未だ熱狂と偏見はやわらがず、虚偽からその仮面を剥ぎとるまでには至らないか
陸自第32普通科連隊が投稿削除し再投稿
32連隊の隊員が、硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加しました。 pic.twitter.com/V68biBNxZy
— 第32普通科連隊(公式) (@32nd_inf_Regt) April 8, 2024
陸上自衛隊第32普通科連隊が硫黄島の日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に関する4月5日の投稿を削除し、8日夜に再投稿していました。
FNNによると「誤解を招いた」として「大東亜戦争最大の激戦地」を削除したとしています。
【速報】「大東亜戦争」と表現のSNS修正 陸自部隊の活動紹介「誤解を招いた」|FNNプライムオンライン
第32普通科連隊は「誤解を招いた」として、「大東亜戦争最大の激戦地」という表現を削除して再投稿した。「当時の呼称を用いたものであり、その他の意図は何らなかった」としている。
硫黄島の日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式と大東亜戦争
削除された投稿の画像と魚拓:https://archive.md/XuGvh
5日の投稿で32普通科連隊に引用されていた防衛省の投稿はそのままです。
両者の違いはやはり「大東亜戦争最大の激戦地」という部分であると言えます。
3月30日、松本防衛大臣政務官は、防衛省を代表し、硫黄島で開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参列し、献花等を行いました。
祖国のために命をささげた日米双方全ての御霊の御冥福をお祈りするとともに、日米が緊密に連携し、世界の平和と安定により一層貢献していくことを誓いました。 pic.twitter.com/64fWBDpZ52— 防衛省・自衛隊 (@ModJapan_jp) March 31, 2024
「大東亜戦争最大の激戦地」に関しては、「別の戦地の方が激戦だった所がある」といった指摘もありましたが、どうしても「大東亜戦争」という用語の扱いについての世論等の評価への反応、という印象にならざるを得ません。
林官房長官「大東亜戦争という用語は現在一般に公文書では不使用、文脈によるので一概にお答えすることは困難」
毎日新聞スズキ 陸上自衛隊第32普通科連隊による公式Xでの投稿についてお伺いいたします。同隊は5日、硫黄島での活動をXで紹介する際に「大東亜戦争最大の激戦地」との表現を含む投稿をしました。政府は太平洋戦争を指す呼称として公式文書などでこの呼称を用いていませんが、今回の同隊における投稿に関して政府としてのご見解をお伺いいたします。
林 ご指摘の件は承知をしております。従前より政府として答弁はしてきておりますように、大東亜戦争という用語は、現在一般に政府として公文書において使用しなくなっておりまして、公文書においていかなる用語を使用するかは文脈等にもよるものであり、お尋ねについて一概にお答えすることは困難でございます。現在防衛省において事実関係を確認していると承知をしておりまして、更なる詳細については防衛省にお尋ね頂きたいと思います。
4月8日月曜日午前の官房長官定例記者会見では、「大東亜戦争という用語は現在一般に公文書では使用していない」という事実を前提として「公文書においていかなる用語を使用するかは文脈によるので一概にお答えすることは困難」「現在防衛省において事実関係を確認している」と述べました。
用語の用いられ方についてはは従前の答弁と同様の回答です。
「大東亜戦争」という用語の法体系上の扱いとしては、昭和16年の閣議決定で公式採用されたが、戦後にGHQの覚書によって使用が禁止、その後、主権回復後に当該覚書が失効しているという状況でした。
また、「太平洋戦争」という用語は法令中の文言として登場していますが、政府として定義しているわけではありません。詳細は以下で書いた通りです。
マスメディア報道「GHQにより禁止された」だけ書き覚書の失効には触れず:イデオロギーを廃した文脈での使用の世論を
第32普通科連隊の投稿に関する報道は朝日新聞*1が取り上げたのをきっかけに、毎日新聞*2、共同通信*3が続きました。
特に朝日と毎日は「GHQによって禁止された」だけ書き、「その後GHQの覚書が失効したこと」には触れずに「政府の公式文書では使用されていない」と書いていました。
日本政府として大東亜戦争という用語を使用しないという方針を採っているのならば、それはそれで良いのですが、未だにGHQの決定の影響を引きずり国家主権が無い状況であるかのような書きぶりで報道しているのは解せません。
ただ、日本政府は現状では「使わない」とは明言しておらず、世論の空気を読んでいると思わざるを得ません。
マスメディアでの報道のされ方や一般での受け止め方で『「大東亜戦争」という用語を使っているということはネトウヨ的だ、侵略戦争を正当化する意図だ』などといった観念が席巻していると、本来的に問題ないものでも使えない情勢になってしまいます。
「不味い用語だ」という観念が広がり、一般人が使わないとなると、過激な人だけが特定のイデオロギーに基づいた文脈で使用する例が目立ち、「ほれ見た事か、そういう使われ方しかしない用語なのだ」というスパイラルに陥るという罠があります。
イデオロギーを廃した文脈での使用が為されている社会実態が明らかであれば、政府・政治側のハードルはなくなるはずです。
既に、地理的範囲としてベターな用語であるとする歴史学上の合理性に基づいて「大東亜戦争」の語を使用する学者や論者が出てきており、この用語を使用する立場の者からすれば、まさに「文脈」を醸成・成熟させていくべきなんだろうと思われます。
参考:【日本における戦争呼称に関する問題の一考察 庄司 潤一郎】
東京裁判におけるラダ・ビノード・パール判事の判決文の結びの言葉で締めたいと思います。
“時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。
編集部より:この記事は、Nathan(ねーさん)氏のブログ「事実を整える」 2024年4月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「事実を整える」をご覧ください。