67個のボタン、継ぎ足されて、さらに25個のボタン。合計92個のボタン。
別に、飛行機を飛ばしたいわけではない。
単に、テレビ番組を録画したいだけである……。
しかし、録画の方法が何とか理解できるようになるには、1時間近くかかり、副音声や字幕も録画したいのだが、いまだに方法が良くわからない。別に暗号解読をするためにハードを買ったわけではないのだが。
(※飛行機のボタンやレバー数は中大型機で100~200と言われる)
■待っていた暗号解読作業
東芝の3万円で購入した液晶テレビが、ハードディスクレコーディングに対応していたので、つなげてみると比較的使いやすかった。上記に上げた問題はほとんどない。
ハードディスクはすぐにいっぱいになってしまい、さらに増設するか、ブルーレイハードディスクレコーダーを購入すべきか、という選択肢を迫られた。テレビに録画していたデータを転送しておきたいと考えたので、互換性があることを売りにしているので、東芝製ハードディスクレコーダーの購入に踏み切った。地デジのブーム時には昨年8月には8万5000円前後だったものが、3万5000円程度。半年で半値以下なので、例によって、家電メーカーは儲からないわけだと思った。
地デジが始まるまではパソコンで録画していた。家電メーカーのハードディスクレコーダーには恐怖感を感じていたからだ。残念ながら、悪い方に当たった。
この異常なまでのボタン数に、テレビと共通性のない使いにくいインターフェイス、やたらとわかりにくいマニュアル。ついでに、私のテレビ機種のハードディスクからは転送できないことが、2時間近く調べ回してやっとわかった。マニュアルとホームページをいったり来たりの暗号解読。
日本は何かと言えば「ものづくりが進んでいる」というが、この「ガラパゴスリモコン」を見ていると、間違いだろうと思う。さらに、複雑なリモコンが操作できない人向けに、ボタン数を絞ったリモコンを付属するというやっつけな解決策がすごい。こっちは逆に、何ができないのかがわからない。テレビモニターに表示されるインターフェイスも、テレビとまるで互換性がなく、同じ企業内の製品なのに、素敵にわかりにくい。
最近の家庭用ゲーム機が、コアなゲーム好きしか遊ばれなくなった理由として、ボタンが増加したことによる、操作の複雑性が上げられることがある。
1983年発売「ファミリーコンピュータ」のコントローラーのボタン数は5個、一方で、2006年発売「プレイステーション3」が14個(それでもそんなものだ)にまで増加している。このボタン数を減らそうとして新しいアプローチを行ったのが「ニンテンドーDS」でタッチパネルを除くと10個。今見ても洗練された印象がする。「Wii」は9個。このボタン数の削減が、一般への敷居を下げ、ヒットの要因になった。
比較として、自宅にあるソニーエリクソン製のガラパゴス携帯と揶揄されるボタン数を数えてみたが24個で、ガラパゴスリモコンよりはマシだった。
■悪いデザインは人を不幸にする
認知心理学のインターフェイス論で知られるドナルド・A・ノーマンは、1988年のすでに古典化した議論で、デザインには3つのメンタルイメージがあることを指摘している。
第一は「デザイナーのモデル」で、デザイナーの頭の中のイメージ。第二は「ユーザーのモデル」で、その機器を使う人がそれについて持つイメージと、どう動くかについてのイメージ。
理想的には、「デザイナーのモデル」と「ユーザーのモデル」が一致することが望ましい。デザイナーはユーザーには製品そのものを通じてでしか、第三の「システムイメージ」を伝達できない。優れたデザイナーは正しい自分の「デザイナーのモデル」を「システムイメージ」を通じて伝えることができる。そして、ユーザーは機器を理解し正しく使える。
構想のまずい行動的デザインは大きなフラストレーションを生み、モノ自身が勝手なことをして、従ってくれず、返ってくる動作のフィードバックは適切かを欠いていて分かりにくく、あげくの果てには、使おうとするものをなんとも情けない気持ちにする。(略)責任はユーザーにはない。それはデザインにある。
なぜこんなに多くのデザインが失敗するのだろうか。これは主として、デザイナーや技術者がしばしば自己中心的だからである。技術者は技術に集中しがちで、彼らの好みの特殊な機能を何でもかんでも製品に詰め込む。(エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために P.106)
一度は、リモコンを壁に投げつけたくなった。
■ユーザーテストをしない「ものづくり」
デザインが正しいかどうかは、プロトタイプを作ってテストをしてユーザーの操作がどのように行われるのかを調べるしかない。このリモコンはユーザーがどのボタンをどのように使っているのかを調べるテストを、まったくしていないのだろう。
ゲーム会社の場合、アメリカの企業では、経験のない人にゲームの前に座らせ、ユーザーの視線がどこを見ているのかをトラッキングしたり、心拍数の変化、果ては脳波まで調べて、製品を仕上げるということが大型タイトルでは行われる。「システムイメージ」の完成度が高いため、発売後当然のように高い評価を得て、ヒットする。
日本の家電機器は、ハードそのものが単純だったために、かつては機能を追加していくことと、価値が増すことがイコールだった。それが、ある時期を越え、ソフトウェア中心になり、簡単かつ爆発的に機能を追加できるようになったため、人間の認知力に収まるようなインターフェイスの設計力の争いにシフトした。そのシフトをしないで、既存のパラダイムで「ものづくり」を続けているので、ガラパゴスリモコンを生み出すのだろう。ここに未来はないはずだ。
ただ、ノーマンの理論は、工業デザイナーなら誰でも一度は読んだことがあるはずなのに、なぜ変えられないのかと思う。パラダイムの変更が難しい場合には、組織に構造的な問題が潜んでいる場合が多く、今の日本の家電企業の業績の悪さと、結びつく部分はあるだろう。
■今はアップル的なものが登場する前夜ではないだろうか
どうしても、今はアップルの肩を持ってしまうことになるが、2001年発売のiPodの開発時、スティーブ・ジョブズは発売されている様々な「mp3プレイヤー」を試してみたが、どの機種にも満足できなかったので、自分で作ることにしたという話がある。ジョブズはインターフェイスといったデザインにこだわることで、製品の持つ複雑性を封じ込めることに成功した。アップル製品では、実際はトンデモなく複雑なことをやっているのだが、そういう気分がしない。
ただ、東芝にとっての良いニュースは、参考までに家電企業のハードディスクレコーダーのリモコンを見て回ったが、程度の差はあれ、同じようなボタンだらけでひどいモノだとうことだ。例外はある。日本のPTPのSPIDERという製品はインターフェイスにこだわっている。ボタンは25個だが使いやすそうだが、まだ一般販売が行われていない。ただ、ほしくなるかどうかは値段次第だろう。
多分、今は、インターフェイスにブレイクスルーを生み出したアップル製品が席巻する前夜のような状態なのだろう。ただ、このガラパゴスリモコンと何年も、付き合うのかと思うと少しばかり頭が痛い。
新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT)
@kiyoshi_shin