「市長選問題」から「横浜市政の重大問題」となった“山中竹春氏のウソと恫喝”

横浜市長選挙に出馬表明していた氏の「市長としての適格性」に根本的な疑問を持つことになったのは、山中氏に対抗する形で立候補の意志を一旦表明していた私の下に、直接、間接に山中氏を知る人達から、彼の専門性、パワハラ体質、経歴詐称の疑いなどの様々な問題についての情報提供があり、「絶対に横浜市長にしてはならない人物」であるとの真剣な訴えがあったからだった。医療情報学、データサイエンスの専門家、医師など様々な立場の人達からも、山中氏に関して公表されている資料から、その能力・資質等に対する根本的な疑問の声が寄せられていた。

山中竹春氏公式HPより

コンプライアンス顧問等として、長く横浜市のコンプライアンスに携わってきた私の最大の関心事は、市長選挙によって、市民や地域社会の要請に応えられる横浜市政を担う市長が選ばれることだった。立憲民主党推薦の山中氏が有力候補となったことで、横浜市のコンプライアンスに重大な支障が生じることが懸念された。それを阻止するめの最も効果的な方法は、自分自身が立候補することではなく、特定候補の当選阻止をめざす「落選運動」(公職選挙法が規定する「当選を得しめない目的で行う活動」(142条の5等)を行うことだと考えた。

そこで、立候補意志を撤回して落選運動に転じることを、8月5日の記者会見で明らかにし、その後、ブログ、YouTubeでの発信、インターネット上でのチラシのアップ、インターネット広告などの手段で、山中竹春氏と小此木八郎氏の当選を阻止する活動を行ってきた。

新型コロナ感染爆発の影響で「反菅政権」の世論の高まりの中で、選挙戦が進むにつれ、山中氏優位の情勢が強まる中、山中氏の落選運動に特に注力した。しかし、8月22日に実施された選挙は、山中氏が他候補を大きく引き離して当選という結果に終わった。

落選運動での山中氏に関する指摘は、大別すると、経歴や専門性に関するウソと、自己の要求に応じさせるための恫喝の疑惑に関するものだった。山中氏側が説明責任を全く果たさず、黙殺し続けてきたこともあって、それらに関する指摘は、残念ながら、多くの横浜市民には届かなかった。

それだけに、市長に就任した山中氏が、就任後に、ウソ恫喝の疑惑にどう向き合い、どう説明するのかは、「山中市長」の信頼性の根本から問うものとなった。

しかし、市長に就任してから約3週間が経過した今も、山中氏がウソ恫喝の疑惑に真剣に向き合っているとは到底言えない姿勢をとり続けている。そのことを、新聞、テレビの大手メディアは、ほとんど報じようとしない。

本稿では、まず山中氏のウソについて、経歴詐称の全体像を明らかにし、それに関する市長会見での説明の「さらなるウソ」を指摘する。山中氏の恫喝については、「横浜市大理事長らへの不当圧力問題」の事実解明を求める横浜市会への請願審査が9月24日の常任委員会(政策・総務・財務委員会)で行われる予定となっているほか、山中氏自身を被告発人とする強要未遂罪の告発状が横浜地検に提出され、受理に向けて審査中だが、これらについての市長会見での質問への対応についても述べることとしたい。

山中氏の正確な学歴・経歴と、「詐称」の中身

現在までに判明している山中氏の横浜市大教授に就任するまでの正確な学歴・経歴は、以下のとおりである。

1991年4月 早稲田大学政治経済学部入学

1996年3月 早稲田大学政治経済学部卒業

1998年3月 早稲田大学理工学部数学科卒業

2000年3月 早稲田大学理工学研究科(修士課程)修了

2000年4月 九州大学医学部助手

2002年7月~2003年9月 アメリカ国立衛生研究所(NIH)に留学

2003年11月~2004年6月 アメリカ国立衛生研究所(NIH)ビジティングフェロー2004年7月 財団法人先端医療振興財団 研究員

2005年1月 国立病院機構九州がんセンター 臨床研究部腫瘍統計学研究室 室長2012年3月 国立がん研究センター東病院臨床開発センター先端医療開発支援室長2013年4月 国立がん研究センター 生物統計部門 部門長

