松下幸之助さんの御著書『道をひらく』三部作の完結編、『思うまま』の中の一篇に「経営のおもしろさ」というのがあります。普通の人であれば中々面白いというところまでは行かず、必死になって何とかしようと悪戦苦闘する中で新たなる展開が様々出て来、それが仮に上手く行ったなら「良かった、良かった」で御仕舞ということだろうと思います。経営が面白いというような境地に達せるのは、やはり松下さんだからでしょう。
『論語』の「雍也第六の二十」に、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず・・・ただ知っているだけの人はそれを好む人に及ばず、ただ好むだけの人はそれを楽しんでいる人に及ばない」という孔子の言があります。
こういう面白さや楽しさを感じるは、経営であろうが道楽であろうが何であろうが、ある意味最高の境地とも言えるものだと思います。しかし通常その境地にまでは、中々到達し得ないのが実情ではないでしょうか。
但し経営の妙味(…なんとも言えない味わい。醍醐味)とは、その経営者の全てが反映されたところで結果を出すということにあると言えるのかもしれません。自身の倫理的価値観から運、あるいは自分の御縁で得た色々な人脈や、ある商品との巡り合い等々と、あらゆる事柄の帰結であるということです。そういう意味で勝負して上手く行ったらば、ある種面白いと感じられるのかもしれません。
上記一篇で松下さんは、次のように言われています――自分の会社、商店をよりよいものにしたいという強い熱意をもって他社、他店を見るならば、そこに必ず一つや二つの見習うべき点が発見できるものだと思う。その長所に、みずからの創意工夫を加え、独自の新しいものを生み出してゆく。
之は、他を真似た上でそこに改善を加えてベターなものにして行く、といった姿勢です。言うまでもなく、それはそれで勿論なければならない大事な姿勢だと思います。但し本来そこにはもう一つ、こう在って欲しいと思うことはやはり、「自我作古…我より古を作す」ということでしょう。
他店や他社の類だけでなしに、日々新聞や歴史・哲学の本を読んでいる時にも、何かそこに閃きやヒントを得ることが出来ます。私には全く商売とは関係無さそうなところに、そういうことを感じることが結構あります。
従って私は予てより、『歴史・哲学の重要性』(11年6月2日)を主張し続けているわけです。歴史は当然現代とは違った状況でありますが、判断の仕方を学ぶ等で非常に大事だと思っています。哲学についても同様に、新しい知恵のヒントが湧いてくることがあるわけです。
松下さんが例えば「二股ソケット…家庭内に電気の供給口が電灯用ソケット一つしかなかった時代に、電灯と電化製品を同時に使用できるようにしたもの」を考案されたのは、改良・改善というより「自我作古」と言えるでしょう。
之は一つの新たなる発想であって、別に他所の何かを真似たわけではありません。今年2月『ビジネスの創造には、まず「夢を抱く」』と述べた通り、「こういうものがあれば便利だ」「こういうものがあったらなぁ」という感情を出発点に、松下さんは自らで新たなる物を創り出して行ったのです。
このように松下さんは「自我作古」という部分が、どちらかと言うと大きかった御方ではないかと思われます。「経営の妙味、おもしろさというもの」は確かに、冒頭挙げた一篇で松下さんが言われるような部分でも感じないわけではありません。しかし松下さん御自身がそうで在られたように、寧ろ本当の醍醐味は「我より古を作す」ことだと思います。
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