織田と豊臣の真実⑰ 豊臣が江戸・博多・京都を創った

※編集部より:本稿は八幡和郎さんの「浅井三姉妹の戦国日記 」(文春文庫)、「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎(光文社知恵の森文庫)などを元に、京極初子の回想記の形を取っています。(過去記事のリンクは文末にあります)

小田原征伐をお話ししたときに、江戸を居城にするように家康様に仰ったのは関白殿下だったということを申し上げました。そのことについて少し詳しくお話ししましょう。

kuremo/iStock

家康様は関白殿下から、駿河、遠江。三河、信濃、甲斐の旧領から、武蔵、上野、下総、上総、相模、伊豆という旧北条領への転封を命じられましたが、そのときに、「江戸といういいところがあるから居城にするように」と言われたのです。

普通には、北条氏の居城だった小田原が順当ですし、鎌倉幕府があった鎌倉と思った人もいますが、有無を言わせぬ話でした。

このことは、徳川幕府の正史である『徳川実紀』に書いてるので確かな話です。それに、江戸というのは、およそ家康様の好みではなく、実に関白殿下好みの場所なのです。

「わが庵は松原つづき海近く富士の高嶺をのきばにぞみる」というのは、上洛した太田道灌が、足利義政から江戸のことを問われて詠まれた歌ですが、当時は日比谷公園のあたりが船着き場で、皇居や国会議事堂は高台でした。

平野の中心で丘陵地帯の先端が海に突き出し、大河が波静かな湾に流れ込む、本当に大坂に似た地形だったわけです。

家康様は、どうも港町と一体化した城下町はお好きでなく、もともとの居城である岡崎もそうですし、浜松も駿府も海から離れています。お子様たちのために築いた、名古屋や高田も同じなのです。

関白殿下のつくった町と言うことでは、京都も聚楽第をつくるときに大改造されました。区画が正方形の碁盤の目だったのを南北にもう一本通して短冊形にされて、まわりを御土居で囲まれたのです。これは、狭い面積のなかにできるだけ多くの人口を入れ、それを堀や土塁で囲むという発想なのです。

それから、博多の町も同じようにされました。太閤割と呼ばれるプランです。最初はここに朝鮮攻めの城を築こうともされましたが、弱い地盤などもあり名護屋にされました。

しかし、そののち、黒田官兵衛様が隣接する福岡に城を築かれて、この博多と兄弟都市のようにされました。

このほかにも、全国の県庁所在地で、豊臣系の大名が建設した都市はたくさんあります。鹿児島は島津忠恒様が内陸になった城館を海に近いところに移されたものです。大分は石田三成様の娘婿だった福原直高が、いまの大分駅の東にあった城を海岸寄りに移して建設したものですし、熊本城が加藤清正様の築城によるものであることはよく知られています。

四国では、高松城は織田信忠様、信雄様、家康様長男の信康様の夫人だった徳姫様の母上だった吉乃様の実家の生駒様が黒田官兵衛さまのお勧めで築かれました。徳島は蜂須賀家政様、高知は山内一豊様、松山は加藤嘉明様の築城です。

中国では広島城は、毛利輝元様が聚楽第をお手本にされました。岡山は宇喜多秀家様がそれまでの石山城を大改造されたものです。松江は堀尾吉晴様と忠氏様の父子が『太閤記』の著者として有名な小瀬甫庵様の縄張りで築城されました。鳥取城もいまの姿にされたのは宮部継潤様や池田長吉様です。

和歌山城は豊臣秀長様が築かれ浅野幸長様が改築されました。大津城については、また、ご紹介しますが、浅野長政様が築城を始め、私の夫である京極高次が完成しました。津城はもともとありましたが、いまの姿にしたのは藤堂高虎様です。

和歌山城(ngkaki/iStock)

福井城は太閤殿下の養子である結城秀康様の築城です。秀康様は家康様の実子ですが、関白殿下の養子になられたので、扱いとしては豊臣大名です。金沢城は前田利家様、富山城は佐々成政様が近世的な城にされましたし、甲府城は豊臣時代の浅野長政様や加藤光泰様の築城です。

福島城は蒲生氏郷様の与力で大政所様のお気に入りだった木村吉晴様の築城です。仙台城は伊達政宗様が畿内の城に負けないものをということで築城されたものですし、盛岡城は蒲生氏郷様らの助力で南部信直様が石垣を多く使った畿内風の城にされました。秋田も関ケ原の戦いで西軍寄りだったとして移封された佐竹義宣様の築城です。

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