Pop&Rockのリマインダー/ビートルズ『Please Please Me』

2021年8月に公開予定の映画『Get Back』を契機に、ザ・ビートルズ The Beatlesとは一体何であったのか、オリジナル・アルバムの変遷をベースにして、シリーズでじっくりと再確認してみたいと思います。この記事では、結成からファースト・アルバムの『Please Please Me』までの時期を対象にします。

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ビートルズ誕生

ビートルズが登場する前の英国は、国際語である英語を公用語とする先進国でありながら、黒人音楽をベースとするポピュラー音楽の後進国となっていました。英国のポピュラー音楽と言えば、[ロニー・ドネガン]に代表されるニューオリンズ・ジャズから派生した縦ノリの2ビートを中心とするスキッフルと、[クリフ・リチャード&シャドウズ]の『Move It』に代表されるエルヴィス・プレスリーの模倣の域を脱しないロックンロールくらいしかありませんでした。

1957年、リヴァプールのグラマースクールのギター好きの生徒が別のグラマースクールのスキッフル・バンドの演奏会を訪れ、演奏会後にバンドのリーダーの前でギターの弾き語りを披露しました。バンドのリーダーに腕を見込まれた彼はバンドに加入します。

このバンドの名はクオリーメン The Quarry Men、バンドのリーダーの名はジョン・レノン John Lennon、新加入した生徒の名はポール・マッカートニー Paul McCartneyです。クオリーはグラマースクールの名前ですが、採石場という意味でもあり、これをロックと引っかけたのです。

ポールは近所に住んでいて同じグラマースクールに通う8か月年下のギター友達をジョンに紹介しました。友達はジョンの前で完璧にギターを演奏してバンド加入します。彼の名はジョージ・ハリスン George Harrisonです。少し遅れて、ジョンの美術学校の友人であるスチュアート・サトクリフ Stuart Sutcliffeが初心者のベーシストとして加入し、バンド名は公式にはシルヴァー・ビートルズ The Silver Beatlesとなります。Beatlesはカブトムシ beetleにビート beatを引っかけたものです。

ハンブルクでのブラックな下積み

1960年8月、ビートルズに西ドイツのハンブルク巡業の仕事が入ります。クラブがドラムスを含む編成を希望したため、ピート・ベスト Peter Bestがドラマーとして加入しました。世界でもに評判が悪い歓楽街として知られるハンブルクのレーパーバーンで毎日10時間の演奏を行うというブラック労働の世界でしたが、ジョン、ポール、ジョージの演奏能力は格段に進歩し、後のビートルズの大きな財産となります。

この頃、リヴァプールからはロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズというバンドが、ビートルズと同様にハンブルグ巡業を行っていました。このバンドはビートルズよりも格上であり、リンゴ・スター Ringo Starrがドラマーを務めていました。ピートがしばしばステージを空ける中、リンゴはエクストラとしてビートルズの演奏に参加し、メンバーの信頼を集めるようになります。

ハンブルクでいくつかトラブルがあってリヴァプールに戻ったビートルズは、後に「ビートルズの聖地」と呼ばれることになるキャヴァーン・クラブ The Cavern Clubにレギュラー出演するようになります。このクラブは、アーチ状の屋根がある地下スペースの奥にステージがあり、まさに岩盤空洞=rock cavernの様相を呈しています。そして、ハンブルクでブラック労働を課せられたビートルズは、それまでの英国のスキッフル・バンドにはなかった「ワイルドで3人が歌う」スタイルを売り物とするロックンロール・バンドに成長していました。ビートルズは本当の意味ではハンブルク出身のバンドなのです。

レコード・デビューまでハンブルク巡業は3回ありました。残念なことにサトクリフはベースが上達することなく、2回目の巡業後にビートルズを脱退し、美術の世界へ戻ります。ベースが不在となったビートルズは、仕方なくギターが一番うまいポールがベースを担当するようになります。ここに、その後のロックバンドの基本フォーマットとなる、リード・ギター+リズム・ギター+ベース+ドラムスという編成が確定することになります。

