会長・政治評論家 屋山 太郎
五輪開催が政治化の様相を呈してきた。共産党と立憲民主党が「開催反対」を表明した。朝日新聞は5月26日付の社説で「中止の判断を首相に求める」と明確に開催反対を表明した。首相のコロナ問題の諮問機関であるコロナ対策分科会の尾身茂会長は6月2日、国会で「普通はない」と述べ翌日、参院厚生労働委員会で「やるのは普通ではない」と述べた。首相はこれまで尾身氏を首相会見の際に常時立ち会わせてきた。専門的な説明を間違えた際、尾身氏が直ちに訂正できるからだ。だからと言って尾身氏が首相と同格の発言権を持っているわけではない。首相発言を飛び越えて、尾身氏が「中止せよ」と言わんばかりの発言をすることは言語道断である。
尾身氏の発言はでしゃばり根性から出たのだろうが、共産、立憲の反対の根拠は選挙がらみの思惑から来たものだろう。このあと東京都議選、秋には衆院選が控えている。菅政権の支持率は30%台と低い。ここで一発浴びせれば都政は勿論、衆院選で与野党が逆転できるとの思惑だ。確かに五輪の成否は、勝敗に直結するかもしれない。しかしこの種の国際問題を政治の争点にすべきではない。
菅首相が五輪を成功させたいのは当然だ。五輪の主催者はIOCで「東京都が会場を貸すという契約上の義務を果たすかどうか」が事の焦点である。安倍晋三氏が東京都知事と一体となって東京開催を誘致した。これは国が東京都の財政負担を助ける意志である。
政府と無関係に今東京都が「やめた」と申し入れて、止めることはできるが、その場合債務不履行に基づく損害賠償責任を負うことになるだろう。放送権料は約3,000億円。スポンサー料は国内だけで約3,900億円。賠償や無駄となる費用の総額は1兆円超との試算もある。それでも政府に五輪中止をやらせるには国民運動が盛り上がる必要がある。
白血病を克服して水泳に復帰した池江璃花子選手は全日本人の希望の星だ。もしこの選手が「オリンピックは止めたほうが良い」という意見を発したら、開催ムードは暗転するに違いない。そういう圧力に対して池江選手はツイッターで「オリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で」と答えている。共産党の皆さん、この聡明な答えを噛みしめて貰いたい。アルピニストの野口健氏は、池江選手に辞退を求めた人たちのことを「げすの極み」(5月13日付産経新聞)と叩いていたが、まさに同感である。
菅首相はオリンピックまでにはコロナ騒動が一段落することを願って、懸命に抑える対策を講じている。それでも発症する患者は日本人の親切心を発揮して暖かく回復に導くしかない。
このコロナ騒ぎで最も落胆したのは日本製のワクチンがない現実を知った時だ。オウム真理教のサリン事件を思い出した。国防では、もっと頑丈な国に造り直さなければならない。
(令和3年6月30日付『論壇』より転載)
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屋山 太郎(ややま たろう)
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2021年6月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。