先日、中国でもデジタル・プラットフォーマーが独占禁止法の網にかかったことが報道された。以下、ロイターの記事(「中国当局、アリババやテンセントなどに罰金 独占禁止法巡る報告で」)より。
中国国家市場監督管理総局(SAMR)は14日、アリババ・グループ・ホールディング、騰訊控股(テンセント・ホールディングス)出資の閲文集団(チャイナ・リテラチュア)、および深セン豊巣(ハイブ・ボックス)について、独占禁止の観点から過去の案件を適切に報告しなかったとし、それぞれ50万元(約7万6000ドル)の罰金を科すと明らかにした。
「中国では2008年に独占禁止法が施行されたが、インターネット関連企業が、独占禁止法審査への適切な報告を怠ったとして、同法に基づいて罰金の支払いを命じられたのは今回が初めて」という。(同記事)。
「デジタル・プラットフォーマーと独占禁止法」というと、米国のいわゆる「GAFA」に対する反トラスト法による攻撃がすぐ思い浮かぶ(今年10月の司法省によるグーグル提訴が記憶に新しい)が、時価総額ランキングでGAFAに次ぐポジションにあるのが、アリババ、テンセントといった中国のデジタル・プラットフォーマーたちだ(昨年末上場と同時にいきなりトップに立ったサウジアラムコ(Saudi Aramco)は別枠と考えた方がよい)。
罰金50万元とは、企業規模からして控え目過ぎるが、このロイターの記事は、清華大学の研究者の「最もシンプルで、最も反論が少ないケースから着手していけば、反トラスト法を執行する用意があるというシグナルを最も手早く示すことができる」とのコメントを掲載している。当局の警告ということか。
技術革新のスピードの速さから現時点で支配的に見える巨大企業が短期間の間にその地位を失ってしまう可能性もあり、独占禁止法上の評価が難しいといった問題(これは現在の反トラスト法適用に対するGAFAによる反論の定番だが、世紀がかわるちょっと前のマイクロソフトも同じことをいっていた。その頃、グーグルやフェイスブックがここまで成長するとは誰も思わなかっただろう)や、そもそも情報産業では何と何がライバル関係にあるかが把握しにくく、古典的な市場の静的な把握が難しいといった競争制限の評価に係るテクニカルな問題もある。
ネットワークの拡大が価格低下のような消費者の便益に結び付くアマゾンのような企業に対しては、その支配を悪い意味で認定しづらい点も悩ましい。一般的に消費者がアマゾンを支持する限り、アマゾンへの独占禁止法による攻撃は局所的なものに止まるだろう。
同時に、この問題は経済的側面だけではなく、表現の自由や民主主義といった政治的側面にも大きく関わるので、デジタルプラットフォーマーの存在は悩ましいのである。
米国では、表現の自由や表現されたものを知る自由の担い手を考えるとき、デジタルプラットフォーマーの存在を無視することはもはやできなくなった。これは民主主義の過程がデジタルプラットフォーマーによって少なくない影響を受けることを意味している。
テレビや新聞の果たしてきた役割がとってかえられただけ、といえるのかもしれないが、圧倒的なデータ蓄積とその情報処理のスピード、AI技術の進展を伴うデジタルプラットフォーマーの時代は、人間社会がこれまでに経験したことのない脅威である。
中国では別の意味での表現の自由や民主主義の問題を、デジタルプラットフォーマーが生み出しているようにも見える。精神的自由に対する国家の積極的な介入を極端に警戒する日本ではこのような問題意識が果たして共有されているのであろうか。
もう一つ、時価総額で上位を占めるデジタルプラットフォーマーの存在は、米中間の経済的主導権をめぐる争いの中心に位置するということである。単に規模が大きいというだけではなく、次世代の情報産業の技術の担い手にどの国の企業がなるのか、という点に関心がある。日本企業は新しい時代に絡むことはできるのだろうか。
次の技術の担い手が経済的に、政治的に、どのような支配をもたらすのか。GAFAの場合は「何が脅威か」がある程度具体的に議論できるからまだマシかもしれない。時代が進み、技術がこれまで以上に大きく変化したとき、すなわち「ポストGAFA」の時代に、一体何が起こるのであろうか。そろそろそういった問題意識を持ってもよいだろう。
日本の場合、デジタルプラットフォーマー規制は(独占禁止法上の)優越的地位濫用規制に置き換えられることが多い。競争制限の問題を正面から問わなくてよい優越的地位濫用規制は、使い勝手のよい違反類型だ。アマゾンへの対抗のために送料無料に踏み切ろうとした楽天が優越的地位濫用規制違反の疑いを持たれたことは記憶に新しい(筆者の論考参照)。
世界ではより大きなフレームワークでデジタルプラットフォーマー規制が語られているということは、もっと強調されてよい。