陸自部隊がXで「大東亜戦争」と書いたと朝日新聞が反応:太平洋戦争という呼称とGHQ

朝日新聞がなにやら言いたげです。

陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現

朝日新聞デジタル 陸上自衛隊の第32普通科連隊、公式Xで「大東亜戦争」と表現
2024年4月7日 20時08分

日本は1940年、欧米からアジアを解放し「大東亜共栄圏の確立を図る」との外交方針を掲げ、41年12月の開戦直後に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後、占領軍の命令で「大東亜戦争」の呼称は禁止された。

陸上自衛隊の第32普通科連隊がX上の公式アカウントにて「大東亜戦争」と表現したことが話題となっており、朝日新聞が「なぜか」取り上げています。

GHQの指令で禁止された「大東亜戦争」と流布された「太平洋戦争」

先の大戦の呼称については【日本における戦争呼称に関する問題の一考察 庄司 潤一郎】にてその扱いの根拠と変遷が詳細にまとめられています。

 開戦後の1941(昭和16)年12月10日、大本営政府連絡会議は、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期ニ関スル件」を、以下の通り決定した。
一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス
ニ、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス

上記決定は、12日の閣議において正式に決定され、ここに「大東亜戦争」が定められたのである。

閣議決定によって公式に定められたという事実は【衆議院議員鈴木宗男君提出大東亜戦争の定義に関する質問に対する答弁書】でも確認できます。

戦後の呼称の扱いについては、「大東亜戦争」の語はGHQの指令で禁止され、「太平洋戦争」の語の使用が半ば強要され・奨励の後に流布されて定着した、という歴史があります。

つまり、言葉の使用を通して極めて国家主権の侵害と言える問題が発生していました。

長いですが以下引用します。

(2)「大東亜戦争」の禁止と「太平洋戦争」の誕生

終戦後も、1945(昭和20)年11月24日幣原喜重郎内閣が「大東亜戦争調査会官制」を公布したことから明らかなように、暫らくは「大東亜戦争」が使用されていた。しかし、同年12月15日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、神道の国家からの分離、神道教義から軍国主義的、超国家主義的思想の抹殺、学校からの神道教育の排除を目的として、「国家神道(神社神道)ニ対スル政府ノ後援、支持、保護、管理、布教ノ廃止ノ件」との覚書(いわゆる「神道指令」)を日本政府に対して発した。そこでは、「『大東亜戦争』、『八紘一宇』ノ如キ言葉及日本語ニ於ケル意味カ国家神道、軍国主義、超国家主義ニ緊密ニ関連セル其他一切ノ言葉ヲ公文書ニ使用スル事ヲ禁ス、依テ直チニ之ヲ中止スヘシ」とされていた。この覚書にしたがって、先に設置された「大東亜戦争調査会」は、1946年1月11日「戦争調査会」と改称され、官制条文中の「大東亜戦争」の語句もすべて「戦争」に改められた。また、12月20日文部省は次官通達(官総第270号)により、管轄の学校、機関などに対して同覚書を伝達した。

一方、政府は、「大東亜戦争」に代わって暫定的に「今次(の)戦争」と置き換えることとしたが、以後公式の呼称は定められず、公的な場においては「今次戦争」のほか、「先の大戦」、「第二次世界大戦」などが使用されている。
「神道指令」は公文書を対象としていたが、ほぼ同時にGHQは、新聞・雑誌や出版物に対する規制を強化していった。1945年9月10日「ニューズ頒布についての覚書」、9月19日「プレス・コード(新聞規約)を発した。それに基づき、GHQから新聞社や出版社に、「プレス・コードにもとづく検閲の要領にかんする細則」が通達された。細則は、日本において発行される出版物のすべてがGHQ民間検閲局の事後検閲または事前検閲を受けるとされ、さらに「『大東亜戦争』『大東亜共栄圏』『八紘一宇』『英霊』のごとき戦時用語の使用を避けなくてはならぬ」と規定されていた。

