徳慧を養う

嘗て私は『直観力を高める』(北尾吉孝日記2012年11月26日)と題した投稿の中で、次のように述べました――超意識(潜在意識を更に超える深層部分)とは仏教的に言うと阿頼耶識(あらやしき)というものですが、そこから顕在意識下に情報を持ってこようとする場合、潜在意識の中にある様々な障害物、例えば過去の恐怖や嫌な思い出のようなものに妨害されてしまいます。従って、此の色々な障害物を上手に潜り抜けるべく如何にして超意識の世界に繋がるルートを付けるのかが問題となるわけですが、そういう中では精神的練磨や学問的練磨あるいは経験的練磨といったものが求められ、そしてそれらが全て合わさって一つの道が出来てくるということなのだろうと思います。

仏教では、弟子から「どうやってあなたは悟りをひらきましたか」と聞かれたお釈迦様が、「自分は六波羅密(ろくはらみつ)を実践した」と答えています。此の悟りとは、正に直観力のことです。では六波羅蜜が何かと言えば、それは布施(ふせ:人に施すこと)、持戒(じかい:規律を守ること)、忍辱(にんにく:耐え忍ぶこと)、禅定(ぜんじょう:空の世界に入ること。左脳だけでなく右脳も全開させ、脳を最大限活性化させることとも言える)、精進(しょうじん:何事も誠実に一生懸命努力すること)、そしてそのようなものを実践した結果として得られる般若(はんにや)、即ち智慧(ちえ)を身に付けることです。つまりお釈迦様は、「このような6つの行をすれば、あなたも悟る(直観を得る)ことが出来ます」と答えています。

実際問題、過去・現在・未来のあらゆる情報が凝縮されている超意識への道筋が、そもそも有るのかどうかに関しても肯定する人は少数かもしれません。しかし第六感とかインスピレーションと称されるものが、一つの阿頼耶識に到達していると言えば言えなくはないのかもしれません。例えば史上天才と言われる様々な人は、過去の知識を土台にしつつ徹底的に考えに考えて、その知識に疑問を抱いたり新しい思考を加えたりしながら、ある日突然ふっと閃いたりしたものです。あるいは孫正義さんと先日食事をした際所謂ギフテッドを集めたスクールの話を聞きましたが、中には「12歳で新しい数学の定理を閃いちゃった」といった天才的なギフテッドもいるようです。そうしたインスピレーションが湧く彼等彼女等には、やはり何か特別な才能が備わっているのだろうと思います。

翻って我々凡人は、非常に早い時期に才能開花するような天才には成り得ません。従って我々が為すべきは、徳慧(とくけい、とくえ)と言われる知を養うことです。徳慧とは、一切の諸々の智慧の中で「最も第一たり、無上、無比、無等なるものにして、勝るものなし」と説明される、先述の般若の智に通ずるものとされています。終局的には悟りに至る実践的な智慧、と言っても良いかもしれません。そうした知恵は学知を越えたものであり、知行合一を進める中で様々修行した徳性の高い人間にあって初めて得られるものです。我々は自分の人生経験の上に、此の徳慧ということを積み重ねる中で、ある種の直観力が身に付いて行くのではないかと考えています。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。