2014年4月 横浜市立大学医学部 教授

一方、山中氏が、横浜市大教授就任後に、研究者の経歴・業績等を紹介する外部サイトであるresearchmap(リサーチマップ)や大学の研究室ホームページの個人ページに掲載した学歴・経歴は以下のとおりである。山中氏は、横浜市のプロジェクト学外での講演、シンポジウム等の学歴・経歴でも、ほぼ同様の記載をしている。(太字は上記と異なる部分)

1995年 早稲田大学 政治経済学部 経済学科

2000年 早稲田大学大学院 理工学研究科 数理科学専攻

2000年 九州大学医学部附属病院 医療情報部 助手

2002年-2004年 米国国立衛生研究所 NIH/NIEHS リサーチフェロー

2004年-2005年 先端医療振興財団 臨床研究情報センター 研究員

2006年-2012年 国立病院機構九州がんセンター 臨床研究部 室長

2012年-2013年 国立がん研究センター東病院 臨床開発センター 室長

2013年-2014年 国立がん研究センター 生物統計部門 部長

2014年 横浜市立大学 医学部 教授

山中氏が学内・学外に表示していた「学歴・経歴」と、正確な学歴・経歴との相違点は、(1)早稲田大学政治経済学部の卒業年次が、正しくは1996年なのに、リサーチマップでは、1995年と1年繰上げられている、(2)1998年早稲田大学理工学部数学科卒業の記載が欠落している、(3)早稲田大学大学院 理工学研究科の(修士課程)の記載が欠落している、(4)2002年~2004年のアメリカ国立衛生研究所(NIH)への留学期間全体が、「米国国立衛生研究所 NIH/NIEHS リサーチフェロー」とされている、の4点である。

「学歴・経歴詐称」と「博士号取得」の関係

これらの詐称は、いずれも、山中氏の「博士号取得」に関連すると考えられる。

多くの理学系研究者の学歴は、学部卒業後修士課程2年、博士課程3年在籍し、博士号を取得するというものだ。しかし、山中氏の学歴は、上記のとおり、それとは異なる。政治経済学部を(1年留年して)5年で卒業した後、学士入学で理工学部数学科に2年間在籍し、その後理工学大学院の修士課程を修了したというものだ。九州大学医学部の助手となった時点では博士号は取得しておらず、その後、米国NIH留学中の2003年10月に、早稲田大学で「博士論文」の認定を受け博士号を取得した。大学院博士課程で取得する「課程博士」ではなく、「論文博士」だ。

ところが、山中氏は、学部卒業年次を1年遡らせて「1995年 早稲田政経学部卒」とし、「1998年 数学科卒」を除外し、「2000年 大学院修了」と表示して「修士課程」を除外することで、「学部卒業後、大学院に5年在籍」という、一般的な理学系研究者と同じ外形の学歴になっている。それに加え、博士号「取得後」に、正式な連邦職員として採用される「NIH リサーチフェロー」として勤務していたように詐称することで、「大学院博士課程を修了し、博士号を取得して、米国NIHに正式職員として採用された」という輝かしい経歴を装ってきた。

このような学歴・経歴の偽装に関連するのが、横浜市大の医学部臨床統計学教室のホームページの教員の経歴の記載の経緯だ。

研究者が学歴を記載する場合、

「△年 〇〇大学院〇〇研究科 博士課程修了 博士(〇〇学)」

と記載するのが一般的だ。横浜市大データサイエンス学部の教員も、ほとんどが、「博士課程修了」と記載した学歴を、ホームページ用の記載用として提出したはずだ。ところが、実際の同学部ホームページでは、同学部の教員の学歴の記載は、すべて、

