警鐘を鳴らす一冊
先般、米中対立の深刻化を危惧する識者の間で話題沸騰している一冊がある。その本とは元NATO軍最高司令官のスタブリディス氏と元海兵隊員であり且つジャーナリストのアッカーマン氏が描いた小説「2034年-次の世界大戦ー」である。この本は未だ和訳はされていないものの、激化する米中が突入する最悪のシナリオを提示する警鐘の一冊だとされており、元閣僚級の著名な識者などからも評価を得ている。
この小説は序盤早々からいきなり米駆逐艦が中国軍によって南シナ海にて沈没させられるという衝撃的なシーンからスタートする。そして、そのまま事態はエスカレートし、最終的には米中がお互いに核兵器の応酬を行い、ネタバレではあるが(自明でもあるが)両国が甚大な被害を被り、米中のいずれも勝利を手にしない。しかし、最悪の事態に突き進む米中を尻目に漁夫の利を得て、米中が核で疲弊した後の国際秩序を形成するもう一つのキーアクターが出てくる。
それがインドである。最終的に本著でインドは出口が見えない米中の核紛争を終結に導く役割を演じる(インドが果たす具体的な役割は本著を参照されたし)。そして、そのような重要な役割を本著でインドが担う背景には著者のインドの潜在能力に対する期待が反映されている。
朝日新聞とのインタビューでスタブリディス氏は300年後の歴史家は21世紀の最も重要な出来事として「インドの台頭」を挙げるであろうと述べた。また、彼は人気の米政治ポッドキャストリアライメントで出演した際に、中国の台頭よりもインドのそれが最も象徴的な出来事として将来世代に記憶されるともしている。
また実際に、彼の発言を後押しする指標は存在する。英シンクタンク、経済学・ビジネス研究センターが昨年度末に発表したレポートによるとインドは2030年までに日本を抜いて世界第三位の経済大国の地位を手にするとのことである。
さらに、そのインドの経済的な台頭を下支えするのが他国と比べても突出している生産年齢人口の多さであり、それはインドが若々しい国であることを物語る指標でもあり、今後のインドの潜在能力に期待を寄せずにはいられない要素のひとつである。
高まるインド待望論
インドが経済的に台頭して国際的な影響力も高めていく中で、特にアメリカを含めた西側諸国の間では対中国の文脈においてインド待望論が出現している。要するに、インドを西側陣営の重要なカウンターパートとして位置づけ、中国に対する抑止を共同歩調で取ることをアメリカらはインドに対して求めている。そして、その要求を実現するために日米豪印で開催される通称クアッドと呼ばれる戦略的対話が取り組みの一つとして挙げられる。
しかし、中国の独善的な行動に懸念を覚えるとして、インドの力を有効活用して、中国の影響力の拡大を抑えたいという意図は分かるものの、インドの伝統的な外交政策を考えたときにそのような高望みは禁物だと筆者は考える。
八方美人のインド外交
インドという国は建国当初から同盟に属さない自立志向の外交政策を追求しており、それは現在においても継続されている。クアッドなどに参加し、西側寄りの態度を示したと思えば、西側と関係を悪化させているロシアから兵器を購入し、軍事演習も定期的に行っている。
さらに、西側の思惑をよそに、国境紛争で関係が停滞しているように見える肝心の中国との関係は、 決定的に悪化しておらず、対立は緩やかに収束の方向に向かうという指摘もある。中国との国境紛争は歴史的に幾度となく発生しており、危機回避のノウハウが蓄積されていることを考えると、その指摘は妥当だと考える。また、中印ともに国境を面している核保有国だということは自動的に米中と違う関係に中印はならざるを得ない。このように、西側のみならず、中露のような国々とも関係を強め、対立を避けようとするインドの姿勢を考えたときに、中国への抑止としてインドに多大な期待を乗せ、オールイン(全賭け)することはリターンの低い投資だと思わずにはいられない。
幻想を抱く前にすべきこと
少なくとも、短期的に見てインドが本腰を入れて中国の膨張を抑えるように動くと考えることは幻想に等しい。長期的な視点に立った時に逆の結果を得られるかもしないが、現状変更の意図と能力を手にしている中国を考慮すれば、機能的な対中国包囲網の形成は喫緊の課題である。現在クアッドのような仕組みがその一貫とされるが、中国に対する異なる見解を持つ国々が集まり、何を果たしたいかが詰められていないクアッドの今後に限界を感じずにはいられない。
インド待望論は中国側に傾きつつある国際秩序の流れを変えると可能性を秘めているが、実現性が見込めない願望でもある。それより、日本を含めた西側諸国を中心にインドを除いた中国の脅威を深刻に問題視している国々の間の制度作りがなされなければならない。