政治とは何か
政治とは何かを問いかけた人は無数にいる。それには研究者だけでなく、政治家も企業家ももちろん有権者としての国民や大衆も含まれる。古代ギリシャ時代のプラトンには『国家』、アリストテレスには『政治学』という著書もあるように、その問いの歴史は非常に古い。ギリシャ時代だけではなく、古代中国の孔子、孟子、墨子をはじめ何人もの思想家も、その時代における政(まつりごと)への識見を書き残している。
日本でも、最初の成文法である聖徳太子の「憲法十七条」が604年に制定されたと伝えられている。それには和の精神、君臣の道徳が説かれ、官吏や貴族の守るべき訓戒が記されている。
人類が群れて生きるようになり、文字が発明されて以来、この種の問いは書き続けられてきた。その意味では「政治とは何か」は古くてありふれた問いかけではあるが、決定版は古今東西時代を超えてどこにもない。
「分断ではなく団結」(‘of unity ,not division’)
第46代アメリカ大統領になったバイデンの「就任演説」(2021年1月20日)で繰り返された「分断ではなく団結」(‘of unity ,not division’)もまた、今日のアメリカだけではなく世界を考えるにふさわしい政治理念の一つである。これは2022年2月24日からのロシアによるウクライナ侵略戦争でも、アメリカ主導の「NATOの団結」や「G7の団結」でいかんなく発揮されている。
このような問題を考えるには、歴史上の膨大な政治学や倫理学の文献がいろいろと教えてくれるだろうが、政治に関心をもつ人はもちろん、それに志す人ならばまずはウェーバーの「職業としての政治」から、「政治とは、情熱と見識とによって固い板に穴をあけてゆく力強い緩慢な仕事」(ウェーバー 清水幾太郎・礼子訳、1962:226)であることを学びたい。
情熱-責任感-見識が特に大切
なぜなら、「政治家にとっては、情熱-責任感-見識という三つの性質が特に大切である」(同上:211)こそがまさしく箴言だと私も考えるからである。
もっともこれは翻訳なので、訳者によっては情熱と責任感は等しく使われているようだが、原語‘Augenmaß’には「目測」(西島訳、1959:75)、「見識」(清水訳、1962:211)、「判断力」(脇訳、1980:77)、「バランス(平衡)感覚」(森嶋訳、1991:130;168)、「判断力」(中山訳、2009:114)、「目測能力」(野口訳、2018:179)などが併存しているが、私は「見識」が適訳だと考えるので、以下でも「見識」を用いる注1)。
地方議員にはなり手が不足
政治家になって日本の国をよくしたい、わが町をもっと元気にしたい、産業を振興させ、国民生活を豊かにしたいという若者や中年は多いはずである。巨額の資金が必要で、そのうえ様々なしがらみも生まれる選挙がネックではあるが、無事に当選すれば4年間、政治の世界で仕事ができるのは国会議員でも地方議員でも変わらない。
ところが、国会議員はともかく地方議員になり手が不足し始めている。『北海道新聞』(2022年4月15日)によれば、北海道の過疎地域の町村議会では、全体の3割が無投票になる状況にある。また日本全国も北海道と同じで、定数割れの町村議選も常態化してきた。
これは財政難の影響により、道内の町村議員平均月収が181,734円(2021年7月時点)であり、全国の町村議員の報酬平均よりも45,000円も低い。また地方議員の多くが農業、商店経営、土建業、会社勤務などに従事しているために、「自治体からの仕事を請け負う個人事業主の議員との兼業」禁止に抵触するから、それならば選挙には出ない判断が優先されるからでもある。
議員報酬の18万円よりも、自治体からの業務を引き受けた方が収入面でも満足できるという判断で、個人事業主が町村議員にならないのであろう。
国会議員への報酬と活動費
一方国政に目を転じると、国会議員への報酬はもちろん政務活動費をはじめ多額の税金が使われている。そのうえ、政党にも巨額の政党活動費が議員数に応じて支給されている。
総務省の「政治資金収支報告書」によれば、1995年から始まった政党助成金の総額が2004年までの10年間で3125億9600万円に達した。制度導入10年間で、政党助成金使途報告で公表された受け取り総額は自民党1470億2100万円、民主党619億5000万円、社民党266億5400万円、公明党211億1800万円であった。
その後も同じ趨勢にあるが、2016年7月の参院選の結果を受けた総務省によると、2016年分の政党交付金については、議席を増やした自民党が174億3629万円と選挙前より2億1550万円の増加があった。逆に議席を減らした民進党は3億9503万円少ない93億4884万円になった。この交付金総額は318億8211万円であり、議席数や国政選挙の得票数に応じて各党に配分される。共産党は交付金を受け取っていない。