「△年 〇〇大学〇〇学部卒業 ◇年 〇〇大学大学院〇〇研究科〇〇専攻修了」

と、学部卒の年次と大学院修了の年次のみの記載に単純化されている。

このような記載の単純化は、教授就任後の山中氏の指示によるもののようだ。山中氏は、上記(1)の「政経学部の卒業年次の1年繰上げ」を行い、(2)の「理工学部数学科卒」を記載せずに、「学部卒業の5年後に大学院を修了」であるかのように装うことによって、学歴を他の「博士課程修了者」と全く同じ外形にしているのである。

「NIHリサーチフェロー」を詐称することの意味

そして、そのような「博士課程修了・課程博士の偽装」を、一層補強することとなるのが、大学院終了の2年後の2002年からの「NIH リサーチフェロー」の詐称だ。

米国国立衛生研究所NIHにおけるリサーチフェローというのは、「博士号を取得し、期間限定で更新可能な任命を受けているNIHの職員」であり、博士号取得が必須のポストだ。2002年の時点では、山中氏は、博士号を取得しておらず、実際には、2002年の渡米時は、単なる留学生(NIHリサーチャー)であったのだから、「2002年 NIH リサーチフェロー」は全くのウソである。しかし、「リサーチフェロー」と詐称することによって、その時点で、博士号を取得していたこととNIHの正規職員であったことを装える。実際に、山中氏は、横浜市大内部でも、「博士課程で博士号を取得し、NIH リサーチフェローとして雇用されていた」と認識されていた。

山中氏にとっては、「1995年 早稲田大学 政治経済学部卒」として卒業年次を1年遡らせ、「1998年 理工学部数学科卒」を記載せず「2000年 早稲田大学大学院 理工学研究科 修了」とすることで、1年留年していたこと、博士課程を経ていないことを隠し、「2002年-2004年 NIH リサーチフェロー」の詐称で、他の研究者と同等以上の経歴を装うことができたのである。

市長選出馬に当たっての「学歴・経歴詐称」への対応

しかし、山中氏が2014年に横浜市大教授に採用される際に提出した履歴書(市会議員に開示済)では、早稲田政経学部の卒業年次も、数学科の学部卒業も、正確に記載されており、学歴・経歴に詐称はない(「NIH 研究員」が雇用契約のある研究員を意味するとすれば、厳密には正確な記載ではないが)。また、市長選に出馬することになった後の学歴・経歴の記載は、選挙公報の記載も含め、明白な虚偽の記載はない。

つまり、山中氏の経歴詐称は、法的には問題にならないように配慮しつつ、大学内の同僚、部下、学会・シンポジウム関係者、研究協力企業等に対して、自己のキャリアを過大に装うためのものだったと考えられる。

そうであれば、市長選挙に出馬することにした時点で、それまでの経歴詐称をすべて明らかにし、それとは異なる「正確な学歴・経歴」を明確にして、選挙に臨むべきだった。

ところが、出馬表明して横浜市大を退職した時点で、山中氏が行ったのは、経歴を詐称していたリサーチマップのサイトの情報をすべて削除して、経歴詐称を「隠蔽」することだった。そして、私が、NIHリサーチフェローをめぐる経歴詐称疑惑を、ブログ、落選運動チラシ等で指摘したのに対しても、全く説明も反論も行わず、選挙期間中を通してその点の説明から逃げ続けた。多くの横浜市民は、そのような問題があることを知らされることもなく、山中氏は、選挙で「圧勝」し、市長に就任した。

もっとも、山中氏の経歴詐称は、大学内の同僚、部下、学会・シンポジウム関係者、研究協力企業等に対して、自己のキャリアを過大に装うためのものであり、就職の際に提出する履歴書や、選挙公報などでは経歴詐称は行っておらず、法的には問題にならないようにしていたが、唯一、法的な問題が免れられないのが、公的研究費の申請書における「研究代表者」の経歴の記載だ。

山中氏は、横浜市大に億単位の多額の研究費が交付される研究で「研究代表者」となっている。同僚や部下との共同研究なので、学内で同僚・部下が認識している経歴が、そのまま研究費の申請書に記載され、「NIH リサーチフェロー」も含まれることになる。上記のように、文科省等では「NIH リサーチフェロー」が、博士号取得者に限定された格付けの高い連邦職員であることは明確に認識されており、それに関して、公的研究費の申請書で研究代表者の経歴に詐称があるのであれば、「応募書類に虚偽の記載を行った」ということで、それだけで不正受給の問題が発生することになる。

