男性の性暴力やセクハラ行為は「生物学的」宿命なのか②

衛藤 幹子

前回の投稿では、ジェンダー平等は性犯罪や性的不法行為を抑止するとの見解に立ち、EU諸国におけるジェンダー平等指数と性暴力/セクハラ被害の関係を検証した。だが、期待も虚しく、ジェンダー平等の進んだ国ほど被害を訴える女性の割合が高かった。なかでも、ジェンダー平等先進国の北欧が最も高いグループを占めた。

(前回:男性の性暴力やセクハラ行為は「生物学的」宿命なのか①

しかし、この一見矛盾する結果は、ジェンダー平等の抑止効果を否定するものではなく、むしろジェンダー平等の成果、いや正確に言えば、性犯罪/不法行為が減少する過程で現れる過渡的な現象だと考えられる。

というのも、ジェンダー不平等社会ほど、被害者は性的加害行為の告発はおろか、その行為を「犯罪」だとすら認識しないことが少なくなく、なかでもレイプの加害者が配偶者の場合、またセクハラの言動が被害者の感受性に影響されるような事例では、被害者がそれを加害行為と認識するか否かは、ジェンダー平等の浸透度に左右されるからである。

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性暴力、性的虐待、セクシュアルハラスメントなど性にまつわる犯罪あるいは不法行為(セクハラは民事事例が多い)は、20世紀の後半に至るまで不問に付されてきた。昔はなかったわけでは無論ない。それどころが、日常茶飯事、常態化していたと思われる。ただ、こうした事柄を犯罪/不法行為と定義する概念(用語)が存在していなかっただけなのである。

夫による性行為の強要は、犯罪どころか、夫婦は一心同体、夫が望むのであれば、従うのが妻の務めだと考えられてきた。セクハラも、親しみや挨拶の延長線上の行為、取るに足りないことと受け流された。

1970年代に入って、米国のフェミニスト法学者のキャサリン・マッキノンが女性の「性」に向けられる暴力、虐待、嫌がらせを犯罪であり、違法な行為だと定義したことにより、初めて法の枠組みの中で捉えられるようになった。

配偶者間不同意性交の規制については、米国では1980年代から各州で順次取締り法が整備され、1993年には全米に及んだ(VAWnet, “Marital Rape,” Feb. 2006)。また、1736年の「妻をレイプした夫は罪に問われない」との判例を踏襲してきたイギリスでも、1991年にこれを覆す画期的な判決が出され、2003年には立法化された(THE WEEK, “when did marital rape become a crime?” Dec. 06, 2018)。違法化が世界的な潮流になったが、30カ国余りが今も合法扱いである(NEWS18, “Marital Rape is Not a Crime in 32 Countries. One of Them is India,” Aug. 26, 2021)。

もっとも、法は整備されても、抜け穴が設けられ、効力が薄められることがある。たとえば、アメリカの全州のうち、12の州では加害者が配偶者の場合には例外規定が設けられ、一般の加害者よりも処遇の軽減が図られている(World Population Review, “Marital Rape States, updated April 2023)。

配偶者間レイプの被害者は大抵が妻、そこには妻を夫の所有物のように扱う男性優位が透けて見える。女性をモノ扱い?まさか!と思うかもしれないが、イギリスではビクトリア朝時代の「躾のために妻を棒で叩く権利を夫に与える」法律がナント1976年のDV法導入まで執行されていたのである(Centre for Women’s Justice “Time Line of Key Legal Developments”)。女性を男性の従属物と定義するのは、イギリスに限らず、キリスト教世界の伝統的な観念であった。

殺人、傷害、強盗、窃盗、詐欺など刑事法が網羅する行為の違法性は広く社会で認知されている。こうした行為を犯す者も、見つかれば罪に問われることは理解しているはずだ。しかし、配偶者間の不同意性交やセクハラの違法性は十分には認知されていない。

たとえば、2018年にイギリス国内4,000人を対象に実施された調査によると、回答者の24%が「配偶者間の強制性交はレイプではない」、また33%が「強制性交であっても、身体的な暴力を伴わなければレイプに当たらない」と考えていた(End Violence against Women, “Major New YouGov survey for EVAW, Dec. 06, 2018)。

認知が進まない要因には、法が整備されて間もないこともある。だが、根本には人びとのジェンダー意識の遅れ、すなわち男性優位主義の観念が依然幅を利かせていることがある。

この観念が厄介なのは、女性の意識や行動をも支配し、男性から理不尽に手酷い扱いを受けても、それを仕方ないこと、我慢すべきことだと女性の判断を鈍らせてしまうからである。仮に理不尽さを認識しても、周囲から否定されたり、「なかったこと」にするように説得されたりすることも間々ある。男性優位社会では、問題を騒ぎ立てるよりも、沈黙し、無意識を保つほうが楽なのである。

ジェンダー平等は、女性(性的マイノリティや障害者も)の感性を歪める男性優位主義を一掃し、かれらがどんな些細な事柄でも自分の身に起こった性犯罪や性的不法行為を見逃さず、正しく認識する基盤なのである。