他の政党への配分額は次の通りである。公明党が30億5187万円(選挙前比7977万円増)。日本維新の会7億805万円(同2億2225万円増)で、社民党も4億4142万円(同3054万円減。)となった。「生活の党と山本太郎となかまたち」でも3億5155万円(同1873万円増)あり、「日本のこころを大切にする党」も5億4407万円(同1623万円減)になり、総額では1億2千600万人国民の一人当たりの負担が250円程度になる。
政党助成金は国民一人当たりの負担が250円
そして、2021年分の配分総額も317億7368万円であり、国民一人当たりの負担250円程度は変わらない。その内訳で第1位は自民党で170億2163万円、第2位の立憲民主党が68億8938万円、3位の公明党は30億541万円であった。その他で多い順に国民民主党が24億72万円、日本維新の会が18億1737万円、社民党が3億1228万円、NHK受信料を支払わない方法を教える党が1億666万円、れいわ新選組1億6017万円であった。制度に反対している共産党は交付を受けていない。
さらに、2022年分の政党交付金額は以下の通りである。配分額は1月1日時点の所属国会議員数、前回衆院選と直近2回の参院選の得票に応じて決定され、4、7、10、12各月の4回に分けて支給される。その総額は315億3100万円であった。
最多の自民党は160億3600万円(前年比5.4%減)で、立憲民主党の67億8600万円(同1.4%減)が続いた。交付金制度に反対の共産党は今回も受給申請していない。その他の配分額は、日本維新の会30億2700万円、公明党30億900万円、国民民主党17億7300万円、れいわ新選組4億1300万円、社民党2億7900万円、NHK受信料を支払わない国民を守る党2億1100万円となっている。
いくつかの名目による支給
個人への実際の支給額としては、たとえば国会議員は衆、参、同じ報酬で、月収70万~80万円の他に、「文書通信交通滞在費」(国政に関する調査研究、広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため)が毎月100万円支給されている。
加えて、期末手当が年額635万円プラス、JR乗車券、国内航空券の無料チケットに、3人分の公設秘書の給与がプラスされ、政党交付金も年に数百万~1000万円が個人に渡されている。しかも議員会館の使用料は無料である。
これだけの税金が政党と政治家に支出されているのだから、各党の政治家は情熱、見識、責任感をもって「職業としての政治」に邁進してほしいという国民の願いがある。
三バン(カバン、ジバン、カンバン)は消えたか?
かつてはどぶ板議員がいたし、三バン(カバン、ジバン、カンバン)にソロバンがなければ当選できないという神話もあった。今も一部にはあるだろう。しかしせっかく議員になっても、それだけでは陣笠連で終わる可能性が高い。
なぜなら、多くの場合「職業としての政治」に不可欠な情熱と責任感はともかくあるのだが、確かな知識と判断力から構成される見識の乏しさが目立つ議員が少なくないからである。
国会議員から地方議員まで何の資格もいらず、見識も試されず、選挙という「通過儀礼」を潜り抜ければ、ほぼ4年間の議員になれることの逆機能がこれを増幅させる。
森嶋通夫の『政治家の条件』
今からほぼ30年前に、森嶋はウェーバーの『職業としての政治』(1919)を土台として、イギリス、EU、日本の政治家の現状をまとめたことがある(森嶋、1991)。とりわけ後半は‘Beruf’(職業)を切り口に、『職業としての学問』(1918)と『プロテスタンティズムと資本主義の精神』(1905)と合わせて、「職業三部作」と位置付け、「ウェーバーの人間間や精神史観の核心をなす」(森嶋、前掲書:119-120)とした注2)。
当時の私は「高齢社会と高齢者」の研究に没頭しながら、少子化への配慮も芽生え始めたころであり、自分なりの「政治家の条件」を考える余裕はなかった。しかし、この30年間で少子化関連のいくつかの調査に基づき成果を上梓できて、「少子化する高齢社会」(金子、2006)にたどり着くことができた。
そこで当時から気になっていた森嶋のいくつかの指摘、すなわち以下のような文章について再考した。「多くの人は、政治家自身も含めて、政治家にはあまり学問は必要でないと考えている」(同上:168)。「日本の政治家は勉強、すなわち知識の補給すらしない」(同上:176-177)。「政治家は勉強せず、国会は無学の殿堂になる」(同上:186)。「新しい理想主義を振りかざした近代的な、勉強する『職業的』政治家が、現在の官・財界と癒着した利権配分屋にとって代わらねばならない」(同上:224)。
改めて精読すると、上記の引用に加えて、政治家の「意志決定は行き当たりばったりで、したがって目的合理的に思考することはまったくない」(同上:185)に同感するところが多かった。
