小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト J・シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』東京公演

小田島 久恵

若い音楽家たちがプロの音楽家の指導のもとオペラを学び、実際の公演を作り上げていく「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」の3年ぶりの東京公演が、上野の東京文化会館で行われた。

2022年の上演作品はヨハン・シュトラウス2世の『こうもり』。幕が開いた瞬間に、久々に「本物のオペラ」が始まったと興奮した。豪華な装置、奥行きのある美術、煌めくインテリアの色彩感・・・。海外オペラの引っ越し公演を見る機会が長く奪われていたこともあり、コロナ以前の壮麗な来日オペラを思い出し、胸が熱くなった。演出はメトロポリタン歌劇場で25年間首席演出家を務め、METで約100のプロダクションを演出したデヴィッド・ニース。若い演奏家・声楽家たちはこのように「本物」を通じてオペラを学んでいく。

主役キャストも無事来日を果たした。これだけ海外勢が顔をそろえる公演も久しぶり。

アデーレ役のアナ・クリスティーは登場の瞬間、ヘアメイクのせいか少し老けて見えたが、コミカルな演技が魅力的で、朗らかな高音も耳に快い。ロザリンデ役のエリー・ディーンとアイゼンシュタイン役のアドリアン・エレートも、倦怠期の夫婦を大人っぽく(?)演じた。エリー・ディーンは初めて聴く歌手だが、豪華なハイファッションを堂々と着こなし、自信に溢れた歌唱も圧倒的だった。欧米の歌手たちの、日本人とは異なる舞台でのオーラの発し方ということを実感した。新国立劇場でも何度か同役を演じているアドリアン・エレートは、オペレッタ的な愉楽的な人物の印象はあまりないのだが(!)、いつもの気難しい顔で面白いことを色々やっていた。

この演出ではアイゼンシュタインが踊るシーンが多いので、踊るエレートをいつも以上に見ることが出来た。ロザリンデの愛人アルフレートは、日本人が演じると冗談ばかりの役になりがちだが、ジョン・テシエのリリックな美声はローエングリンを歌うクラウス・フローリアン・フォークトそっくりで、この役には勿体ないほど。急に「誰も寝てはならぬ」を歌う場面(途中で遮られるが)も愉快で、会場は大いに沸いた。

ピアニストのデニス・マツーエフに少し似たファルケ博士役のエリオット・マドアは、すべてが濃い。一挙手一投足がプロのコメディアンで、エレートとの掛け合いにもうなるようなドライヴ感がある。歌手たちのこの「美味しい感じ」の正体は何なんだろうとずっと考えていた。ドイツ語の芝居に安定感があるのもよかったが、それだけでない成熟した喜劇オペラの空気感があった。

指揮者のディエゴ・マテウスは、ドゥダメルを世に送り出したベネズエラのエル・システマ出身で、去年アレーナ・ディ・ヴェローナでデビューを飾り、今後パリ・オペラ座やMETにもデビューの予定だという。マテウスが若い演奏家たちとともに鳴らすオーケストラにも、ヨーロッパ的な空気感が感じられた。時折合奏が歌とずれてしまう箇所もあったが、これはプレイヤーが経験を積めばすぐに解消されることなので問題はない。何より、オペレッタの「香り」が漂っていたのが良かった。それも、『こうもり』が書かれた微妙な時代の、特定の地理的条件までもが、オケの響きには暗示されていた。

2幕のオルロフスキー公爵邸での場面は、オペレッタの中でも最も豪華で楽しい。18歳の大富豪のロシア公爵オルロフスキーを演じたエミリー・フォンズは、本物の男性に見えたのでびっくりした。短髪に髭というヘアメイクで、オスカル風に仕上げた耽美なオルロフスキーではなく、小柄だが荒々しい貴族の青年として暴君ぶりを発揮する。脇にいるときも、完璧な男役だった。声を出す瞬間になって、ようやく女性の歌手だと認識するが、見事な役作りに溜息。

「ロシアの暴君」という表現は微妙なご時世なのだが、にこりともせずに無理やり客人にウォッカを浴びせる場面などは、人の痛みを知らない専制君主のようで、どういう心境でやっているのか気になった。プログラムに載っている写真は、別人のようだ。

奥様のドレスを着てきゃぴきゃぴするアデーレ(アナ・クリスティー)も、2幕では若返って、水を得た魚のように活き活きしていた。北米の歌手独特のエンターテイナー感覚があり、METのような大きな箱でも歌っているだけあって、観客をひきつける術をよく知っている。

メインでは唯一の日本人歌手であるイーダ役の栗原瑛利子さんは、外国人歌手に完全に溶け込んでいて、ドイツ語も流暢なのですっかり海外キャストだと思っていた。パーティに集まった紳士淑女の合唱とダンス、ホールを埋め尽くす祝祭的な声には、大きな幸福感を感じた。東京シティ・バレエ団のダンサーたちの活躍もめざましい。

酔っぱらいのフロッシュを演じたイッセー尾形さんは、かなりこの役を作り込んでいて、2013年の白井晃さん演出の二期会の上演でも稽古のときから凄いことをやっていたが、今回はドイツ語を沢山語り、演劇的なリスクもいつも以上に課していて、凄いプロフェッショナルぶりだった。去年の二期会公演では森公美子さんが型破りのフロッシュを披露したが、歌わないこの役ほど怖いものはないのではないかと思う。今回もたくさん笑ったが、笑いの起こらないフロッシュを演じてしまったら、もう2度と舞台には立ちたくないと思うだろう。イッセー尾形さんの笑いの奥には、絶妙な国際性も感じられた。

小澤征爾さんは若い頃から才能が大きすぎて日本にいられなくなった人だという印象がある。既に活躍の場は世界にあったのだが、まだキャリアを築く前から一流以外の道に逃げられなかったプロセスには、苛酷なこともあったのは当然で、毎日毎日夜が明ける前からスコアを開いてこつこつ勉強されていたというエピソードを聞いたことがある。ただの話として聞き流すことも出来るが、その孤独な時間のことを想像すると、果てしない感慨に襲われる。小澤さんの学びの時間が、若い演奏家たちの生きる輝きとなって舞台に現れていた。

2000年から始まったこのプロジェクトの、22年目のオペラ上演には、若者だった小澤さんの時間が、現代の若者の時間と溶け合うような感覚があったのだ。