その結果、1945年12月7日の『朝日新聞』(朝刊)は、開戦の日に当って、「真珠湾事件の悔悟」と題した「社説」を掲載、「太平洋戦争」の用語を用いて、「太平洋戦争、支那事変から延連し、支那事変は満州事変から発端した」と連続性を強調していた。戦後『朝日新聞』紙上に「太平洋戦争」が用いられた最初の例である。

さらに、翌12月8日(真珠湾攻撃から4年)から17日まで、GHQ提供による「太平洋戦争史―真実なき軍国日本の崩壊」が、新聞各紙に連載された。これは、GHQの民間情報教育局(CI&E)が準備、参謀第3部(G-3)の戦史官の校閲を経たものであったが、満州事変から連続した戦争として捉え、太平洋を主戦場として米軍の役割を強調すると同時に、南京事件や「バターン死の行進」など日本軍の残虐行為を詳細に叙述した点が特徴であった。こうした解釈は、満州事変からの一連の日本の侵略を、一部軍国主義者の「共同謀議」であるとした極東国際軍事裁判の判決と一致するものであった。特に、「『太平洋戦争』という呼称を日本語の言語空間に導入したという意味で、歴史的な役割を果たしている」と指摘されたのであった。

本連載は、翌1946(昭和21)年3月、GHQ民間情報教育局述(中屋健弌訳)『太平洋戦争史―奉天事件より無条件降伏までと題して、高山書院から出版された。本書は、10万部を完売、GHQの指導により、学校現場などでも使用が奨励された。なお、出版に際して、下記の中屋による「訳者のことば」は、民間検閲支隊の事前検閲によって、2箇所の「大東亜戦争」の用語が、「太平洋戦争」に修正された。

サンフランシスコ講和条約により「大東亜戦争」呼称廃止の覚書の失効

日本における戦争呼称に関する問題の一考察 庄司 潤一郎

講和により日本が独立したのち、1952年4月11日公布された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(法律第81号)は、ポツダム宣言の受諾に伴って発せられた命令は、「別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有するものとする」とされた。日本政府はその後、「大東亜戦争」呼称廃止の覚書に関して、廃止・存続いずれの措置も採らなかったため、現在では既に失効している。

  1. GHQの覚書で「大東亜戦争」が禁止
  2. サンフランシスコ講和条約により日本が独立
  3. それに伴い「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」が成立
  4. 本法には「別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有するものとする」と規定
  5. 日本政府は「大東亜戦争」呼称廃止の覚書に関して、廃止・存続いずれの措置も採らなかったため、GHQの覚書が失効した

朝日新聞は「禁止された」事実だけ書いている一方、その禁止の根拠となった覚書が現在は失効しているという事実は書いていません。つまり、「事実だけ書いて読者の認識を誘導する」ということをやっているわけです。

なお、法令中の呼称に関しては、現在は「大東亜戦争」という語を用いているものはなく、「太平洋戦争」という語を用いている法令が7つ存在します。*1

「大東亜戦争」の用語を使用してきた内閣・国会議員・自衛隊・民間人

自衛隊における「大東亜戦争」の語は何も今回初めて使われたのではなく、防衛省の資料や各自衛隊地方部隊のHP等でも見られます。*2*3

また、先の戦争の目的について「大東亜新秩序の建設」という政治目的だったとしつつそれを非難する民間人でも、「大東亜戦争」の語を使用している例があるという指摘があります。朝日新聞も、紙面で使われている例が600件以上あります。

「あの戦争」を何と呼ぶべきか 戦史研究センター長 庄司潤一郎

肯定論を批判する研究者でさえ、「大東亜戦争」も、「より広い東アジアを戦域とする戦争」という「地理的理解」とを並記すれば、「アジア・太平洋戦争」提唱の趣旨とほとんど変わらなくなり、「『大東亜』をたんなる戦域と読みかえてしまえば、批判と対立の根拠は失われるかもしれない」と述べているのである(岡部牧夫「アジア太平洋戦争」『戦後日本 占領と戦後改革 1』岩波書店、1995 年)。
こうした理由から、近年、例えば東南アジア研究者の倉沢愛子、ジャーナリストの田原総一朗、長谷川煕、日本外交史研究者の松浦正孝など、肯定論とは異なる立場から「大東亜戦争」を使用する識者が目立っている

