現在のインフォデミックは歴史の教訓「五つの教訓」に反する所業だ

多田 芳昭

最近の報道、メディアの姿勢などに憤りを感じ、危機感を持っているが、名著とされる『昭和史 』(半藤一利著)の指摘する教訓に見事なまでに合致する所業である事を改めて確認した。

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本著は戦前の過ちを再び犯さない為の原則、歴史の教訓として「五つの教訓」が述べられており、それを要約すると以下の様になる。

  1. 国民的熱狂をつくってはいけない、そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である
  2. 最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ
  3. 日本型タコツボにおけるエリート小集団主義の弊害を常に心せよ
  4. 国際的常識の欠如にたえず気を配るべし
  5. すぐに成果を求める短兵急な発想をやめろ。ロングレンジのものの見方を心がけよ

(『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利/保阪正康 東洋経済新報社刊)

1の国民的熱狂は、朝から晩までニュース、ワイドショーで新型コロナに関して危機を煽り続け、恐怖の熱狂を生み出している。テレビだけでなく、それをスポーツ紙や夕刊紙が文字起こししてネットに拡散、新聞や通信社まで誤報捏造何でもありの危機煽り一辺倒。そして何より、それに反する情報発信に対してバンと呼ばれるコンテンツ削除やアカウント停止が頻繁化し、言論の自由を侵害しようとしている。トランプ氏のアカウント停止は記憶に新しいが、他にも様々な実例があり、恣意的、偏向的としか思えない状態になっている。

2の抽象的な観念論も五輪に対する反対攻撃は正にその通りである。命と五輪の何方を取る?と比較できない要素による脅迫観念の繰り返し。冷静に考えれば、五輪を取っても命を失う訳では無い事は自明、感染数という結果でも五輪の影響が本来出始める開幕から2週間後から東京都の感染拡大は頭打ちになっている。今までも人流と感染の関係をマクロ視点で見れば相関関係にない事は明らかだが、その様なリアリズムが通用しない。

3のエリート小集団は、分科会や専門家と称する方々の発信。中には、単に学術的に推論を提示しているだけの場合も見受けられるが、メディアによってその単語を切り取り、金科玉条の如く専門家の意見と発信し、テレビ出演の専門家と称する人達は、非論理的な煽りを繰り返す。冷静に時系列で発言をつなぎ合わせると、如何に論理矛盾の発言をその場しのぎで繰り返しているのか理解できるはずだ。

4の国際常識は各国の感染状況との比較、長所短所の分析が冷静に出来ない。他国から見た時に死者数の少なさで日本の状況は穏やかに見えているにも関わらず、何故か大騒ぎ。五輪に関しても、国際公約という観点を持てず、身勝手な中止論を振りかざす無責任さ。他国視点では、日本で良かった、日本でなかったら出来なかったとの称賛は止まないが、未だに悪夢を生み出すと国際感覚とズレた認識を発信し続ける。

5に関しては、常に短期的視点でその場の揚げ足取りの連続。ワクチンに関して、ワクチン慎重論を展開し、副反応のリスクを殊更拡大評価していたにも関わらず、接種が順調に進むと、ワクチンの確保、接種が遅れていると攻撃。1日100万回を目標に掲げると、そんな無理は自治体が対応できないと批判し、実際に100万回を超えると、ワクチンが来ない、停滞していると言う。テレビではワクチン供給は止まっていると批判するが、その時点でも100万回は平均で遥かに上回り、ピークでは200万回まで記録しているにも関わらずだ。

何と「五つの教訓」の全てに反する行為をメディアは見事に繰り返しているのだ。

教訓に違反する事案例

そして、その極みとも思える事件が発生した。テレ朝の大人数カラオケ泥酔深夜の転落事件である。

この事件はメディアがあり得ない行為と言い続けた「長時間」「大人数」「飲酒」「カラオケ」の全てにおける違反を行った事件であり、自社の行動を棚上げした身勝手さが問題である。そして、初犯ではなく過去にも同様の違反行為でクラスターまで発生させている。その際、再発防止のための検証をして真摯に取り組むとワイドショーでは発言していたが、その結果は説明されず、今回も同様の発言を繰り返している。昔の事を視聴者は忘れている前提で、その場しのぎの反省の振りして、やり過ごせばそれで良いと考えているとしか思えない。

そして、それ以外にも分かったのが、救急搬送は確実に行われたという事実。救急搬送が機能不全に陥っているとの報道があったが、東京都議員から東京都の救急搬送に報道される様な搬送出来ない事態は発生していないとの、現場確認した上での発信もある。何を根拠に救急搬送先が見つからないと報道しているのだろうか。

断っておくが、発覚した事件は氷山の一角に過ぎないはずだ。ハインリッヒの法則によると、発覚した何倍、何十倍もの事案が水面下に潜んでいるのだ。その全てを洗い出し、再発防止策の説明責任、組織としての引責が必要であり、それまでの間、同社グループ内の報道・ワイドショーは全て放送自粛すべきだろう。そもそも、自分達が他人に要求してきた事なのだから自分達がやってしまった時には、必要以上に厳粛にやるべきであろう。

是非、その場しのぎに騙されないで欲しい。

昔、経験したが、生徒や父兄に大変人気のある教師がいた。生徒の悩みに耳を傾け、何でも相談に乗ってくれるという評判だったが、ある日、優秀な生徒が出現した瞬間化けの皮が剥がれた。それは今まで何でも相談に乗る様に見えて、何も具体的に進める事はしない、単なるリップサービスだったのだ。優秀な生徒が、本当に悩み、前向きに改善する為に、具体的に実行プランを自分と教師に依頼する分含めて計画立案した瞬間、逃げたのだ。その生徒は、そのプラン通り計画を確実に実行したが教師は全く何もやらず、梯子を外した。リップサービスに騙されてはいけない実例だった。

現状のリアリティ

今再び、予測のシナリオが発信された。現状を実行再生産数1.7と想定し、3割削減では下げ切らず、5割減で僅かに減少出来るとの事だ。

当たり前だろう、1.7の3割減は1.19、5割減で0.85なのだから算数が出来れば言われなくても分かる。何より、3割減とか5割減と言う発想は、人流ありきの発想でしかない。人流があれば感染するのが基本だと言うが、他の諸条件の方が遥かに要因としては大きいから、人流との相関は今までの所示せていない。GoToとの関係も示そうと調査した論文も、結論は『相関関係があるとは言えない』である。いい加減に認めたらどうかと思うが、観念論と狭い世界の常識から脱する事が出来ていない。

リアルに発生事象と統計数字を見る限り、ワクチン接種がレジュームチェンジの鍵になるのは間違いない。しかし、PCR検査の陽性判定は減らない。何故なら、ワクチンはウイルスそのものを撲滅させないからだ。従って、ウイルス蔓延状態における、曝露は防げないと考えるべきだろう。

従って、個人に要求すべきは、曝露しても感染しない予防策、他人に感染させない対策が全てなのだ。人流減や行動規制ではなく、風邪をひかない、ひき始めに徹底ケア、そして他人にうつさない、即ち健康管理の徹底なのだ。

人流制限に求めるのは、医療資源の再配分、流行状況に合わせた柔軟な体制強化を図り、初期医療の充実と、重症者対応力強化を1年以上怠っている言い訳でしかない。