また、山中氏が多数のテレビ番組等に出演して「コロナ専門家」をアピールした、「新型コロナウイルス感染から約1年後における 抗ウイルス抗体および中和抗体の保有状況に関する調査」は、ほぼ唯一といっていい山中氏のコロナ関係の研究であり、総額10億円もの研究費が交付されたとされているが、その記者会見で配布した資料でも「2002年 米国国立衛生研究所( National Institutes of Health)リサーチフェロー」と明らかな虚偽記載をしている。

山中氏にとって、「NIH リサーチフェロー」の経歴詐称は、研究費の申請に関して、致命的な事態を招きかねないものなのである。

「経歴詐称」についての記者会見での説明

就任直後の8月30日の記者会見で、フリーランスの記者から経歴詐称について問い質された山中氏は、

「2002年から2004年まで、NIHの研究員だったことに詐称はない」

「リサーチフェローは研究員を意味する言葉として使うことがあった」

と説明した。

9月17日の定例会見では、その点についてさらに問われ、次のようなやり取りが行われた(畠山理仁氏「記者会見・全文起こし」の該当部分を、「まあ」、「あのー」、「えー」を除外するなどし、一部要約)。

西谷記者:これまでNIH、アメリカの研究所で2年間リサーチ・フェローをされていたと公表されてきたと思うんですが、私が取材したところ、NIHの附属機関の方から回答を得まして。ヤマナカタケハルさんがNIEHS、NIHの附属機関に在籍していたのは2003年の11月から2004年6月の8カ月間で、肩書きについては「リサーチ・フェロー」ではなくて「ビジティング・フェロー」というものであったと回答を得たんですが。これは山中さんは経歴について、何か嘘をついていたとか、詐称していたとか、そういうことになるんでしょうか?

山中市長:まず、事実として、2002年の7月から2004年の6月まで、NIHで研究者として在職しており、その事実に違いはございません。2002年の7月から、九州大学教員の身分を保持したまま、九州大学からの在外研究員という形で、NIHの研究者として赴任をしておりました。その際には、アメリカで働くということで、アメリカでの就労ビザ。具体的にはJ1ビザを取り、NIHに在職しておりました。呼称に関しては、講演や研究発表などで、日本語で、日本語で研究員としたり、あるいは研究員を示す英語としてリサーチ・フェローといった用語を使っておりました。あるいは、リサーチャーなどと言っていたこともあります。

西谷記者:では、なぜ、このNIHには、2003年以降の記録しか。なぜ、「ビジティング・フェロー」ということは使ってこなかったんですか。NIHのリサーチ・フェローとなれば、ビジティング・フェローとは全く別の役職になりますので、詐称と、嘘をついていたという疑いを持たれてしまうと思うんですが。

山中市長:これまで、呼称に関しては、講演や研究発表などで、研究員と表記してきたこともありますし、研究をしているフェローということで、リサーチ・フェローっていう言葉を使っていたこともありますし。いろいろとそういった言葉を、適切な用語だと思われるものを使ってまいりました。いわゆる研究員として赴任しておりましたので。研究員に相当する日本語や、あるいは、英語を使ってまいりました。

西谷記者:その時は現地ではどういう役職だったんですか?英語で何という肩書きでしたか?

