「医師は患者に謝ってはいけない」って本当?

Ridofranz/iStock

先日、ツイッターでこんな投稿を見た。

新型コロナワクチン推進のための若手医師団体「コビナビ」副代表・木下医師の発言だ。

新型コロナのPCR検査やワクチンのこれまでの発信について、

「一切謝罪するつもりはない」

と断言し、更に、

「お引取り願います」

とまで付け加えている。

今回私はPCRやワクチンの是非については議論するつもりはない。主に、医師という職業と「謝罪」の関係についてお話したい。

たしかに私も若い頃先輩医師や病院経営者から、

「医師は患者に謝ってはいけない」

と教わったことがある。

それは、

医学的正解は日進月歩で常に変わっていくもの。その時に判明しているエビデンスやガイドラインに従って治療したのなら、たとえ後からそのガイドラインに誤りが見つかったとしても、医師個人が謝る必要はない。

という理由だ。

さらに、

「医師が謝罪した」ということは「間違いを認めた」ということになり、万が一裁判になったとき不利になる。

という理由も加味され、病院内では、

「医師は安易に患者に謝罪してはいけない」

という不文律のようなものがあったのも事実。

私も若かりし頃はよく考えることもなく「そんなものか」と、その病院内の不文律に納得していた。

だから木下医師の気持ちも痛いほどよくわかる。

でも今はこう思う。

「たとえその時のエビデンス通りに治療した結果であっても、結果としてそれが間違いであったのなら医師も謝罪すべき」

と。

たしかに、どんなに正しそうなエビデンスも時に大きく間違えるのが常だ。医学の世界では治療方針が「朝令暮改」で変わるのが当たり前なのだ。

小説からドラマ化・映画化までされて有名になった「バチスタ手術」。

物語では「夢の先進医療」のように扱われていたが、今米国でバチスタ手術は禁止されている。日本でもほぼ消滅している。理論的には素晴らしい手術だったものの、実際の結果がお世辞にも良いとは言えなかったからだ。

これまで経験した多くの「薬害」も同じ。当初は「理論上安全」と言われて世界中で大々的に使用されたものが後になって「危険」とされ使用中止になる。そんな薬は山程あった。サリドマイドや薬害肝炎・HIVなどがそれに当たる。

では、そうなったとき、その当事者の医師は「謝罪すべきでない」のか。

私は思う。

こういう難しい問題だからこそ、そこには医師の職業的規範が求められる。もしその医師に謝罪の気持ちがあるのなら、その心を素直に表現し、真摯に謝罪すべきである。

と。

自らの気持を素直に表現することは、良好な人間関係を築くコミュニケーションの基礎です。もちろん「医師患者関係」も同じ。

たとえ世界標準のエビデンスに則っていた医療でも、それが間違っていたと分かった時点で、医師が気持ちとして申し訳ないと思うのは当然のことだ。

その気持を表現もせずに、医師と患者の良好な信頼関係が築けるのか?

医師が本当の気持を表現しないことを前提とした医師患者関係は、健全なものになるのか?

決して自分の誤りを認めないことを最初から決めている医師に、患者さんは自分の体を預けられるのか?

結果として謝罪するかは別として、少なくとも、

「一切謝罪するつもりはない」

と最初から開き直ってしまうのは、患者さんに対して甚だ不誠実な態度だ。

これは木下医師個人の問題ではなく、医療業界全体の体質の問題だろう。

医師業界全体でこの問題についてしっかり考えてほしいと、心の底から思っている。