一定の利益や権利を尊重すると損なわれる利益や権利を「対立利益」と言う。
例えば、殺人行為の対立利益は「人の生命」だし、窃盗行為の対立利益は「財物」だ。
刑法上は「保護法益」と言われる。
刑事罰では、対立利益の存在が疑わしいものがある。
典型的なものは、わいせつ物頒布罪だ。
わいせつ物頒布を禁止する目的を、「健全な性秩序」や「性道徳」「風俗」などの維持とするのが判例だが、これは大いに疑問だ。
なぜなら、「性秩序」や「性道徳」「風俗」などという概念は曖昧で、国家権力によっていかようにでも解釈できる。
明確な基準がないのに処罰するのは「罪刑法定主義」に反する。
また、「秩序」や「道徳」は各人各様によって異なるものだ。
あなたにとっての「秩序」や「道徳」が、私のそれと完全に一致することはあり得ない。
よって、わいせつ物頒布の対立利益は「見たくない人の権利」と考えるのが明確であり妥当だ。
「見たくない人の権利」を乱すような方法でのわいせつ物の頒布は、禁止されてもやむを得ない。
多くの人々が行き交う街中で大々的にわいせつ物を売れば、「見たくない人」の目に否応なく飛び込んできて、不快感を与える恐れがあるからだ。
しかし、ひっそりと見たい人に売るような行為まで処罰するのは行きすぎだろう。
売る側も買う側もひっそりと売買をすればいいし、買った側もひっそりと見ている分には
誰の権利も侵害しない。
このように、ひっそりと頒布する行為を合法化すれば、「何がわいせつか?」という不毛な議論がなくなる。
「芸術性が高いからわいせつではない」「陰部が見えているからわいせつだ」などという不毛な議論がなくなれば、警察がわいせつDVD販売業者宅を捜索する必要もなくなる。
貴重な警察のマンパワーを他の犯罪抑止や捜査に回すことができる。
対立利益を考える上で、昨今重要になっているのがプライバシーと社会防衛の調整だ。
現代社会では街中に防犯カメラが設置されており、私たちは常に防犯カメラに晒されていると言っても過言ではない。
しかし、防犯カメラが多数設置されることによって、犯罪の抑止と犯人の早期検挙が図られている。
とりわけ犯人検挙のためのシステムは驚くほど進んでいるようで、逃げ切るのは極めて困難になっているそうだ。
また、私たちは公の場所や他社の建物に入るような時には、自室にいるときと違って他人の目に晒されることを事前に覚悟している。
しかし、自室では他人の目に晒されることは想定外なので、プライバシーが尊重されなければならない。
「ソト」ではプライバシーより社会的安全が優先し、「ウチ」ではプライバシーが優先するという線引きが妥当だ。
余談ながら、Facebookのどこに「いいね」をタップしたかをAIが解析すると、その人の政治的信条や心理状況等がわかるといわれている。
プライバシーとの関係で大きな問題だ。
対立利益を考える上で、忘れてはならないのは同性愛者が比較的最近まで処罰されていたという事実だ。
同性愛者は誰の権利も侵害していない(つまり対立利益が存在しない)。
英国では、イングランドとウエールズから同性愛者処罰が禁止され、北アイルランドでは1982年に至ってようやく同性愛処罰が禁じられた。
「国家は国民の食卓の上には干渉しないのに、ベッドの上には干渉するのか」(何を食べるかは自由なのに、ベッドでの行為には干渉するという意味)
ジョン・スチュアート・ミルの言葉だと記憶しているが、誰の利益も侵害しない行為を処罰うするような愚行を決して繰り返してはならない。
編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年12月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。