山中市長:研究員に相当する言葉だったと思います。さまざま、機関ごとに定義が異なる。同じ用語であっても、機関ごとに定義異なる場合もありますので。

西谷記者:NIHのリサーチ・フェローと答えたのは不適切だったとは考えないですか。

山中市長:考えておりません。研究員を表す用語として、研究員。リサーチ・フェロー、リサーチャー等を使っておりました。2002年の7月から2004年の6月だと思いますが、その時点で勤務していた。研究者として在職していたというのは事実です。

西谷記者:ビジティング・フェローという役職であったことも事実ですか。ビジティング・フェローであったことは事実ですか。

山中市長:ビジティング・フェローであったことは、ちょっと確認をいたします。でもNIHの方からご回答っていうのが、ビジティング・フェローという回答があったんですか。

西谷記者:はい。そうですね。

山中市長:NIHの回答部分についてはその通りだろうと思います。

「J-1ビザ」言及で掘った墓穴

このやり取りの中で、山中氏は、経歴詐称疑惑について、合理的な説明をして疑いを解消するどころか、新たに、多くのウソを連発している。

山中氏は、「2002年の7月から2004年の6月まで、NIHで研究者として在職していた」と述べ、「アメリカで働くということで、アメリカでの就労ビザ、具体的にはJ-1ビザを取り、NIHに在職していた」などと言って、米国での「就労」を強調している。

しかし、山中氏が取得したと言っている「J-1ビザ」は、「交流訪問者ビザ」であり、交流プログラムへの参加を目的として渡米する外国人向けのビザだ。米国で就労することを希望する外国人のための「就労ビザ」とは異なる。「J-1研修プログラムは、通常、正規従業員が携わる生産的仕事の一部を含むこともありますが、研修や技術の向上がそのプログラムの主目的でなければなりません。本来正規従業員が就くはずの業務を研修生が代行することはできません。」(一般社団法人日本国際実務研修協会HP)とされており、山中氏が「J-1ビザ」を取得してNIHに在籍していたことは、逆に、山中氏が強調する「在職」「就労」目的の渡米であることが否定され、彼が「留学生」の立場でしかなかったことを意味する。

文科省科学技術政策研究所が、2005年3月に出した【「米国 NIH 在籍日本人研究者の現状について」】と題するレポートによれば、J-1ビザは「交換留学生用」であり、「NIH で Visiting scientist として在籍している日本人は H-1B もしくは O-1 ビザを、Visiting fellow として在籍している日本人は、主に J-1 ビザで滞在していると思われる」とされている。このVisiting scientist というのがResearch Fellow(リサーチフェロー)を含む「NIH職員」であり、山中氏が「J-1ビザ」であったことは、「NIH職員ではなかった」ことを示すものである。

また、経歴にリサーチフェローと記載していたことについて、

「講演や研究発表などで、研究員と表記してきたこともありますし、研究をしているフェローということで、リサーチフェローっていう言葉を使っていたこともあります」

と言って、リサーチフェローを「研究員」と同じ意味の言葉として使っていたかのように言っている。しかし、山中氏は、英語でNational Institute Health Research Fellow と経歴を表示していた例も多数ある。この英語表記は、明らかに、「米国国立衛生研究所のリサーチフェロー」という「役職」を示すものであり、「研究員」と同じ意味だとする山中氏の弁解は通る余地はない。

NIHでの「在職」を強調する山中氏は、その「役職名」を聞かれて「研究員に相当する言葉」としか答えられず、最後は、「NIHがビジティングフェローと回答した」と言われて、ようやく、「それが正しい」と認めた。山中氏は、最終的に、NIHでは、リサーチフェローではなく、ビジティングフェローであったことを認めたのであるが、それまでの質疑応答は、経歴詐称について、ウソにウソを重ねていく山中氏の姿勢を如実に表わすものだった。

「パラハラ音声」に関する質問を「かわす」山中氏

選挙期間中に、落選運動の一環として、私が、YouTube、ブログで公開した「パワハラ音声」については、8月30日の就任会見の際に、フリーの畠山理仁記者との間で、以下のようなやり取りがあった。

