旧統一教会への断絶決議は悪質な差別である

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報道に依ると大阪市・富田林市・富山市・北九州市の市議会が旧統一教会との断絶決議を可決している。これは完全なる差別である。単なる宗教差別ではない。断絶決議は参政権の原初である請願権の否定に等しく悪質な差別と言わざるを得ない。

地方議会への請願権の行使には地方自治法第124条に「普通地方公共団体の議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願書を提出しなければならない。」と規定されている事実を指摘すれば読者も断絶決議の悪質性を理解できるのではないか。

「断絶決議は信教の自由を否定するものではない。請願権を否定するだけだ」など笑い話にもならない。

驚くことに令和の日本では特定の集団に負のレッテルを貼り世論に罪悪感を抱かせない範囲内で集団への嫌悪・排除の感情を煽り、その生活空間の破壊を通じて集団自体を消滅へと誘導することが平然と行われている。これはナチスのユダヤ人迫害と全く同じ構造である。

筆者の主張は過剰反応と思う者もいるだろう。

しかし、断絶決議は「個人としての信者」と「組織構成員としての信者」を区別していない。忘れるような区分ではないし、この区分がされていない以上、断絶決議は旧統一教会信者の資格を有するだけで断絶の対象となっていると評価すべきである。

断絶決議は悪質な差別であると同時にナルシズムに満ちた行為でもある。

なぜなら市議会の断絶決議は行政当局と旧統一教会との関係について触れていないものがあり触れているものも、その内容は実に控えめである。

例えば富山市議会は「藤井市長並びに当局は、旧統一教会及び関係団体との関係について調査し、記者会見並びに議会でも公表した。」といった事実に触れている程度で行政当局に対し何か具体的な措置を要求しているわけではない。

私達は「地方議会の仕事とは何か」と今一度考えるべきだ。

私達が日常で接する地方自治体のほとんどが行政当局のはずである。役所の窓口に立つのは行政当局所属の地方公務員であって地方議員ではない。「一般市民」「庶民」「無党派」の自覚のある者は地方議会に接することは基本的にないはずだ。

「地方自治体の活動」の多くを占めるのは行政当局の活動であり地方議会の活動がこれを上回ることはない。これを否定する地方公務員・地方議員・地方紙記者その他自治体関係者はいないはずだ。

重要なのは如何に地方自治体において行政当局の活動量が多くても、その活動は条例と予算を根拠とする。そして条例と予算は地方議会の議決がなければ制定・成立しない。

やや単純化して言えば地方議会の仕事とは条例と予算を審議することであり、それは行政当局の活動を審議することに他ならない。これ以外に重要なことと言えばそれこそ住民からの請願の受理である。住民の声を聞きつつ行政当局の活動を審議することが地方議会の仕事と言えようか。

だから請願権を否定し行政当局と旧統一教会との関係に控えめな断絶決議はとても地方議会の仕事とは言えない。

大阪市議会が「旧統一教会等の反社会的団体の活動に取り込まれることがないよう一線を画することを強く決意する。」と決議しようが富田林市議会が「富田林市議会議員は、旧統一教会及びその関連団体とは一切かかわりを持たない。」と決議しようが、こんなものは地方議会の仕事とは言えない。

おそらく断絶決議が可決された地方自治体では旧統一教会信者もマイナンバーカード取得の申請ために自治体庁舎を訪れただろう。その際に断絶決議に賛成した議員とすれ違ったかもしれない。想像しただけ苦笑してしまう。

結局のところ断絶決議とは地方議会の職務放棄に過ぎず、残したのは特定の集団に負のレッテルを貼り世論を巻き込み集団自体を消滅へ誘導するというナチス的差別という事実だけである。およそ自由社会では許してはならない決議である。

断絶決議を可決した各市議会は直ちに同決議を撤回すべきである。

【参考】