そんななか、ビートルズは、ハンブルクで共演したロックンロール・アーティストのトニー・シェリダンのシングル盤[My Bonnie]のレコーディングにバック・バンドとして参加します。クレジットはTony Sheridan and the Beat Brothersでした。ビートルズは「ビート・ブラザーズ」と暫定的に名付けられたのです。現金なもので、その後ビートルズの人気が爆発すると、今度はバック・バンドであるThe Beatlesのクレジットで売り出されました(笑)

さて、ある日このシングルをレイモンド・ジョーンズという若者がリヴァプールの大型レコード店に買いに行きましたが、残念ながら入荷されていませんでした。レコード店の経営者であったブライアン・エプスタイン Brian Epsteinはこの時にビートルズの存在を知ることになり、キャヴァーンを訪れることになります。ビートルズに魅力を感じたエプスタインはビートルズとマネジメント契約を結びました。後にメンバーから全幅の信頼を置かれた「名マネジャー」が最初に行ったことは、ビートルズから不良っぽい革ジャンをはぎ取り、小綺麗なスーツを着させたことと、曲が終わるごとに丁寧にお辞儀させたことです。

ちなみにエプスタインのレコード店には米国からの直輸入盤が豊富に揃っていたということで、ビートルズのメンバーは、エプスタインの知らないうちに店に入り浸ってレコードの試聴(ただ聴き)を繰り返していたと言われています(笑)。もちろん、この時の試聴がビートルズの表現能力に大きく貢献したことは想像に難くありません。彼らが主として影響を受けたのは、バディ・ホリー、ファッツ・ドミノ、ビル・ヘイリー、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード等のR&Bとロックンロールの大物歌手です。

レコード・デビュー

1962年6月、ビートルズは、その後にビートルズの音楽を共に創る名プロデューサーとなるジョージ・マーティン George Martinによるオーディションを受けます。マーティンは、デビュー・シングルのレコーディングを認めましたが、難があるとしてピートのドラミングを却下、ビートルズはピートを解雇、急遽リンゴに加入を要請し、スタジオに連れていきました。
ロンドンのスタジオでビートルズを迎えたマーティンは、既にスタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトをドラムスに起用していました。リンゴはタンバリンを叩き、マラカスを振ることになりました。

デビューシングルとなったのはレノン=マッカートニー作曲の『Love Me Do』(A面)と『P.S. I Love You』(B面)です。

■Love Me Do [The Beatles 公式プレビュー]

いわゆるAメロがポールの作曲、Bメロがジョンの作曲です。彼らはこの曲でブルース・フィーリングのブラック・ミュージックを表現しようとしていました。ただ、現実は彼らの目論見通りにはいきませんでした。ジョンのハーモニカはあまりにも小綺麗にまとまっていて、ポールの歌唱も残念ながらアドリヴへの展開がありませんでした。しかしながら、英国のリスナーは彼らのパフォーマンスに興味を示し、チャートは17位まで登りました。はからずも、米国のソウルフルな本格的ブラック・ミュージックとは異なる新しいサウンド「マージー・ビート Merseybeat」が誕生したのです。「マージー」はリヴァプールを流れる川の名前です。

■P.S. I Love You

シングル『Love Me Do』のB面の曲です。一流のコーラスグループであるビートルズの心が洗われるような甘いラブソングです。この曲は、一説によれば、ポールがハンブルク時代のガールフレンドのために書いたと言われています。この曲でもアンディ・ホワイトがドラムスを叩き、リンゴはマラカスを振っています。

英国No.1

デビュー・シングルで英国のリスナーに認められたビートルズは、レノン=マッカートニー作曲の『Please Please Me』(A面)と『Ask Me Why』(B面)でセカンド・シングルを出します。なお、このシングルの制作から、マーティンはリンゴをビートルズのドラマーとして認めました。

■Please Please Me [The Beatles 公式]

