自国の防衛を否定する朝日新聞(古森 義久)

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顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久

ウクライナ国民がロシアの侵略に対して戦うことは「人殺し」だから止めろ――朝日新聞のこんな主張に改めて呆れはてた。この主張では日本が侵略を受けても日本の国家や国民は自国の領土や住民を守るために戦ってはいけない、ということになる。

国際的な平和や一国の安定が外部から崩されたときに、その回復のための「空軍、海軍または陸軍」の兵力使用は国連憲章も明確に認めている。だが朝日新聞はその平和のための兵力の使用も「人殺し」だからよくない、というのだ。

この主張に従えば、ナチス・ドイツに侵略された欧州諸国もすべてヒトラーの支配下に入ってしまったことになる。だからウクライナの現状ではウクライナの国家も国民もロシアのプーチン大統領の支配下に入れと命令することにも等しくなる。主権国家が侵略に対して自国の主権や領土、国民を守ってはならない、というのだからだ。

こんな朝日新聞の主張は3月29日朝刊の一面コラム「天声人語」に明記されていた。「天声人語」といえば、朝日新聞が長年、看板としてきたコラムである。そこの記述は朝日新聞全体のそのときの思考や主張を反映しているとみてよいだろう。

この日のコラムは桜の開花にまず触れて、桜が日本軍の特攻隊の呼称に使われたことを批判的に述べ、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領による日本の国会への演説を取り上げていた。3月23日の演説である。

そして「天声人語」は以下のように書いていた。

桜の季節だからというわけではないが、山東昭子参院議長の発言に強いひっかかりを覚えた。ウクライナ大統領の国会演説の後にこう述べたのだ。「貴国の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」

ウクライナの国民がロシアの侵略に対してみずからを守るために戦う。この行為に賛同や賞賛を送るのは山東議長だけではない。全世界の大多数の人間といってもよいいだろう。もちろん正確な数字を示す世論調査が各国で実施されたというわけではない。だが私自身はもちろんウクライナ国民の自衛の戦争に感動を受けた。私の周辺の友人知人も同様にみえる。だから山東議長の「その勇気に感動」という言葉にも同調を感じた。「強いひっかかり」など感じるはずがない。

ところが朝日新聞は違うのだ。「天声人語」は上記の文章に続いて以下のように書いていた。

侵攻する側は、よその国に人殺しに来ている。自分の国を守る側も人殺しをせざるをえないところに追いやられている。いま他国の政治家たちがなすべきは勇ましさをたたえることではない。戦争を終わらせるすべを探ることだ

唖然とする記述だった。軍事力で侵略されて、つまり戦争を仕掛けられて、その攻撃を防ぎ、はね返し、自分たちの国家や国民を防衛しようとすることを「人殺し」だと断じるのだ。

戦争を仕掛けた側のロシアにしても、「人殺しに来ている」わけではないだろう。ウクライナを隷属させるという政治目的の達成のために軍隊を送り、ウクライナの官民を屈服させようとしているのだ。その結果、相手側を殺すことにもなってしまう。だが相手国の人間の殺戮を最大目的としているわけではないのは自明である。侵略全体としては、殺傷はその最大目的達成のための手段だといえる。

まして侵略された国が自衛のために戦うという行動を単に「人殺し」と断じる「天声人語」の思考は異様である。個々の国家にも、個々の人間にも自衛の権利は認められている。基本的な権利だといえる。国連憲章や世界人権宣言でもその種の権利は明確に認められている。国際社会でも、国連でも、国家が国民を守るために戦う自衛の戦争はその国家の責務だとさえみなされている。

だが朝日新聞のこのコラムは人間が自分の生命や生活を守るため、国家が自国の主権や国民を守るために抵抗することを単に「人殺し」として、否定するのだ。外部から他国に侵略し、武力を使ってでもその他国を支配する側に対して、抵抗するな、と命じるのだ。これこそ武力の威力、戦争を仕掛ける側の立場を全面的に認める、ことにつながるという点にこのコラムの筆者は気がつかないのだろうか。

一国が他国になにかを求める。その他国がその要求を拒む。すると最初の国は武力を使って、あるいは使うぞと威嚇して、その要求を突きつける。その要求は不当である。だから突きつけられた国は反対する。抵抗する。武力での要求には武力で反撃する。これはごく当然であり、自然な流れだろう。

だが朝日新聞は相手がいかに不当であっても、その要求には抵抗してはいけない、と主張するのだ。なぜなら侵略される側の生存のため、自己保護のための抵抗も「人殺し」だからだという。その抵抗を止めれば、最初に武力を使った側が全面勝利してしまうのである。

やや飛躍ではあるが、以上の想定を実際の歴史に当てはめてみよう。第二次世界大戦はナチス・ドイツの領土拡張の軍事行動で始まった。1939年のポーランド侵攻だった。イギリスやフランスはこの侵略に対抗して宣戦を布告した。朝日新聞のゆがんだ思考に従えば、このドイツの行動も、イギリスやフランスの行動もともに「人殺し」となる。

そこで朝日新聞がウクライナに求めるように、イギリスやフランスが「人殺しを止めるために」抵抗を止めたら、どうなったか。ナチス・ドイツの全面勝利、そしてヒトラーによるヨーロッパの征服ということになってしまっただろう。

もっと身近な次元で考えても、朝日新聞の思考の非現実性は明白となる。警察が法を破った凶悪な犯罪者の逮捕のために、実力を行使する、あるいは拳銃を使う。

この法執行の行為も「人殺し」となるだろう。

朝日新聞の主張は人間がいかに不当な攻撃を受けても、その結果、生命の危険に面しても、一切の物理的な力での防衛はしてはならない、というのだ。その不当な攻撃を仕掛けた相手に降伏すればよい、ともいうのだ。そうすれば「人殺し」が避けられる、というわけである。

だがそんな理屈を受け入れれば、この世界では武力を使う覚悟で行動する側がすべての目的を達することになってしまう。個人の生存権という基本さえも否定してしまう。まして日本の防衛という国家としての必須の責務も完全に否定されてしまうわけである。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年4月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。