畠山:郷原さんが、インターネットで、山中さんのものとされる音声を公開されておりますけれども、山中さんご自身はこれをお聞きになりましたでしょうか。

山中:存在は、聞いているんですが、内容に関しては、全部はちょっと。途中まで聞いたんですけれども、全部はあのーまだ聞いてません。

畠山:音声の声は山中さんご自身のものということで宜しいんですか。

山中:はい。そうです。そうです。はい。

その続きとして、9月17日の定例会見では、同じ畠山氏との間で、次のようなやり取りがあった。

畠山記者:前回、会見が途中で終わってしまったので、前回からの続きということでうかがいます。8月30日の就任記者会見の場で、山中さんはですね、郷原信郎さんが、インターネット上で公開した音声をご自身のものだとお認めになりました。で、この音声が「パワハラだ」という指摘をされていることについて、山中さんご自身は反論をなさらないのか。パワハラだと言われても仕方がないとお認めになるのか。法的措置などはお考えなのかということをまずうかがいたいと思います。

山中市長:そのようなブログ等がネット上に情報があることは聞き及んでおりますが、過去にですね。前回も申し上げましたが、横浜市大学などからハラスメント行為やその疑いを指摘されたことはございませんし。現在、私がすべきことは、選挙を通じて選んでいただいた皆様に対して、横浜市政に集中を、横浜市の市政に集中することだと考えております。

畠山記者:ということは、法的措置とか、これは違うという反論はされずに、そのまま捨て置くということなんでしょうか。

山中市長:私が行うべきことは、横浜市の市政に集中すべきだと考えております。

畠山記者は、前回会見で、山中氏がネットで公開された音声が自身のものだと認めたことを受けて、その「自分の音声」がパワハラだと認めるのか、反論して法的措置をとることを考えるのか、について質問した。ところが、山中氏は、「自分の音声」を「ブログ等がネット上に情報がある」という話にすり替えている。

しかも、そこで、「横浜市大でハラスメントやその疑いを指摘されたことはない」などと言ってフラッシュの記事で報じられた横浜市大内部でのパワハラを否定している。しかし、組織内の上位者が権限を不当に行使して被害者にダメージを与える陰湿な方法によるパワハラは、告発をしても握りつぶされたり、報復を受けたりする懸念から、告発自体が行われにくく、被害者が退職し泣き寝入りすることも多い。「大学内で疑いを指摘されたことがない」、つまり「告発がゼロ」というのは、山中氏のパワハラ疑惑を否定する根拠には全くならない(【立憲民主党は、「パワハラ音声」を聞いても、山中氏推薦を維持するのか ~問われる候補者「品質保証責任」】)。

山中氏の横浜市大内部でのパワハラについては、フラッシュの記事に掲載された部下を「干す」とするメールや、同記事中の統計解析責任者のCさんを「SUNRISE-DI試験」の論文から名前を外したことを、私が公開した「パワハラ音声」への「反論書」の中で半ば認めていることなど(【音声公開への「反論書」で一層明白になった、横浜市長選山中竹春候補の「パワハラ体質」】)、山中氏の横浜市大でのパワハラを裏付ける根拠が多数ある。「ハラスメントやその疑いを指摘されたことはない」だけでは、ハラスメントの疑惑に対する説明にも反論にもならない。

私がYouTubeで公開した山中氏の音声は、「君は、そうやってかわすじゃないか」という言葉から始まっており、相手の「かわす態度」に憤激し、「最後の手段に出る」「潰れるよ」「終わりだ。終わりだ」と言い放って終わっている。

山中氏にとって「かわすこと」はそれほど許容できない態度のはずだ。しかし、定例会見の場で、畠山記者の質問に対してとった山中氏の態度こそ、「かわす」「はぐらかす」そのものなのである。

「横浜市大への不当圧力問題」についての説明

そして、9月24日に常任委員会で請願の審査が行われる予定の「横浜市大への不当圧力問題」についても、畠山記者から質問があり、以下のような問答が行われた。

畠山記者 昨日の本会議で、6月16日に横浜市大が出した、「連絡が取れない状況が続いている」というメールの内容について、「連絡が取れないということはなかった」と山中さん明言をされました。その上でうかがいたいんですけれども。辞職の意思を伝えたのは、どなたにお伝えになられたのか。で、6月16日の文書に「連絡が取れない状況が続いている」と書かれていたということは、つまり、学長、または理事長のいずれかが嘘をついていたと主張をされるということでよろしいんでしょうか。

