天皇の五輪懸念に対する過剰反応の収束の仕方

天皇の開会宣言文の修正を望む

東京五輪の開会が迫り、西村宮内庁長官が「天皇は新型コロナウイルスの感染状況を大変ご心配されている」(24日)と、記者会見で述べました。

宮内庁の西村長官 NHKより

当然の懸念であるとともに、天皇の異例の発言です。さらに池田宮内庁次長が波紋の大きさに驚き「天皇が名誉総裁の務めをつつがなく、安らかになされるよう関係機関が連携して、感染防止対策を講じていただきたい」(28日)と、沈静化を狙った発言をしました。

戦後の憲法では、天皇に政治的な権限を付与していないにもかかわらず、「五輪中止の御聖断が下された」を発言する著述家もおりました。からかい半分の「御聖断」ですから、黙殺するに限ります。

「長官発言は大御心(天皇のこと)の本音を代弁している」という指摘もネット論壇で読み、驚きました。「大御心」とはまた古い。長官は「私の拝察だ。肌感覚でそう感じている」と釈明の発言です。

実際は天皇のお気持ちそのものでしょう。それにしても「御聖断」といい、「大御心」といい、戦前の天皇像が消去されていない人達がいることも分かりました。

今後、どうなるでしょうか。バッハIOC会長も菅首相も、最早、中止は考えていないにせよ、非常事態宣言がまた復活すれば、「無観客」に切り替えることはあり得ます。もっとひどくなれば、躊躇なく開会中でも中止に踏み切るべきです。

もう一つは、国家元首である天皇の任務である五輪の開会宣言文の修正です。天皇は大会の名誉総裁で、開会宣言をすることになっています。

オリンピック憲章には「開催地の国家元首が以下のいづれかの文章を読み上げ、開会を宣言する」と、明記しています。

オリンピアード(夏季五輪)の開幕においては、「私は第〇回近代オリンピアードを祝い、〇〇(開催地名)オリンピック大会の開会を宣言します」という、1,2行の短い宣言です。

また、冬季大会の開幕においては「私は第〇回、○○(開催地名)大会の開会を宣言します」です。冬季大会では「・・祝い」がありません。

コロナ感染を懸念する天皇が「祝う」気持ちになれないと考えても、全く不思議ではありません。冬季大会では「祝う」がないのですから、今大会では「祝う」をはずしてもいい。IOCに弾力的運用を望みます。

恐らく、天皇は「この宣言文はなんとかならないのだろうか」と、宮内庁長官に持ち掛けたのではないでしょうか。

新憲法下では、天皇の政治的介入は否定されていますから、「五輪中止」を天皇が望んだとは思えない。それに比べ「宣言文の修正」は十分にあり得るし、国民の気持ちを汲むことになります。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。