高知東生さんの『生き直す』ネトフリでドラマ化を

新田 哲史

今年はコロナ禍で屋内で仕事もプライベートも過ごす時間が相当増えたが、逆に想定外の多忙を強いられたことで、読書数は近年にないくらい少数となった。

そんな中、9月下旬に1か月ぶりに自分の会社の事務所オフィスを訪れてみると、1冊の献本が届いていた。それが高知東生さんが半生を振り返った『生き直す』(青志社)だった。恐縮なことに、9月の初めには送られていたようだが、しかも直筆のメッセージも添えられていた。

アゴラさんで田中(紀子)さんが書いた記事を取り上げてくれたお陰で今の自分があります。

とお礼もしていただいた。著名人とはいえ、面識のない高知さんから丁寧な文面を送ってもらい、正直驚いてしまったのだが、事件当時、高知さんはまさに全てを失った状態。マスコミも極めて厳しい論調で、特に高知さんが逮捕された時にマトリの捜査員に対して「来てくれて、ありがとうございます」と述べたことが厳しい批判を呼ぶことになった。

初犯で執行猶予はついたものの、判決から2年あまり孤独にさいなまれ、自殺まで考え出した当時。その田中さんが書いた記事を高知さんの目に止まる機会があり、逮捕後に物議を醸した「ありがとうございます」について、田中さんは

薬物依存症者は、「やめたい」「やめたい」と苦しみ続けています。やめられない苦しみから、自ら警察に電話をする人も多いのです。だからこれが事実だとすれば、高知さんは「これでやっとやめられる」と思い、「ありがとうございます」と述べられたのだと思います。

などと専門的な観点から心境を代弁。その後、田中さんが高知さんにコンタクトを取り、紆余曲折はあったものの、これがのちに二人が依存症の啓発活動を共にするきっかけになったという。

当時の経緯は、田中さんの記事からおおよそ見知っていたつもりだったが、著書であらためて当事者の思いに触れてみて、私自身が意図しないところで、それも微力なことながら、高知さんが新たな歩みを始めるきっかけを作ることができたことを知った。

それからの高知さんはYouTubeの発信から講演と、自らの体験をもとに薬物依存症の啓発で活躍。今年5月にはついにツイッター配信のネットドラマで俳優復帰も果たした。

5年間、このサイトの編集長としてマスコミの論調とは異なるものでも、社会的意義のあることは果敢に取り上げるという思いでやってきたが、自らの罪でどん底に落ちた1人の人間がまさに生き直すきっかけを作ることができたというのは望外の喜びだった。

通読して痛感したのは、薬物依存に至る心理は、心の弱さだとか個人的なものに帰責できるほど単純なものではないということ。これは犯罪に走る人たちにもみられるが、生まれ育った家庭環境という、本人にはいかんともしがたい宿命的な問題も大きい。

高知さんはこの本で初めて赤裸々な過去を明かすが、物心がついた時には家には父母もおらず、幼少期は祖母で育てられた。小学生になり母親の元へ。しかし、母親は土佐の有名な大物侠客の愛人で、この人を父親だとして教えられて思春期を過ごすことになる。

実の父親についてさらに待ち受ける結末は詳しくは本書に譲るが、ようやく母と過ごすことになった日々もまた壮絶だった。組事務所で抗争の修羅場に居合せ、母親が相手の若い衆から高知少年を守ろうと袈裟がけに背中を切られるシーンは、象徴的なハイライトだ。

一方で、高校卒業後、成り上がることを夢見て上京してからのストーリーにもいつしか引き込まれた。のちに俳優としてデビューするまで、ホストクラブ、ファッションモデル、AVプロダクション創業などさまざまなチャレンジをするが、80年代のバブル前夜の頃の、まだ日本と東京がギラギラだった頃の世情を、当時の若者目線から生々しく振り返る。

薬物依存や、生い立ちに人知れぬ悩みを抱えているという深刻な話を知ることができる一方で、著者には恐縮だが、いまの日本がもう失った人々のエネルギッシュな生き様を追体験するようで、ノンフィクションとしても思わぬ読み応えがある。

ストーリーテリングによる啓発として佳作ともいえる本書は、映像化への期待もわく。地上波テレビでは難しいだろうが、同時代にAVの世界で一時代を築き上げた村西とおる氏の半生を描く「全裸監督」のように、「生き直す」もネットフリックスでドラマ化はできないだろうか。

ポリコレや建前論に統制された地上波のドラマに、真っ向から異論を唱える野心作が誕生すれば、主流メディアによって一度は生きる望みを絶たれかけ、そして傍流のネットメディアによって再び生きる希望をつかんだ著者らしい復活劇となろう。