バチカンが共産主義に甘い理由

ローマ・カトリック教会の総本山バチカン教皇庁は、中国共産党政権と司教任命権問題で2018年9月22日、北京で暫定合意(ad experimentum)したが、合意期限が失効する今月22日を前に、同合意の延長の意向だ。欧米諸国では中国の人権蹂躙、民主運動の弾圧などを挙げ、中国批判が高まっている時だけに、バチカンの中国共産党政権への対応の甘さを批判する声が聞かれる。

中国共産党政権との暫定合意の延長を考えるフランシスコ教皇(9月28日、バチカンニュースの公式サイトから)

イタリアを訪問中のポンぺオ米国務長官は先月30日、フランシスコ教皇との会見を希望したが、バチカンの外交を牛耳るパロリン国務長官(枢機卿)は、「米国が大統領選中だから」という理由で、ポンぺオ長官と教皇の会合を拒否したばかりだ。

バチカンは中国共産党政権とは国交を樹立していない。中国外務省は両国関係の正常化の主要条件として、①中国内政への不干渉、②台湾との外交関係断絶、の2点を挙げてきた。中国では1958年以来、聖職者の叙階はローマ教皇ではなく、中国共産党政権と一体化した「中国天主教愛国協会」が行い、国家がそれを承認してきた。それが2018年9月、司教の任命権でバチカンと中国は暫定合意したことから、両国は国交樹立へ大きく前進したと受け取られてきた。

バチカンは「司教の任命権はローマ教皇の権限」として、中国共産党政権の官製聖職者組織「愛国協会」任命の司教を拒否してきたが、中国側の強い要請を受けて、愛国協会出身の司教をバチカン側が追認する形で合意した。暫定合意はバチカン側の譲歩を意味し、中国国内の地下教会の聖職者から大きな失望の声が飛び出したのは当然だろう。

それでは、なぜバチカンは中国側の要求を受け入れたか。暫定合意でバチカンは何を手に入れたか、といった疑問が湧いてくる。中国では愛国協会に所属しない地下教会が存在するが、公式と非公式を合わせると数千万人の信者がいると推定されている。バチカンが中国と外交関係を締結して中国への宣教の道が開かれれば、多くの信者が教会に足を向けるだろう、とバチカンが考えても不思議ではない。人口大国の中国市場を目指す欧米企業と同様、バチカンも中国の潜在的な巨大な宣教市場を無視できないだろう。

ただし、中国は中国共産党が一党独裁する共産主義国だ。欧米企業から先端技術のノウハウを吸収する一方、中国国内に進出した欧米企業には様々な障害を設けて妨害する。欧州連合(EU)は常に、「欧米企業にも公平な中国市場へのアクセス、投資を認めるべきだ」と中国側に要求してきた。ちなみに、EUは依然、中国に「市場経済国」というステイタスを与えていない。

同じことをバチカンも体験するだろう。国交を樹立したとしても、中国国民に自由に接近し、宣教できるという保証はまったくない。問題は、バチカンが上述した内容を知らないのではなく、よく知っていることだ。バチカンの外交は過去、そして現在でもプロフェッショナルであり、国際社会での紛争解決に様々な形で関与してきた実績がある。にもかかわらず、バチカンは中国共産党政権との交渉では受け身で、譲歩が目立つ。希望が大きすぎて、現実が見えなくなったのだろうか。それとも中国の巧みな外交戦術に嵌ってしまったのか。

バチカンはナチス・ドイツが台頭した時、ナチス政権の正体を見誤ったが、ウラジミール・レーニンが主導したロシア革命(1917年)が起きた時、その無神論的世界観にもかかわらず、バチカンでは共感する声が聞かれた。聖職者の中にはロシア革命に“神の手”を感じ、それを支援するという動きも見られた。バチカンはレーニンのロシア革命を一時的とはいえ「神の地上天国建設」の槌音と受け止めたのだ。

しかし、時間の経過と共に、ロシア革命が理想社会の建設運動ではなく、多くの政敵を粛正し、一部の革命勢力だけが特権を享受する暴力革命であることが明らかになった。バチカンは時代の動きを読み違えていたわけだ。

バチカンは当時、1861年に建国されたイタリア王国との関係で苦慮していた。ピウス11世時代の1929年になってイタリアとバチカンの間でラテラノ条約が締結されたが、それまでバチカンは政治的には混沌とし、無力な立場だった。

第1次世界大戦後、ロシア帝国ばかりか、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国といった大国は次々と姿を消し、米国、英国が影響力を広げていった。バチカンは世界の激変の中、どのような役割を果たすべきか迷っていたこともあって、レーニンのロシア革命に未来を託し、ナチスドイツ政権の野望に気が付かなかったのだ。

ちなみに、キリスト教の神学とマルクス・レーニン主義の思想構造は酷似している。共産主義世界観はキリスト教世界観を土台として構築されていったとよく言われる。キリスト教ではイエスがメシアであり、人類の救世主、信者は選民だ。一方、共産世界では共産党が指導し、労働者が「選民」で革命を通じて公平で平等の無階級社会を築くと主張する。ヘーゲルの弁証法を無神論唯物社会の建設に利用した思想体系だ。

ブラジルを中心として南米諸国では解放神学が一時期広がっていた。近代教皇の中で神学の権威者ベネディクト16世は、「解放神学にはマルクス主義が潜んでいる」と喝破し、解放神学者に警告を発したほどだ。その南米出身のフランシスコ教皇は就任以来、欧米社会のワイルド資本主義に対し厳しい批判を飛ばす一方、弱小国家に対しては理解を示してきたことから、「フランシスコ教皇の神学には解放神学の匂いがする」といった声が聞かれた。

アルゼンチンのブエノスアイレス大司教だったホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿はコンクラーベで教皇に選出された時、アッシジの聖人、聖フランシスコ(1182~1226年)の名前を教皇名にすることを希望したというエピソードは、フランシスコ教皇の神学の世界が如何なるものかを端的に物語っている。

2012年に権力の座に就いた習近平主席は「宗教の中国化推進5カ年計画」(2018~2022年)を実施してきた。「宗教の中国化」とは、宗教を完全に撲滅することは難しいと判断し、宗教を中国共産党の指導の下、中国化すること(同化政策)が狙いだ。新疆ウイグル自治区(イスラム教)で実行されている。100万人以上のイスラム教徒が強制収容所に送られ、そこで同化教育を受けている。キリスト教会に対しては官製聖職者組織「愛国協会」を通じて、キリスト教会の中国化を進めている。フランシスコ教皇は中国共産党政権の正体を見誤ってはならない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。