なぜ我が国に本格的な情報機関が生まれなかったのか(藤谷 昌敏)

政策提言委員・元公安調査庁金沢事務所長 藤谷 昌敏

我が国において、情報機関とはどう位置付けられているのだろうか。主要国においては、情報機関は国家の必須の組織となっているが、日本には本格的な情報機関と言えるような組織は存在していない。日本版CIAとして鳴り物入りで作られた内閣情報調査室も未だ情報機関としての機能を十分には有していない。日本には、なぜ本格的な情報機関が存在しなかったのだろうか。戦後の確固たる日米安保体制の中で日本が自国の安全保障に配慮しないで、経済に専念する体制を作ることができたことも、その原因の一つであろう。だが、第2次世界大戦終結から70有余年が過ぎ、イノベーションの進展や世界のグローバル化が急激に進み、時代の流れも目まぐるしく変化するようになった。そして、ソ連の衰退と分裂に続く中国の急激な軍事大国化は、戦後の米国を頂点とした安全保障体制の大きな転換点となっている。こうした状況の中、いつまでも日本が戦後の経済繁栄という成功体験を引きずっていって良いものなのだろうか。

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我が国に本格的な情報機関が生まれなかった歴史的背景

①明治維新により欧米列強並みの産業の近代化と富国強兵を急ぐ我が国は、フランスとプロイセンの行政機構を導入して、強力な行政機構による統治を目指した。そのため国内の治安維持と近代産業の育成のために内務省を創設したが、当時は、まだ本格的な情報機関を持つ国はなく、政府直属の情報機関までは考慮されなかった。例えばイギリスにおいてさえ、場当たり的に国務大臣や外務大臣の下でスパイ網を作る程度だった。ドイツの勃興などにより、専門的な情報機関の創設が望まれるようになると世界最古の情報機関SISが1909年に創設された。

②第1次世界大戦(1914~1918年)を経て、欧州を中心とした各国で本格的な情報機関が作られるようになったが、総力戦となった第1次世界大戦をほとんど経験しなかった日本では、対外情報よりも国内の治安維持、国防力の強化が第一とされた。また、1917年に起きたロシア革命は、世界に共産主義を拡散し、その影響を恐れた日本政府は、警察や特高などによる思想統制や世論工作に力を入れた。

③戦後、日本を占領統治したGHQは、二度と日本が侵略国とならないために情報機関の創設には消極的だった。日本においても対外情報組織の設置には慎重な意見も根強かった。その後、朝鮮戦争勃発を契機に米国CIAが日本に情報機関設立を要望したが、内外から反対が多く実現しなかった。日本人の中には、まだ特高や憲兵による弾圧の記憶が生々しく、情報機関と言えば、まずこれらの組織が連想されたからである。

世界では情報機関の存在が常識

対外情報機関は、外国の政治・軍事・外交・経済情報などを収集し、防諜機関は、外国の情報網をつぶしたり、スパイを摘発する任務を持っている。要するに矛と盾の関係である。例えば、米国は対外情報機関として中央情報局(CIA)、防諜機関として連邦捜査局(FBI)を持ち、イギリスは対外情報機関として秘密情報部(MI6)、防諜機関として内務省保安局(MI5)を擁する。ロシアは、対外情報機関として対外情報庁(SVR)、防諜機関として連邦保安庁(FSB)を持つ。中国は対外情報機関として国家安全部、防諜機関として公安部(警察組織)を持つが、他に中国共産党中央統一戦線工作部などが対外情報活動を行うなど複雑な組織編制となっている。こうした各国の情報機関が第2次世界大戦と戦後の冷戦を通して、三つ巴の戦いを水面下で繰り広げてきたのである。

一方、日本に目を向ければ、まず内閣情報調査室が国内外の情報収集や情報収集衛星による画像情報を収集し、日本の情報機関の取りまとめ役を担っている。警察は国内の治安維持が目的であり、防諜をその主務としている。公安調査庁は国内の治安維持のために国内外の情報収集を行っており、本年2月には経済安全保障チームを創設し、幅広い調査を行っている。外務省は、国際情報統括官組織を中心に外国の情報を集めているが、情報活動に特化してはいない。防衛省は、通信傍受やレーダー情報など技術的・軍事的な情報収集が中心だ。海上保安庁は、警備救難部が情報収集を行っているが、情報収集の専門組織ではない。こうして見ると日本において、本格的な対外情報機関や防諜機関と呼べるような専門的な組織はないことが分かる。

情報機関はなぜ必要なのか

21世紀に入るころから、インテリジェンスの世界は大きく変化せざるをえなくなった。その理由は、第1に他国との経済的優位が国家存立の重要な要素となることから、スパイ行為の目標が単に安全保障や外交の情報を入手するだけではなく、経済、社会、科学技術情報など他分野にまで広がったこと、第2に冷戦により軍事的な直接的攻撃が減少した反面、情報機関の任務として、単なる情報の収集という間接的な攻撃手段に加えて、破壊、攪乱、宣伝などの「謀略活動」といわれる直接的な攻撃が加わったこと、第3にインターネットの発達により、従来のヒューミント(人間によるスパイ行為)中心のスパイ活動に、サイバーテロもしくはサイバーインテリジェンスという手段が加わった。情報機関は自らサイバー組織を設立するほか、民間のハッカー・グループをその傘下に置いた。これらサイバー空間における戦いの特徴は、攻撃主体の特定が難しく、瞬時に情報収集や謀略行為を達成でき、時には世界的に影響を与えることが可能なことだ。こうしたインテリジェンスの変化に対して、本格的な対外情報機関と防諜機関を持たなかった我が国はなすすべなく、せっかくの世界最高レベルの科学技術も敵対国への漏洩が相次ぎ、世界第2位の経済力も凋落することになった。

さらに情報機関は、外交と安全保障という国家の重要機能と密接な関係を持ち、最もコストの低い安全保障機能という一面も持っている。それが「情報機関の協力」(友好国の情報機関と情報協力を行い、自国の情報の質的向上を図る)と「情報機関のバックチャンネル」(敵国同士の情報機関であっても水面下でつながり、緊急時の平和維持や交渉を行う)という2つの機能である。中国という覇権国に対抗するクァッド構想参加国の中心となっている我が国の立場を考えれば、これまでのような米国頼みの安全保障体制、情報収集体制ではあまりにも心もとない。平和で安定した我が国の未来を実現するためにも、本格的な情報機関がいち早く実現することを願ってやまない。

藤谷 昌敏(ふじたに まさとし)
1954年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2021年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。