この曲には、潔いワイルドさ溢れるジョンのヴォーカルと美しいハーモニーで変幻自在にビートをヒットさせるポールのヴォーカルのアンサンブル、キャッチ―で耳に残るフレーズを正確にキメるジョージのギター、ヴォーカルとギターを最大限に活かすよう応答するリンゴのドラミングというビートルズの初期の魅力がよく詰まっています。何よりも、パフォーマーが自分たちで曲を作って自分たちでアレンジして、全員が魅力あるパフォーマンスをするというスタイルはそれまでにありませんでした。彼らはジョン・レノン&ビートルズではなく、ザ・ビートルズ=ジョン・ポール・ジョージ&リンゴだったのです。この曲は、元々スローな曲として作曲されましたが、ジョージ・マーティンからアップテンポなアレンジに変えるようアドバイスされ、見事に大成功しました。2つの英国チャートでNo.1に輝き、ビートルズは英国でメジャーな存在となったのです。

■Ask Me Why

この曲は、ジョンがスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのR&Bをモデルとして作った作品でシングル『Please Please Me』のB面にも収録されています。ファースト・シングルの『Love Me Do』もファースト・アルバムに収録されている『Anna』や『Chains』もそうですが、初期のビートルズの曲調はオールディーズと称される時代のR&Bを強く意識しています。しかしながら、演奏にはブラックミュージックの本質であるソウルフルな後ノリの濃厚さはありません。これがマージーサウンドの正体です。ブラックミュージックの「横ノリ」が絶妙なライト感覚で現れる「程よく浅い」ビートのビートルズのスタイルが「縦ノリ」のスキッフルしかなかった当時の英国の若いリスナーの需要とよくマッチしたものと想像します。

なお、この時期になると、メンバーの立ち位置も不動になってきました。ステージの向かって右側にはジョンが位置し、肩幅くらいのスタンスをとって膝でリズムを取ります。ステージの真ん中はジョージ、左側はポールが位置します。この二人は同じマイクを使い、左利きのポールのベースギターと右利きのジョージのギターで左右対象のシンメトリーとなります。もちろん、その背後にはThe Beatlesの名前入りのバスドラが特徴的なドラムセットを叩くリンゴが位置します。

ファースト・アルバム『Please Please Me』

1963年2月11日、ビートルズは最初のアルバム『Please Please Me』を10時間でレコーディングします。まさにこの日は、ビートルズにとって、というかロック・ミュージックにとっての紀元節となりました(笑)。[The Beatles公式音源]

■I Saw Her Standing There

ポールのone, two, threee, four!のカウントで始まるこのオープニング曲は、この段階でのビートルズの代表曲といえ、多くの点でビートルズ・サウンドの魅力を象徴しています。作曲はレノン=マッカートニー、ローリングストーン誌「史上最も偉大な500曲」でも、このアルバムの曲ではトップの140位にランクされています。少し詳しく語りたいと思います。

この曲は、短いイントロから既にビートルズ・サウンドとなっています。ポールのベースは、それまでにハンブルクやキャヴァーンで何度も演奏したと考えられるチャック・ベリーのロックンロール”I’m talking about you”のラインを美しく躍動的に歌い上げています。ジョージのリード・ギターは、曲に必要なフレーズだけを効果的かつ正確にキメる耳に残る抑制的プレイを展開します。リンゴは遅れてくる斜めからのスティックの軌道でビートを裏打ちして支配します。ジョンのリズム・ギターは常に安定してビートルズの音楽をロバストに支えます。

ポールのリード・ヴォーカルは、柔らかく入って8ビートに正確にヒットさせた後にリラックスするという職人的な発声の繰り返しです。これがドライヴ感となって独特のビートを作っているのです。対するジョンのハーモニー・ヴォーカルはポールの歌唱と絶妙の音量でアンサンブルしています。ジョージのソロに入る前のポールのワイルドなシャウトは、ステージ・パフォーマーとしてのビートルズの最大の魅力です。このお決まりの合図を起点に観客が羽目を外して思い切り叫んで愉しむことができるのです(笑)。

■Misery

1963年に地方巡業を一緒に回っていた女性歌手のヘレン・シャピーロに対して、レノン=マッカートニーが提供した曲ですが、歌詞が絶望的に暗かったためボツになりました(笑)。この当時はシャピーロの方がビートルズより格上でしたが、巡業中にシングルの”Please Please Me”が大ヒットしたため、格が逆転してしまいました。曲調はいたってステレオタイプのポピュラー・ソングで、ジョンとポールがほとんどユニゾンで歌い”Misery”という歌詞をハモります。ピアノでジョージ・マーティンが加わっています(ダビング録音)。