たとえば、2022年2月からのロシアによるウクライナ侵略戦争はそれ自体糾弾の対象であり、不十分ながらも国連を始めとした世界各国が停戦にむけて努力中である。加えて、ロシア領土拡大戦略戦争の背景にエネルギー問題があることに気が付いたドイツとイギリスでは、半年前のCOP26での主張とは真逆と思われるほどの変わり身の速さを示した。
政治家は生涯勉強しなければならない
それに比べて、日本政治や経済界のもつ状況変化への対応の遅さが気になる。石炭関連の投資を減らし、原発の再稼働には触れず、「再エネ」重視がいまだに続いている(金子、2022b)。
「事実に即して冷静に物を見よ」(森嶋、前掲書:138)は政治家だけに必要な箴言ではない。むしろ企業経営者や官僚を含む職業従事者そして退職者でも、できるだけ多くの選挙民がこのようなライフスタイルを持ちたい。ただしその際には、「事実」を捉えるための知識と情報が要求される。
それこそがこの連載で「政治家の基礎力」と表現するものであり、同時に「見識」を構成すると私が考えるウェーバーの「情熱」と「責任感」が、「見識」とトライアングルに強く結びつく。
ただし、「政治家は勉強した人でなければならず、生涯勉強しなければならない」(同上:183)と言い続けた森嶋は、最後まで「何をどのように勉強するか」を語らなかった。森嶋ならば経済学や経済社会学を素材に、政治家に対して「生涯学習」を求めるであろう。
私の場合はライフワークが「少子化する高齢社会」における「国民生活」研究であったから、この観点から政治家の「見識」基盤となる「知識と情報」を精選し、学習の手がかりにしてほしいと願うものである。
資格が不要な政治家
さて、政治家とは異なり、わが国では公務員になりたければ採用試験を受け、医師や弁護士にも難度の高い国家試験が控えている。車の運転でさえも運転免許のための講習があり、実技や筆記試験がある。情報系でも福祉介護系でもおよそたくさんの資格試験があり、私たちの職業選択や生活を維持する際には獲得した資格が要請されてきた。大学でさえも正規雇用の教授や准教授それに助教はもちろん、最近では非常勤講師の大半もまた「博士」学位の取得が最低の条件になっている。
2020年1月以降のコロナ禍により、はからずも国会議員の緊急対応能力に国民の関心が集まったが、迅速さに欠けるコロナ対策と事後的な説明力の貧困さに政治家と官僚の連携に多くの国民が失望した。同時に2022年2月24日からのロシアによるウクライナ侵略戦争の最終的解決の要である「国連の機能不全」への解消方法が、与野党議員による国会論議でもほとんど行われず、こちらにも国民の不安感が増大しているに思われる。これでは現世代の一員として次世代や次次世代に対して申し訳ない。
下手の考え休むに似たり
このように国民の期待からは程遠い政治家がいくら集まって議論しても、それだけでは、日本社会も変わらず、世界の動きにも対応できない。むしろ次世代や次次世代に禍根ばかりを残す。
ことわざに言う「下手の考え休むに似たり」(英訳:Someone with only bad ideas might as well be asleep.仏訳:Plutôt que de penser mal,il vaut mieux que ne pas penser du tout.)を国会や地方議会でこれ以上繰り返させないためには、一定の見識を基礎に持つ政治的情熱をもつ人材を増やすしかない。ちなみに、‘bad ideas’は「下手な考え」であり、‘de penser mal’は「下手に考えること」を意味する。
団塊世代の一国民として、これからの日本を担ってもらえる政治家として、若い世代に対して期待したいことはあまりにも多い。
この連載では、その中で100兆円もの予算審議という重責に堪えうるような議員としての見識に役立つように、私が30年以上専門としてきた「少子化する高齢社会」と「国民生活」に関する基本的な知識と情報をまとめてみたい。
権力機能の強制面と合意面
確かに地方議員でも国会議員でも制度的にみれば、「権力とは抵抗を排除できる優越した意志力」(ウェーバー、1922=1953、1922=1972)を担える立場にあることは事実である。それは、物理的暴力とりわけ警察力と軍事力を背景にするからであり、知事が自衛隊に災害派遣要請を行い、政府がこれを認めるときには、明示的な権力関係がそこに垣間見える。
しかし同時に政治は、強制的側面だけではなく、権力のもつ調整機能に必要な「合意的側面」(パーソンズ、1969=1974)も濃厚に持っている。中央政治も地方政治もこの両者の絶妙なバランス感覚が必要なのであるが、それはこの仕事をする政治家の見識次第で左右されるというのが私の立場である。
以上のような問題意識で、社会学の立場から政治家に学んでほしい知識と情報について、(1)自己の政治信条、価値、政策などをめぐる「政治理念」と(2)事実に即して物を見るための少子化と高齢化に関する「国民生活の実態認識」の二部構成にした連載を構想した。
