地獄の一丁目なのか、SNSの影響力:報酬系の脳内刺激だけで動く人びと

「地獄の一丁目」という言葉、ご存じではない方も案外いらっしゃると思います。恐ろしいことの始まりで一丁目のあと二丁目、三丁目…と続く入口だという意味です。今日はSNSの功罪における「罪」というか、見えない悪影響について焦点を当てて考えてみたいと思います。(「功」は極めて大きいのでSNSを否定しているという意味ではないのでご了承ください。)

しょっぱなからこんなことを述べては何ですが、「私のブログ、熱心にお読みの方には申し訳ないのですが、内容は結構いい加減ですよ」と言ったらどうでしょうか?17年、真面目そうに書いていますが、穴だらけでツッコミどころ満載、コメントに反論はいくらでも書けるこんなSNS、存在していいのか、と言われれば「あい、しゅみましぇん」と申し上げるしかありません。

RapidEye/iStock

先日、友人に頼まれユーチューブにゲスト出演してカナダの不動産の話をしたのですが、言いたい放題でした。その時は一応、不動産事情に詳しい人という立場でしたし、話した内容も無謀ではないのですが、とても色がついているのです。見る人は「ひろは不動産の専門家、その人がそう言っているのだからなるほどね」と思う人もいるのでしょう。

つまりインフルエンサーではないにしろ、一定のキャリアとかステータスがある人が何か述べるととても信頼感があり、専門用語で固め、権威付けして、一般の方をけむに巻けるのです。しかし、専門家や研究者ですら考え方は様々です。もしも研究者の考えが一つに収れんするなら世の中、研究者はそれほどいりません。特に社会文化歴史系や経済系はそもそもの立ち位置で論理がスタートするので学者や専門家の間でも意見は相当ばらつくわけです。

私のブログでコメントを広く解放しているのはSNSの弊害とも言うべき記述に対する内容の不備、修正、補正、更には否定を行うクッションの重要性を17年前の当時から認識していたのです。仮に一般的に正しいと思われる内容を書いても「いや、こういう見方もある」となります。結局、立ち位置とと重みの置き方次第で文章のトーンはどんな風にもなる、ということです。そのため、本文の内容を補完するのがコメントという位置づけかと思います。それぐらい文章表現というのは難しいのです。

昔、ドコモが携帯でテキストメッセージを送れるサービスを開始した際、若者に爆発的人気を博し、一行テキストが急増しました。

その時から私は「そんなことしたらバカになる」と研究者の引用を交えてお話ししました。つまり、人々は目に入った内容を思考回路に回すことなく、条件反射するだけなのです。条件反射と言えば「パブロフの犬」があります。「ベルを鳴らしたら餌を与える」というしつけをされた犬はベルの音を聞いただけでよだれを垂らすようになるという事実です。これは何故か、と言えば報酬系の脳内刺激が起きるからです。一行メールはそれに近いものがあるのです。

では今のSNSは地獄の一丁目か、と言えば私はもしかしたら既に二丁目か三丁目ではないかとみています。

コロナの際、北米でミーム銘柄というボロ銘柄が個人投資家により爆上げしたことがあります。業績内容は全くの無視でどちらかと言えば個人投資家たちが機関投資家と戦うぐらいの意識でした。それらのボイスを集めた株式掲示板に人々は集まり一種のマインドコントロールの洗礼を受けます。別の例としてトランプ氏の影響力に行動を伴った人たちも同様です。更には気候変動問題でグレタ嬢に反応した多くの高校生はどうでしょうか?それらのケースは考えた上での行動というよりSNSに記載された一行の「結論ありき」から始まり、その後に様々なこじつけが行われるのです。そう、多くのSNSのフォロワーが過信状態になるのです。

先般起きたアメリカの銀行の破綻劇。これはSNSによる過剰反応が状態を更に悪化、加速させ、悲劇を招いたと言ってよいと思います。SNS上で「あの銀行、危ないよ」ということが囁かれると誰が何を言ってもどんな対策をしても収まらなくなるのです。集団心理です。

集団心理の一つに高層ビルで火災が起きた時の人々の行動があります。中層階で火事が起きました。あなたは逃げまどいます。10中8,9の人は屋上に向かいあなたもついて行きます。なぜなら皆が上に逃げるからです。でもそれは本当に正しいのでしょうか?煙は上に行くのです。下にはいかない。だけど、人々は煙と追いかけごっこをするのです。(この例はケースバイケースなのでご留意を。)

私は経済学部出身ですが、大学で心理学を受講した際、強い近親性を感じたのです。経済学的行動は必ずしも論理的で合理性ではなく、より集団行動に制御されやすいと。それ以降、心理学については個人的にずっと興味を持ち続けているのですが、今、世の中に起きていることは人間本来持ち合わせている能力に蓋をし、自らが思考をするよりも誰かについて行くフォロワー型が異様に増えたとみています。つまり、自分の考えではなく、誰かの何かに強い印象付けをされているということです。

世の中、AIやITが進み、将来、職業選別が起きるとされます。例えばAIやITを使う人と使われる人、と言った感じです。同様にSNSで発信する人とフォローする人、という仕分けもできる時代が来るとみています。これは人々の行動がより集団化、分断化、先鋭化しやすいことを意味しています。

私が地獄の入り口と申し上げるのはこの危機が迫っているのではないかという危惧のことなのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年3月22日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。