そして、与野党を問わず、「大東亜戦争」という語を使用している例が国会議事録でも見つかります。*4*5*6内閣も1955年の内閣官房編『内閣制度七十年史』において「大東亜戦争」を用いています。

したがって、現在においては「大東亜戦争」という用語が使われることについて禁止するなんらかの法令や政府方針は存在しないし、それを咎めるべき必然的根拠は無いと言えます。

日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式で使用された「大東亜戦争」

本件は、【日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式】について陸自の第32普通科連隊が「大東亜戦争」という用語を使用したということになります。

【米軍との慰霊祭で使っても問題ない関係性を築き上げている】という現実が反映された投稿であったと言えます。

なお、SNSでは元自衛隊員から「大東亜戦争」という用語法は一般的であるという証言が多数出ています。

まとめ:言葉の選択は国家主権の問題・地理的範囲や他の世界史上の戦争との兼ね合いと文脈

先の大戦についてどのような名称を当てるかという言葉の選択は国家主権の問題です。

どのように呼称しようが基本的に当該主権国家の主体性に任されています。

また、地理的範囲の叙述として他の呼称と比べるとより適当である、ということから「大東亜戦争」の呼称を容認する者が居ます。

そして、世界の他の地域の戦争の呼称との関係では「太平洋戦争」だと混同が起こる可能性が指摘されています。*7

これらのことから、重要なのはその語を用いる文脈であり、そこに不都合がなければ「大東亜戦争」という呼称を用いることを妨げる理由は無い(もちろん、「太平洋戦争」や「アジア・太平洋戦争」という呼称も在り)、と言えます。

*1:在外公館等借入金の確認に関する法律・沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法・地方税法施行令・所得税法施行令・沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法施行令・財政構造改革の推進に関する特別措置法施行令・特別交付税に関する省令
*2:https://www.mod.go.jp/nda/obaradai/boudaitimes/btms200301/battleisland.htm
*3:下関基地隊について_沿革 海上自衛隊 下関基地隊
*4:第201回国会 参議院 財政金融委員会 第11号 令和2年5月12日 麻生太郎財務大臣
*5:第189回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成27年2月4日 細野豪志
*6:第189回国会 衆議院 予算委員会 第13号 平成27年3月3日 辻元清美
*7:「あの戦争」を何と呼ぶべきか 戦史研究センター長 庄司潤一郎 第三に、「太平洋戦争」といった場合、世界史上では、中南米で生起した別の戦争が二つ存在している点である。有名なものは、1879年から84年まで、硝石資源をめぐってチリとボリビア・ペルーの間で戦われた戦争があり、原語では「the War of the Pacific」、「laguerra del Pacifico」(スペイン語)、もしくは「la guerre du Pacifique」(ポルトガル語)と表記されている。また、1865年から66年にかけてチリ・ペルーとスペインが戦った戦争も、「太平洋戦争」(la guerra del Pacifico:スペイン語)と称しているが、いずれも中南米における戦争を指している。
ちなみに、日本の「太平洋戦争」は英語では、一般に「the Pacific War」と表記され、中南米の戦争と区別している。また、米国などではむしろ、「the War in the Pacific
(Theater)」、「WWⅡ-Pacific Theatre」、もしくは「the Pacific Theatre in the Second World War」とも表記されている。日本で刊行されている関連辞書や年表には、中南米の戦争は、日本の「太平洋戦争」とともに,同様に「太平洋戦争」として掲載されている。こうした先例があるため、国際的には「太平洋戦争」という呼称は誤解を与え兼ねないといった指摘もなされている。


編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年4月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。