山中市長:6月29日だったと思うんですけど、そこの時の発言に関して、1週間、2週間、「2週間ぐらい前」と言ったんですかね。日にちは明示しなかったと思うんですけれども、えー。私が辞意を表明したのは6月18日の金曜日の夕方です。夕方から夜にかけてです。それは理事長に対して、ご連絡を差し上げました。6月16日に、このようなメールを一斉に出され。その時はですね。まだ、調整中という段階ではありましたが、こういったメールもあり。まだ立候補前ではございましたが、6月18日に、辞意を伝えざるを得なくなったというのが現状、実態でございます。

畠山記者:報道自体はもう6月16日の段階でされていたわけですよね。

山中市長:16日の朝だったと思いますね。その日の朝刊で、何社かちょっと忘れましたけど、新聞報道をなされていたと思います。6月16日水曜日です。16日水曜日の朝に新聞報道なされていたと思います。

畠山記者:でも山中さんご自身が出るっていうことを言わないとさすがに書かないと思うんですけれども。

山中市長:いえいえ。それは新聞記者さんですので、さまざまなところから、そういった情報を集められて、私に関わらずこの情報が正しいと判断されれば、新聞に掲載するということがメディアとしての進め方だと。それは各社の考え方によると思うんですが。そこで3社か4社か忘れましたけど、されていたようです。私自身はその時点では、理事長や学長と一切コンタクトは取っておりません。

畠山記者:なるほど。そうなると、6月16日にそのようなメールを出した横浜市大っていうのは、重大な問題を抱えているとは思われませんか。

山中市長:なぜ、ああいったメールが出されたのかに関しては、存じ上げません。ただ、私としては事実の方を申し上げさせていただきました。

畠山記者:じゃあ、この点について最後、もう1問だけお願いします。あの、メールの文書は内容がですね、また新たなメールが出るわけですけれども、それまでの間、打ち合わせの場に山中さんご自身が同席されていたということも昨日の本会議でお認めになりました。資料では黒塗りになっていた部分が山中さんだということをお認めになったんですけれども。その過程で、面談の機会が複数回持たれていたと思います。で、文書の内容というのが、当初とは大きく変わって、山中さんの研究実績は素晴らしいものがあってというような、称賛するような内容になった。変更されたということについて、ご自身や市議の方も同席されていたと思いますけれども、その働きかけが圧力になったという疑念を招くとはお考えにならないでしょうか。

山中市長:まず、大学との会談につきましては、事実に反する内容。それは先ほど畠山さんがおっしゃった、その内容に関して申し入れをいたしました。で、その結果、最後の最終的にですね、文章で、しかるべく訂正をしていただいたと考えております。また、文章は、大学内部の決裁を経て、複数の方々の。まあ役所なので。複数の方々の決裁を経て出されているものですので、そのプロセスに関して、何かこちらの方から働き掛けた、圧力をかけたとか、そういった事実はございません。

山中氏は、市長選への出馬について自分からはマスコミに何もコメントしていないのに、6月16日朝刊で3、4社が出馬を報じ、同日、理事長・学長名で「連絡がとれない状態が続いている」と書かれたメールを出されたために、辞意を表明せざるを得なくなり、18日夕方に理事長に連絡して辞意を表明した、と言いたいようである。

しかし、【「横浜市大への不当圧力」が、山中市長にとっても重大問題である理由】でも述べたように、16日に東京新聞の取材を受け、その翌日の17日には東京新聞の記事が出ており、18日にも、神奈川新聞に、「立憲民主党などの野党勢力の推薦や支持を得られれば出馬する意向」との山中氏自身のコメントを含む記事が出ている。山中氏が、東京新聞には16日に、神奈川新聞には17日に、取材に応じて出馬の意向をコメントしていたことは明らかだ。ところが、山中氏は、「6月16日の時点で、理事長や学長と一切コンタクトは取って」おらず、18日になってようやく理事長と連絡をとって、辞意を伝えたと言っている。