政治理念と実態認識を問いかける
「政治理念」で重要なことは真摯な自問自答であり、政治家志望の段階から実際に当選して政治家になったら、絶えず政治理念や今後の政策の方針を考え続けてもらいたい知識と情報を集めてみた。外交や国防や財政など他の分野からも政治家に期待したい知識と情報があるだろうから、「少子化する高齢社会」の「国民生活」分野を契機に、見識を支える知識と情報についての議論が各方面でもっと盛んになってほしい。
「国民生活の実態認識」では役に立つ知識と情報を可能なかぎり数値で示すように努めた。大学入試と異なり丸暗記ではなく、現状認識の手段と判断の素材として活用してもらえればと願っている。政治家が具体的データに基づいて政策論議をすれば、国民もまたそれに参加しやすいからである。
デモクラシーという標語は老若男女誰でもが支持するが、それを実際に活かすとなると、面倒も負担も大きい。また、各人各様に政治への理想の姿があるにしても、最大公約数的な合意に基づく実践こそが望ましい。古くて新しいが、「温故知新」は真実である。同時に「何事にも潮時がある」ことも事実である(金子、2020a:47-51)。
(次回に続く)
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注1)原語‘Augenmaß’を「平衡感覚」と訳せば、森嶋のように「ウェーバーでさえ、政治家に必要な要素として、情熱と責任感と平衡感覚をあげ、学問を重要な要素と考えていない」(同上:168)と言うしかない。しかし、「見識」として「事実認識のための知識と情報」を包み込めば、学問の重要性は言うまでもない。ただ森嶋もまた、政治家が「討論できるためには知識がなければならず、一つ一つ筋道立てて論理を追う力」(同上:169)として、知識を重視したことは付記しておきたい。本連載でもこの立場を堅持して、社会学の立場から政治家としての活動に役に立つ「国民生活」面の「知識と情報」を体系的に提供することを目的とした。
注2)このうち『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を「職業としての実業」(同上:119)と命名したのは卓見である。
【参照文献】
- Boulding,K.E.,1964,The Meaning of the Twentieth Century,Harper & Row,Publishers,Inc.(=1967 清水幾太郎訳 『二十世紀の意味』岩波書店.
- 金子勇,2006,『少子化する高齢社会』NHK出版.
- 金子勇,2018,『社会学の問題解決力』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2020a,『ことわざ比較の文化社会学』北海道大学出版会.
- 金子勇,2022b,「北海道『脱炭素社会形成』のアポリア」(前編後編)アゴラ言論プラットフォーム(前編4月6日、後編4月10日)
- 森嶋通夫,1991,『政治家の条件』岩波書店.
- Parsons,T.,1969,Politics and Social System,The Free Press.(=1973-1974 新明正道監訳『政治と社会体系』(上・下)誠信書房).
- Weber,M.,1904-05,Die protestantische Ethik und der >>Geist<< des Kapitalismus.(=1962 阿部行蔵訳 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」『世界思想教養全集18 ウェーバーの思想』河出書房新社):229-376.
- Weber,M.1919=1921,Wissenschaft als Beruf.(=1962 出口勇蔵訳「職業としての学問」『世界思想教養全集18 ウェーバーの思想』河出書房新社:129-170).
- Weber,M.1919=1921,Politik als Beruf.(=1962 清水幾太郎・清水礼子訳「職業としての政治」『世界思想教養全集18 ウェーバーの思想』河出書房新社:171-227).(=1959 西島芳二訳『職業としての政治』角川書店.(=1980 脇圭平訳『職業としての政治』岩波書店.(=2009 中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』日経BP社).(=2018 野口雅弘訳『仕事としての学問 仕事としての政治』講談社).
- Weber,M,1922,Soziologische Grundbegriffe.(=1953 阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』角川書店; =1972 清水幾太郎訳 『社会学の根本概念』岩波書店).