統一教会報道でまたぞろ出てきた言葉に「宗教行政」がある。「宗教行政」とは何か。まず行政の役割は政策を執行することである。だから「○○行政」は「○○政策」への理解がなくてはわからない。「教育政策」への理解なしに「教育行政」がわからないのと同じである。
私達は「宗教行政」を語る前に「宗教政策」について確認する必要があるだろう。具体的なそれは日本国憲法下の宗教政策を確認することである。
日本国憲法は政治による宗教への介入を禁止し「国教」「正統宗教」はもちろん「異端宗教」「カルト宗教」も否定している。政治が宗教の正邪を決めない、特定宗教への評価を下さないことが日本国憲法の要請である。
とすると日本国憲法下の宗教政策とは信教の自由の確立しかあり得ない。「宗教行政」とは信教の自由の確立に繋がることである。信教の自由を委縮させるような宗教行政は憲法違反である。
現在、注目されている宗教法人法に基づく解散命令だが、これが適用されれば宗教団体は宗教法人格を剥奪され、免税措置も撤廃される。解散命令が宗教団体にとって不利益なのは明らかである。
宗教団体とは信教の自由の実践を目的とする結社だから解散命令は信教の自由に不利益を与える措置に他ならない。
だからこそ宗教行政を担う文化庁は解散命令の請求に極めて慎重になり、宗教法人法に規定された請求基準たる「法令に違反し、著しく公共の福祉を害する」を刑事事件に限る厳格な法解釈を採っていたのである。厳格な法解釈を採ることは文化庁の怠慢でもなんでもなく、それどころか日本国憲法の要請に応えるものである。日本国憲法下の行政組織としてまっとうな法解釈だろう。それを改めた岸田首相は何を考えているのだろうか。
また、何度も指摘しているが仮に解散命令を下し宗教団体に経済的打撃を与えても宗教団体は営利団体ではないから消滅はしない。信者は宗教団体から給与を得て生活しているわけではないから散り散りにならない。信者は自らの信教の自由を実践するため宗教団体に所属しているのである。
宗教行政の領域では宗教団体を実社会から消滅させることはできず左派マスコミと野党が批判する「霊感商法」「接点」問題は解消しない。
統一教会が非常に問題ある団体だと言うならば宗教行政の領域にこだわるべきではない。こだわるほうがおかしい。実際、霊感商法は消費者行政の領域で議論されている。
接点は統一教会を反社会的勢力(主に暴力団)と同一視する文脈から出てきたものだが、とすると接点は治安行政の領域ではないか。治安行政の領域で統一教会との接点を解消するならば治安機関(警察・検察等)の要員に信者の行動を制限する権限を認める。
これを治安政策の次元で表すならば真の意味での統一教会の結社の自由の否定であり、統一教会への所属を犯罪化し信者を逮捕・収監することである。
接点批判者は統一教会信者の逮捕・収監を主張するのが「筋」である。統一教会信者の逮捕・収監を主張する勇気がないならば接点を批判すべきではない。
「宗教団体だから宗教行政の領域だ」という発想はあまりにも安易であり、その結果、別領域での対策を軽視するのは本末転倒だろう。
そしてこういう本末転倒に気づかないことからして統一教会批判者は実のところ統一教会のことを特段問題と思っていないと推察される。
もしかしたら単に安倍元首相への弔いを拒否する口実が欲しいだけなのかもしれない。
確実に言えることは政治は本当にくだらないことに時間を浪費しているということだ。