Appeal to trust
ある人物に対する信頼を根拠にその人物にとって有利な言説を肯定する
<説明>
「信頼に訴える論証」とは、特定の人物に対する【信頼 trust】を根拠にして、その人物の言説を無批判に肯定するものです。
特定の人物を信じる感情には【信用 credibility】と【信頼 trust】があります。この二つには明確な違いがあります。
特定の人物を信じる感情
- 信用:その人物が遂げた客観的な実績の評価を基にした帰納推論(理)によって得られる感情
- 信頼:その人物に対する主観的な人格の評価を基にした当て推量(勘)によって得られる感情
つまり、「信用」には特定の人物を信じる客観的根拠がありますが、「信頼」にはありません。詭弁を使うマニピュレーターは、あたかも「信頼」を「信用」であるかのように混同させて、自分にとって好都合な結論を導きます。
なお、仮に論者に対する人格の評価が適正であったとしても、言説の真偽と論者の人格は無関係であるため、論者への「信頼」を根拠に、論者の言説の真偽を判断するのは誤りです。
一方、論者への「信用」を根拠に、その信用に関係する論者の言説の真偽を判断するのは、一定の蓋然性が存在します。ただし、言説の真偽の判断に最も重要なのは、言説の論点と論拠の真偽であり、言説の論者への信用を根拠にするのは正統ではありません。
A氏には信頼を感じているでA氏の言説は真である。
<例>
この政治家は信頼できるので、この政治家の言っていることは正しい。
これは、政治家に騙された有権者がよく口にする言葉です。論理的な観点から政治家を選ぶにあたって重要なポイントは、「政治家に対する信頼」ではなく、まずは「政治家の政策」、次に「政治家に対する信用」です。候補者の人格の宣伝に終止する選挙運動には注意するのが賢明です。
また、政治家が選挙運動において有権者に握手を求める行為や手を振る行為は、好意の返報性(恩を受けた人物へ恩返したいと考える人間の認知バイアス)を利用して「信頼」を得ようとする子供騙しの工作であり、「信用」するに値しません。
<事例1>トラスト・ミー
<事例>朝日新聞2018/11/19
鳩山由紀夫首相はオバマ氏との会談について「こういう(米軍普天間飛行場の県外移設を求める)感情が沖縄にも強くある。そのなかで、我々としてはできるだけ早く結論を出したい。だから『トラスト・ミー(私を信頼してほしい)』だと。そうしたら『信じますよ』と言ってくれた。そういう信頼関係はあると思う。(どこに移設するかという)中身の話ではない」と説明した。
鳩山氏は「トラスト・ミー」という言葉で、オバマ大統領に鳩山氏を「信頼」することを要請しましたが、「信頼」は根拠にはなりません。オバマ大統領は『信じますよ』という生返事をしただけで、実際には鳩山氏を「信頼」せずに見捨てました。その後の事態の推移から考えれば、オバマ大統領の判断は適正であったと言えます。
なお、この発言の5年後に、鳩山氏は「大統領が好きだというパンケーキを出して『食べろ』と言ったら、『おなかいっぱいだ』と食べてくれなかった。そのとき『トラスト・ミー』といった」と説明。さらに同席した官僚が誤って情報を伝えたと主張し、「普天間の移設先を辺野古にするから『トラスト・ミー』と言ったつもりは全然ない。勘違いなのに批判され、怖いなと思った(Sankei biz)」とラジオで語りました。
鳩山氏の説明は支離滅裂であり、「信頼」するかしないかは個人の自由ですが、「信用」するのは困難と言えます。
<事例2>辻元清美氏への選挙応援
<事例2>デイリースポーツ 2017/10/14
■蓮舫氏,辻元清美氏と友情タッグ「信頼できる人だけを応援」
民進党の蓮舫前代表(49)が13日、同党を離党し立憲民主党に加わった辻元清美氏(57)と大阪府内で演説を行った。辻元氏の街頭演説に応援に駆けつけた蓮舫氏は、辻元氏に走り寄って抱き合い、腕を組み、友情をアピールした。
安倍政権を批判した蓮舫氏は「この選挙戦に突入し、信頼できるのは誰かということも見えた。蓮舫は信頼できる人だけを応援する。その代表が辻元清美さんです。国会で自分の持論を曲げることなく戦ってきた仲間です」と声を張りあげた。
蓮舫氏は「信頼」を根拠に辻元氏の選挙応援を行いました。「信頼」は主観であり、客観的根拠が必要な「信用」とは異なります。このように「信頼」という言葉は「信頼できる」と宣言するだけで有効になる便利なマジカル・ワードです。蓮舫氏が信頼できるからといって、有権者も信頼できるとは限らないことに注意が必要です。
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