東響とリオネル・ブランギエの3年ぶりの共演。オペラシティが宝石の輝きに満たされた土曜日のマチネ公演だった。コンサートマスターはグレブ・ニキティンさん。
サロネン作曲『ヘリックス』(2005)は9分ほどの曲で、サロネン自身がかつて振った自作曲よりも、サロネン作品の魅力を実感できた。恐らく作曲年代によっても微妙に作風が変わるが、ロサンゼルス・フィルでサロネンのアシスタントを務めていたブランギエは、作曲家自身によるこの曲の実演にも立ち会ってきて、作曲家の意図することを熟知している。
管楽器が和風の音色を奏で、多彩な打楽器群が暗号めいたサウンドを鳴らす現代曲を、ブランギエは自らの視点で美しく構成し、長めの指揮棒がオーケストラから引き出す響きには、音同士のオーガニックなつながりがあった。ヘリックスとは「螺旋」の意味だが、宇宙的・天体的なスケール感も感じられる。
サロネンは「ジェミニ」(双子座)という曲も書いているが、その中の「カストル」と「ポルックス」は双子座の「双子の」星である。サロネン自身が指揮した宇宙的な演奏の記憶も蘇った。自作自演が絶対的な名演とは限らない。『ヘリックス』からはホルストやラヴェルの破片も聴こえ、全体としては精緻にカットされたダイヤモンドのような残像が浮き彫りになった。
2曲目のラヴェル『ピアノ協奏曲 ト長調』では、リーズ・ドゥ・ラ・サールが白いジャケットと黒いシガーパンツというスタイリッシュな衣装で登場。豪華な光る素材で、地味な雰囲気ではない。10年くらい前に取材したときは、ロックTシャツを着ていて、反抗期中の育ちのいいお嬢様といった感じだったが、あれからさらにストイックに芸術性を磨いてきた。エレーヌ・グリモーにも感じる、正面から岩を砕いていくような生真面目なタッチで、一音も胡麻化さず真剣に弾き切る。もっと音数が少なく感じられる演奏もあるが、ピアニストがスコアを厳密に捉えているためか、膨大な音が雨あられと降ってきた。
東響はこの上なく雅やかな演奏を聴かせ、コーラングレの郷愁的な旋律が導く2楽章のアダージョ・アッサイではプレイヤー全員が神の国の住人に見えた。オーケストラの中の人々が地上とは別世界の聖なる人々に感じられ、このような境地に連れて行くブランギエの指揮には、力量とか技術とかといった言葉よりも「魔法」がふさわしいように思えた。指揮をする後ろ姿が、最近見たどんな指揮者よりも美しかった。
コミカルな3楽章のプレストでは、ファゴットのぶくぶくいう音が面白く、短いコンチェルトながらソリストにもオケにもハイカロリーな熱量を要求する曲だなと再認識した。ブランギエはコンチェルトも相当うまい。
2016年にオール・ラヴェルの4枚組のCDを聴いたのがブランギエを初めて知る機会だったが、2022年4月現在まだ35歳。南仏のニース出身ということが関係しているのか、芸術の中の地中海性をDNAレベルで受け継いでいる人だと音楽を聴いていて思う。とても古い文明の、始原の純粋さを感じさせる質感があるのだ。ギリシア音楽や地中海の伝統音楽には、日時計や象形文字を連想させる単調さがあるが、ブランギエはその感覚も直観的に把握している。積みあがっているものの基礎が、日本人にはない感じだ。
後半のラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』は、どっしりと遅いリズムで始まった。その優雅さと、音全体が含む面白さに眩暈がした。ユーモラスで古めかしく、タイトルの通り大袈裟な感傷をわざと着込んでいる。何層のもの諧謔と、命の無邪気さと、呆れかえるような楽観があった。香るようで、おしゃれな音楽でもあり、東響の典雅な響きが有難かった。
ストラヴィンスキー『火の鳥』(1919年版)は、バレエ・リュスの初演を思わせるパリ風味のカラフルなサウンドで、最後の曲で信じられないほど幻惑的な世界が立ち現れた。幻想的だがグロテスクさや凶暴さはない。打楽器も鳴らし過ぎず、勢いに余って進むような乱暴な箇所はひとつもなかった。指揮者が「指揮をする」ということの理念が、ブランギエの中には厳密にあるのだと思う。瞬間瞬間にオーケストラを触発しつつ、支配とは別の形で全体の絵を鮮やかに現出させる。理知的でデリケートであり、厳密なサイエンスが息づいているが、堅苦しさは皆無なのだ。
ホルンの火の鳥が舞い降りるまでの、弦の超弱音のトレモロが神秘的だった。指揮者はこのオーケストラを心から信頼している。素晴らしいケミカルが生起したコンサートで、出会うべくして出会った指揮者とオケの引力を祝福せずにはいられなかった。オペラシティの音響はこのプログラムにとって理想的なキャンバスで、ありきたりな言い方だが「ホールが楽器となる」ことの素晴らしさに感動した。最初から最後まで、宝石箱のような空間だったのだ。
編集部より:この記事は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」2022年4月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」をご覧ください。