最高裁は7月11日、経産省が性同一性障害職員の女性用トイレ使用を制限したのを「適法」とした東京高裁判決を破棄し、制限は「違法」とする原告勝訴の判決を言い渡した。裁判官5人による全員一致の判決だったが、全員が補足意見を述べるという異例な判決でもあった。
同日の「ハフポスト」に掲載された判決文(全文)の「事実関係等の概要」には、この原告が、「LGBT理解増進法」に関連して人口に膾炙されるところの、「その日の気分で女性を自認する」類のトランスジェンダーではないことを明らかにする、次のような文言が並んでいる。
事実関係等の概要
・ 生物学的な性別は男性であるが、幼少の頃からこのことに強い違和感を抱いていた
・ 平成10年頃(筆者注:1998年)から女性ホルモンの投与を受けるようになり、同11年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受けた
・ 平成20年頃から女性として私生活を送るようになった
・ 平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた
・ 健康上の理由から性別適合手術を受けていない
・ 平成23年●月、家庭裁判所の許可を得て名を現在のものに変更し、同年6月からは、職場においてその名を使用するようになった
宇賀裁判官の補足意見にも「名も女性に一般的なものに変更されたMtF(Male to Female)のトランスジェンダー」との文言があり、原告は女性と認識される名前を通称しているところの「女性を自認する男性(MtF)のトランスジェンダー」であると判る。
筆者は5月末に本欄に寄せた拙稿「『LGBT法案』騒動に思うこと」の中で、「日本女性心身医学会」のサイトから、次のような「性同一性障害」の診断ステップを引用した。
1. 生物学的性(SEX)を決定する:染色体検査、ホルモン検査、内性器、外性器の検査を行って、正常な男女のいずれかの性別であることを証明します。
2. ジェンダー・アイデンティティの決定をする:生育歴、生活史、服装、これまでの言動、人間関係、職業などに基づいて性別役割の状況を調べ、ジェンダーの決定をします。
3. 生物学的性別とジェンダー・アイデンティティが不一致であることを明らかにします。
4. 性分化疾患などの異常はない・精神的障害はない・社会的理由による性別変更の希望ではない、ことを確認します。
上記4.の「性分化疾患」についても、慶応大学病院「性分化疾患センター」のサイトが、「性分化疾患とは、ヒトの6つの性のうち、性染色体、性腺、内性器、外性器のいずれかが非定型的な先天的体質を指します」とし、次のような表を示しているのを紹介した。
筆者はその拙稿を、「LGBT」の「LGB:性的指向」と「T:性自認」は別物であり、かつ「T」にも診断を経た「性分化疾患」や「性同一性障害」の患者とそうでない者とがいるが、医学上の「性同一性障害」者に対する「不当な差別はあってはならない」という要旨で結んだ。
今般の最高裁判決が、上述のように「MtF」としての原告の来し方と現況を詳細に述べていることからも、筆者はこの判例が、医師の診断を経ていない「MtF」が女性用トイレを使うことの方便に使われるような事態にはならない、と考えている。
また今崎裁判長の補足意見も次のように述べている。(以下、太字は筆者)
なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。
渡邉裁判官も補足意見で「(職場のトイレであっても・・)施設の状況等に応じて変わり得るものである」から、「取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない」と述べている。
関連して、厚労省は6月23日、「公衆浴場や旅館業の施設の共同浴室における男女の取扱いについて」 と題する課長通達で、「公衆浴場における衛生等管理要領」及び「旅館業における衛生等管理要領」でいう「男女」について、地方自治法に基づく「技術的助言である」とした上でこう述べた。
風紀の観点から混浴禁止を定めている趣旨から、身体的な特徴をもって判断するものであり、浴場業及び旅館業の営業者は、例えば、体は男性、心は女性の者が女湯に入らないようにする必要があるものと考えていますので、都道府県、保健所設置市及び特別区におかれては、御了知の上、貴管内の浴場業及び旅館業の営業者に対する周知や指導等について御配慮をお願いいたします。
今崎裁判長が「本判決は、・・不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない」「改めて議論されるべき」とした理由の一つはこれで、裸で使う浴場と異なり、トイレでは女装などによって「身体的な特徴をもって判断」できないことが在り得る。
今崎補足意見が示唆するもう一つの問題は、「健康上の理由から性別適合手術を受けていない」この原告が公衆浴場の女湯に入れないこと、及び「女性ホルモンの投与」で女性の「身体的特徴」を有するであろう上半身のために、男湯にも入れないことだ。これらも「機会を改めて議論されるべき」だろう。
原告が「性別適合手術を受けていない」ことの関連では、宇賀補足意見が「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に触れて、「戸籍上の性別を変更するためには、性別適合手術を行う必要がある」が、「これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきといえる」と述べたことは注目に値する。
このように、今般の最高裁判決や厚労省通達によっても、「MtF」の「公共施設の使用の在り方」はケースバイケースの議論が必要となるようだ。
最後に「LGBT理解増進法」だが、筆者は欠陥の多い自民党案を無理に通させた岸田総理を評価しない。が、土壇場で萩生田政調会長が維新・国民案をほぼ丸呑みし、地方自治体や学校、企業等における左派イデオロギーの浸透に歯止めを掛ける余地を残し得たことは多としている。
これに関連して、判決は「事実関係等の概要」で次のように述べている。
(省の)担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。
宇賀補足意見もこう述べている。
上告人がそのような状態にあるトランスジェンダーであることを知る同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等をどの程度重視するかについての認識の相違によるのではないかと思われる。
・・違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる。
つまり、同僚女性職員が「MtF」の原告にどのような理解を示したかが、判決に少なからぬ影響を及ぼしたということだ。が、本件の同僚女性職員は「研修」など受けていないし、それでも原告が勝訴した。むしろ、この判決文11,000字を玩味することこそ、何よりの「研修」になるのではなかろうか。