「異論あり!」と、声高に言うタイプではないし、本来論争好きでもないわたしだが、「事実を確認しないで論評するのは伝統芸」の山田肇さんの意見は、ちょっと違うんではないかと思う。
アゴラ編集長、新田哲史さんの問題提起で注目された上智大新聞学科は、わたしが働いた毎日新聞の尊敬する先輩記者にも、また同僚で、意外や同新聞学科教授を務めた者まで出たので、若干身びいきにもなるが、それを割り引いても、ちょっとねぇ、と思う。
さらに本題マイナンバーについて 「マイナンバー制度のどこにカード使用記録を収集し分析するなどの『政府が国民を管理する手段』が組み込まれていたのだろうか。そんな機能は存在しなかった」と断言する山田さんの言葉には、記者用語での裏取り(証明)がないので、これは当世はやりの「第三者委員会」に示して貰うしかない。
山田さんも滞米経験があるようで、当然、サンプルを引用したアメリカのソーシャルセキュリティー・ナンバーカードをご存じだと思う。アメリカでは納税は日本の源泉徴収のようなものはなく、多くの勤労市民が街の会計士などを通じて申告する。それにソーシャルセキュリティー・ナンバーは、欠かせないものだ。
さらに相当以前だが、官僚から、「日本も個人、個々の収入をは握するシステムの構築が始まった」と聞いたが、その集積がマイナンバーのシステムではないか。
日本のマイナンバー制度の建前はともかく、米ソーシャルセキュリティナンバーの役割を基盤にして出来上がったもののようだし、それからさらに大きく進み、江戸時代的な「人別改帳」になろうとしていることは、田島泰彦氏とわたしは同じ意見だ。
政府はマイナンバーをプラスチックカード化し、写真付きのクレジットカードやデビットカードのように、スーパーその他で使えるように推奨している。
一方アメリカのソーシャルセキュリティー・ナンバーカードの紙片には、「紛失や盗難を避けるよう安全な場所に保管し、ラミネート(ゆるいカード化)はしないように」との注意書きがある。日本の写真付きマイナンバーカードでお買い物なんて、なにおかいわんや、「衣の下によろいが見える」…バレバレではないか。