮)

皇后雅子様の双子の妹君との離婚直後の年下女子アナと電撃再婚で話題を作ったり、華麗に日本と海外で肩書を使い分けたりもする渋谷氏だ。もうすぐ何か派手なやり方で、学者生命を賭けて、西浦教授にも反証してくるだろう。どうなるのか、興味深い。

(*なお渋谷氏の正式な現在のWHOの肩書については知人を介して調べてみたが、職員リストにはないので契約コンサルタントか何かではないか、と言うこと以上はわからなかった。)