そうだとすると、山中氏が自ら出馬意志を認めるコメントを含む記事が続々と出る中、理事長・学長と山中氏とは全く連絡がとれない状況が続いていたことになる。16日から18日までの間、横浜市大では、学長補佐・データサイエンス研究科長の市長選出馬をめぐって「異常な状況」が続いていたということだ。そのような事態を招いた責任が山中氏の側にあることは明らかである。

このような山中氏の会見での発言からも、立憲民主党の市会議員らとともに、理事長らと面談し、6.16付け学内文書の「連絡がつかない状況が続いている」との記載が事実に反すると言って、訂正・謝罪を要求したこと自体は、全くの「言いがかり」である(【「小此木・山中候補落選運動」で “菅支配の完成”と“パワハラ市長”を阻止する!】)「素晴らしい研究業績」などと自分を称賛する文書が発出されたことが不当要求によるものであったことは、記者会見の問答で一層明白になったと言える。

信じ難いことに、畠山氏が、「6月16日にそのようなメールを出した横浜市大っていうのは、重大な問題を抱えているとは思われませんか」と言っているのが、「マスコミが一斉に山中氏の出馬を報じているのに、市大側で山中氏の出馬意向の確認すらできない状態」にあったことを「重大な問題」だという趣旨であることは明らかなのに、山中氏は、それを、6月16日に理事長・学長名でメールを送信したことが「重大な問題」だという意味に都合よく理解したらしく、

「事実に反する内容。それは先ほど畠山さんがおっしゃった、その内容に関して申し入れをいたしました」

などと述べている。

そして、「大学内部の決裁を経て、複数の方々の決裁を経て出されている」ことを理由に、「こちらの方から働き掛けた、圧力をかけた事実はない」などと自己の行動の正当性を主張している。

しかし、横浜市が正式に市会議員に提出した請願書添付の面談記録によれば、山中氏と市会議員が市大理事長らに対して、

「市民にSNSやインターネット上で、理事長、学長の不誠実を知ってもらった方がよいとも考える」

「コンプライアンス違反で訴え厳正に対処することも考えている」

などという恫喝的発言を行って文書発出を要求したことは明らかだ。そのような「圧力」がなければ、大学の経営トップの理事長がそのような不当要求に応じるわけがない。大学内部の決裁手続で、文書発出の問題点が指摘されなかったことは、大学当局のコンプライアンス問題であることは確かだ。しかし、それによって、山中氏らが行った要求自体が正当化されるものではない。

就任後の「山中市長」の対応こそが、今後の横浜市政にとって重大な問題

山中氏のウソ恫喝は、市長選の選挙期間中までは、山中氏という人物の「市長としての適格性」についての市民の判断の材料であった。それらが多くの市民に認識されないまま市長選挙が行われ、山中氏が当選したことが、市民の「正しい選択」だったのかにも疑問がある。しかし、それ以上に問題なのは、山中氏が当選して市長に就任した後、記者会見等で、ウソを認めず、さらにウソを重ね、恫喝についても全く非を認めず自己を正当化しようとしていることである。そのような人物が横浜市長として、市会での健全な議論、市民との対話が行えるとは到底思えない。

自らのウソ恫喝について、山中氏がどのように説明責任を果たすのか、それは今後の横浜市政の健全性、信頼性に関わる重大な問題だ。しかし、新聞、テレビ等の大手メディアは、市長会見でも、それらの問題に触れることはなく、報じようともしない。そのような姿勢で、横浜の地域社会に対するメディアの責務を果たしていると言えるのだろうか。

山中氏の恫喝の典型例である「横浜市大理事長らへの不当圧力問題」の事実解明を求める横浜市会への請願は、当初は、立憲民主党市議2名に関する調査を求めるものだったが、9月16日の横浜市会での答弁で山中市長が、面談記録上の「黒塗りの人物」が自分であることを認めたことに伴い、山中市長本人も調査対象に加える請願書の提出願いを、本日(9月22日)、横浜市会に提出する。

山中市長のウソ恫喝の追及は、これからが本番である。