■Anna (Go To Him)

ジョンがリードヴォーカルをつとめるR&Bのカヴァー曲です。この時代は、エルヴィスが恋をテーマにした音楽映画に出演しまくった時期であり、米国におけるポップ・ミュージックの王道は恋をテーマとするR&Bでした。無名時代にエクスタインのレコード店に入り浸り、米輸入盤を購入せずに試聴しまくっていた米大衆音楽通(笑)のジョンが見つけ出した曲です。

■Chains

ジョージがリードヴォーカル、ジョン&ポールがバックコーラスを担当するカヴァー曲です。この時、ビートルズ最年少のジョージは19歳、『ビバリーヒルズ青春白書』のデイヴィッド坊やのような存在です(笑)。この曲でも、先輩たちをバックにした歌唱にやや硬さが目立ちます。でもその生真面目な謙虚さが初期のジョージの素晴らしい魅力です。ちょっぴりシャウト気味に歌ったり、先輩のお荷物にならないよう一生懸命工夫しているのがわかります。このブルース曲でのジョージのパフォーマンス、私はかなり好きです。ジョージの真摯な人間性は彼の人生の最期まで変わることはありませんでした。

■Boys

ここで我らがリンゴがリード・ヴォーカルとして登場、ブルース魂満点の怪演を魅せてくれます。ジョン・ポール・ジョージの3人のバッキング・ヴォーカルが繰り返す”Bop Shoowop, Bop Bop Shoowop”も最高にファンキーです。ビートルズがカヴァーしたブラック・ミュージックのパフォーマンスの中でも最もソウルフルな1曲と言えます。この曲は、女性R&Bグループのシュレルズのカヴァーであり「私は男の子のことを話している」という歌詞を男性のリンゴが歌ったため、リンゴは同性愛者に間違えられました。ちなみにリンゴはユダヤ人にもしばしば間違えられます。リンゴの掛け声に続くジョージのギターソロも冴えてます。

■Ask Me Why
(前出)

■Please Please Me
(前出)

■Love Me Do
(前出)

■P.S. I Love You
(前出)

■Baby It’s You

リンゴの『Boys』と同様にシュレルズのカヴァー曲です。ビートルズがいかにシュレルズを評価していたかがわかるかと思います。「シャラララ」というスキャットが入っているこの曲こそ、カーペンターズの『Yesterday Once More』の歌詞に登場する「あの頃聴いた、今でも輝いているシャラララという曲」であると指摘されています。

■Do You Want To Know A Secret

ジョン作曲の甘~いアイドルソングをジョージが初々しく歌っています。ちょっとシャウト気味に歌っちゃったりするところはあまりにも可愛すぎて、なんとなく聴いている方が照れてしまう、母性本能を最高にくすぐるパフォーマンスです(笑)

■A Taste Of Honey

「かっぱっぱ~ルンパッパ~黄桜~」みたいな、聴いた後になんとなく寂しくなっちゃう曲です(笑)。ハンブルク時代からカヴァーしていたようですが、アルバムに入れるにはちょぴり疑問です。

■There’s A Place

ポールのビートを当てる歌唱スタイルを満喫できるレノン=マッカートニー作品です。その後の作品の展開を想起させるような曲でもあります。なお、この曲を聴くと、なぜかスティーヴィー・ワンダーの”There’s A Place In The Sun”と”I Just Called to Say I Love You”を思い出してしまいます(笑)

■Twist And Shout

この曲は、”I Saw Her Standing There”と並び、初期のビートルズにおいて、最もエキサイティングな代表曲であったと言えます。この頃のビートルズには、他のグループと完全に一線を画する最強の武器が2つありました。1つは、この曲で爆発しているジョンの潔いワイルドなシャウトです。このテイクの後、ジョンが力尽き、レコーディングが終了したと言われています。もう1つは、ポールとジョージが頭を振るわせながらファルセットでWoooと叫ぶ歌唱です。これには当時の女の子もたまらなかったようで、最も盛り上がる瞬間でした。

(The Beatles公式Live映像より)

この後、ビートルズは全英No.1シングルを連発し、全米侵略への道を歩みます。
(続く)


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2021年3月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。