セバスティアンよ、独に負けるな!

アルプスの小国オーストリアは1918年まで約640年間、中欧諸国をその勢力圏に置くハプスブルク王朝時代を誇り、小国の割には自負心が強い民族だ。そのオーストリアが常に意識している国といえば隣国ドイツである。

領土も小さく、人口では10分の1程度だが、オーストリア国民はことある毎に「隣のドイツでは……」と比較する癖がある。言語が同じということもあるが、1938年3月のヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合(Anschluss)という歴史的な出来事がやはり色濃く反映しているのではないか。

新型コロナ感染対策で奮闘するクルツ首相とメルケル首相(政府サイト)

ここではドイツとオーストリアの民族的な比較をするつもりはない。オーストリア国民がここにきてまた「ドイツでは…」と言い出してきたのだ。以下、その話を紹介する。中国武漢から発生した新型コロナウイルスの感染防止での対応についてだ。

14年以上政権を掌握してきた大ベテランのアンゲラ・メルケル独首相(66)は自分の半分の年齢(34歳)の若いセバスティアン・クルツ首相の言動を無視できない状況に追い込まれていった。特に、2015年、中東・北アフリカから100万人以上の難民が欧州に殺到した時、クルツ首相はいち早く国境を閉鎖した。メルケル首相は、溢れる難民に直面した国民からの難民歓迎政策への批判にさらされた。メルケル首相は最終的にはクルツ首相の国境制限政策に倣い、国境を閉じざるを得なくなった。

あれ以来、メルケル首相はクルツ首相を意識し出した。新型コロナ感染の第1波の時もクルツ首相はメルケル政権よりいち早くロックダウン(都市封鎖)を実施し、感染者数を抑えることに成功した。この時も、メルケル首相はクルツ首相の素早い対応と比較され、国内で批判を受ける羽目に陥った。

しかし、両者の立場は9月から広がった第2波の感染での対応で逆転した。メルケル首相は11月2日、クルツ首相に先行して部分的ロックダウンを実施。その1日遅れでクルツ首相も同じ政策に乗り出した。

そしてメルケル首相は今月13日、記者会見で、「部分的ロックダウンでは新規感染者数を抑えることに十分ではなく、死者数を抑えることは出来ない」と述べ、16日から来年1月10日まで、生活必需品を売る店舗以外、ショッピングモールなどの全ての営業を閉鎖し、学校も閉鎖すると表明したのだ。

オーストリアは11月3日、部分的ロックダウンを実施。同月17日には追加規制措置を発表して店舗の閉鎖を実施したが、今月7日に入ると営業を再開した。クリスマスを控え、店舗閉鎖の継続はできなかった。強硬措置に対する決断力でクルツ首相はメルケル首相に負けたのだ。

多くの国民から、「ロックダウンが遅すぎたのではないか」といわれると、クルツ首相は「私は早くしたかったのだが…」と弁明し、連合政権のパートナー政党「緑の党」から反対があることを示唆するなど、首相としては惨めな説明に追われた。

週明けの日刊紙は、「ドイツは新型コロナの感染者数、死者数でわが国より少ないのにもかかわらず、店舗閉鎖など強硬措置を実施する。わが国はどうするのか」といった疑問をクルツ首相に投げかけている。

両国の感染状況を少し比較する。ドイツではこの数日、新規感染者数は2万人以上だ。オーストリアは一時期7~8000人だったが、ここ数日は3000人前後だ。人口比でいえば10対1だから、ドイツの新規感染者数はオーストリアよりかなり少ない。

問題は1日の死者数だ。ドイツでは500人を超えた、ということで少々パニックになっている。一方、オーストリアは120人前後だ。ドイツの人口に当てはめると、1200人の死者数に値する。オーストリアの新規感染者数、死者数はドイツより本来、もっと深刻なのだ。だから「なぜドイツのように規制強化を実施しないのか」といった声が飛び出すわけである。

こんな話をドイツ国民に聞かせたならば、「オーストリアと比較しないでほしい」と一蹴されるだろうし、オーストリア国民に聞かせたならば、「ドイツで起きたことは常に10日遅れでわが国でも起きるよ」と笑って冷静さを装うだろう。「ドイツは兄、オーストリアは弟」という人もいる。両国は言語は同じだが、性格や気質はかなり違う。プロシアとハプスブルク王朝の時代を思い出すまでもなく、歴史、社会、文化も異なっている。

例えば、北部ドイツ語とヴィーナーリッシュ(ウィーンのドイツ語)ではかなり違う、時には通訳が必要となる。それでもやはり、両国は互いに意識しあう。オーストリアが先行すると、ドイツ国民は「そらみろ、あのオーストリアですら…」といって揶揄う。ドイツが先行した場合、オーストリア国民の競争心が疼く、といった具合だ。

新型コロナ感染問題では、クリスティアン・ドロステン教授(シャリテ・ベルリン医科大学ウイルス研究所所長)を有するメルケル首相は明らかに有利なポールポジションにある。同教授はSARS(重症急性呼吸器症候群)を引き起こしたコロナウイルスの共同発見者としてウイルス学史に名を残す学者だ。同教授は連日、「規制を強化しないと危ない」とメルケル首相に発破をかけてきた。同教授の業績を高く評価してきた理数系のメルケル首相は遅れることがあってもドロステン教授の助言を常に取り入れてきた。

一方、オーストリアにはドロステン教授のようなスーパー学者はいない。経済界と観光業界の強い圧力もあって規制強化に直ぐには乗り出せないから、クルツ首相は苦戦せざるを得ないわけだ、

当方の予測だが、オーストリアで新規感染者数、特に死者数がここ数日中に減少に転じなければ、クルツ首相はメルケル首相のような強硬政策を取らざるを得なくなるだろう。クルツ首相がメルケル首相に勝利できる残された機会はワクチン接種の開始日ぐらいしかない。

クルツ首相はメルケル首相より数日早くワクチン接種の開始を国民に宣布するのではないか。いずれにしても、悪事の競争は御免被るが、国民のためならば、両者の競争心は悪いことではないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。